お笑い全般

2008年1月31日 (木)

CLUB Que イベント詳細です

2008.3.21(fri)

オールナイト

 

ゴールデンジャイアンナイト~Disco The Michael Jackson~

 

[MICHAEL JACKSON&ALL ROCK&POP,PUNK,DANCE,JAPANESE ROCK/POPS/INDIE & AIR

GUITAR and more]

 

DJ:ダイノジ

/六本木カレーボーイズ/グレート前川(フラワーカンパニーズ)/ニッチャメン(丁半コロコロ)/又吉直樹(ピース/鴉)/魅惑のクニオ♂

 

LIVE:NONA REEVES

 

open/start 23:30

adv.\2800/day\3300(共に1D別\500)

 

チケット>

 

Que店頭:100枚、2/21~/

 

ローソンチケット[Lコード:71909]:50枚(No.151~200)2/9~/

 

チケットぴあ[Pコード:282-573]:50枚(No.201~250)、2/9~   

問い:CLUB Que 03-3412-9979

 

2008年1月29日 (火)

『腕時計』

 最近、腕時計をはめだした。

 

 まだ体が慣れてないので毎日身に付けることは出来ないが、出来るだけ早く体が腕時計に対応出来るよう、腕に装着していない時も必ず持ち歩くように心がけている。

 

 時計も意識的に僕の方へ歩みよってくれているようで、当初よりも、だいぶ僕に似てきた。

 

 お互い遠慮しあって本来の自分の個性を出せないのは寂しい事だが、お互いが良い意味で相手のことを慮るのは素晴らしいことだ。

 

僕達は何とかうまくやっていけそうだが、時計は時刻を正確に伝えることだけが仕事なのに、しばらくすると大概怠慢になり表示する時刻が遅れ出したりするので、その点だけ注意したい。

 

2008年1月22日 (火)

『今から』

 今日も色々あったが体調は良好だ。

知らない番号から着信があったので留守電を聞くと、結婚式場からの電話で『小西様は東京にお住まいということでしたが、また京都にお立ち寄りの際は、来店をお待ちしております』というメッセージが残されていた。

誰が小西やねん。僕は式場に行ったことなんてない。

 すでにそこそこ眠たいが今から締め切りが遅れているコラムを書く。散歩もしてないのに書けるか不安だが、散歩をしたことにして書いてみる。そして寝る。

 

2008年1月17日 (木)

『大体450文字くらい』

 油そばを食おうと、『ぶぶか』に入ったら店員同士が目配せをしながら僕のことを笑っていた。

 

 下品なのは致し方ないが当の本人に気付かれないようにしようという発想は無いのだろうか。

 

そういう人に会うと、いつもコイツはしばかれたことないんやろうな?と思う。

 

僕の方が断然暴力に脅えている。

 

やはり味も普段に比べて調子が悪かった。

 

嘘、本当は凄く美味しかった。

 

 続いて喫茶店に入ると隣に座った英語を使う人が僕の大事な左足を蹴っても謝らず、更に自分で上手に食べることが出来ず机の上にボロボロと落とした汚いパンの屑を僕の方に払うし、大声でゴキブリの話をするし散々だった。

 

 想像力が無い人のことがたまに恐くなる。

 

珈琲を飲みながらゴキブリの話が出来るなんて化け物なんじゃねぇか。

 

しばらくゴキブリが珈琲カップに浮かび毛のはえた足をピクピク動かしている映像が頭に浮かんで気分が悪かった。

 

きっと僕の隣に座った英語を話す人は梅干しを見てもレモンを見ても唾液が出ない人なのだろう。

恐ろしい。

 

おかげで珈琲も美味しくなかった。

 

嘘、2杯おかわりした。

 

2008年1月13日 (日)

『鳳凰堂』

 友人から、『宇治平等院鳳凰堂の改修工事が終わった』という噂を聞いたので行ってきた。

 

 しかし、その日の夕方までには東京に戻らなければならず宇治に滞在出来たのは一時間ほどだった。

 

 九年振りの宇治だったが、水面に羽をおろすように建つ鳳凰堂は相変わらずかっこ良かった。

 

 鳳凰堂の塗り絵があれば欲しいくらいだ。

 輪郭を濃く塗り、あとは輪郭からはみ出さないように中を薄く塗ると綺麗に塗れるという定石を完全に無視した型破りな大人塗りで、色はピンクを基調とした鮮やかな鳳凰堂を見てみたい。

 ピンクに塗り終えた鳳凰堂をハサミで切り抜きノリで立体的に立たせビックライトで巨大化させる。

そのピンク色の鳳凰堂の中で眠れば大概の病気は治りそうだ。

 

 国宝などがおさめられている資料館の廊下を歩いていると、前を行くカップルが気を使ってくれて、僕が二人より先に行けるよう一列になってくれた。

『すみません』と頭を下げて速足で二人を追い抜かすと、彼氏の方が僕を見ながら『やっぱりアーティスティックな人多いよなぁ?』と言った。

 その言葉を聞いた途端、僕の体には鳥肌が立ちとんでもなく恥ずかしい気持ちになった。

恐らくカップルは僕の背中を見ている。意識せず普通につとめようとするのだが、普通を演じているような感覚になってしまう。とにかく恥ずかしい。

 

 すると、何秒か置いたのちに彼女の方が『そうかぁ?』と言った。

 

 それはそれで、なんと言うか、別に良いのだが、何も間違っていないのだが、何故かとても複雑な心境になった。

 

2008年1月12日 (土)

『告知』

 告知があります。

 

H.U.G. vol.2「ラフ!」

2008年1月13日(日)

(18:00開場/19:00開演/21:30終了)

 

@原宿クエストホール

 

出演:鈴木おさむ、ダイノジ、Bコース、ピース、平成ノブシコブシ、LLR、えんにち 、六本木カレーボーイズ他

 

詳細> http://h-u-g.jugem.jp/?eid=32

 

【内容】原宿イベントシリーズ「H.U.G.」の第2回目は放送作家・鈴木おさむが次世代に送る「原宿」×「お笑い」イベント!

吉本興業イチオシの若手芸人ネタ披露の他、出演芸人全員参加!鈴木おさむの「お笑い」×「原宿」企画コーナーや、ダイノジ大谷をレジデンスDJに迎え、エアギター2年連続世界第1位のダイノジ大地エアギターライブや、多彩なパフォーマンスライブ有りという盛りだくさんなスペシャルイベントです!

 

 

とのことです。

お時間がある方は是非お越し下さい。

宜しくお願い致します。

 

2008年1月 8日 (火)

『浜離宮』

 電車の乗換えで新橋を通ったので、地図を見ながら浜離宮まで歩いてみた。

 

 せっかく来たので300円を支払い中に入ろうとすると受付の女性に『5時までですが…』と忠告を受けた。

 

 閉園までは、まだ45分程残っていたので、その女性の感覚では浜離宮を散策するためには最低でも1時間は必要だということだろう。

 

 その受付の女性が、『5時までですが…』という言葉に続く余韻に込めたメッセージは、『他の人達はもっと早くにお弁当とか持って来て皆で食べたり、園内の植物や生物を余すところなく観賞して色々感じて、「ここめっちゃええやん!都会にこんな場所があったなんて!」と家族や恋人や友達と感動を分かち合いながら更にテンションを高めて行くから300円くらい払っても充分に元は取れるやろうけど、アンタはこの夕暮れ時の、後30分もしたら閉園のアナウンスが流れる微妙な時間帯に一人で来て、この浜離宮の素晴らしさを、ちゃんと甘受して持って帰れんのかいな?何もできひんまま、「ようわからんかった」とかほざいて帰るだけちゃうん?そんな心の準備も出来てない状態で大丈夫なんか?しばいたろかほんま』といった感じだろうと僕は思う。

 

 確かに僕としても理想を言えば2時間程あったとしたら嬉しいが、その時の僕の精神状態としては5分だけでも良いからゆっくりと空が見たかったので例え45分しか無くても別に300円を惜しいとは思わなかった。

 

 浜離宮の中は人が少なくて歩きやすかった。途中から不安になるくらい人がいなくて寂しくなった。

林の中を進んで行くと吉祥寺の井の頭公園と繋っていて直ぐ家に帰れれば良いのになどと瞬間的に思ったりもしたが、冷静に考えれば僕にとって凄く落ち着ける素敵な時間だったので寂しがっている場合ではなかった。

 

 高い建物が一切見えない場所を探しながら歩いた。公園の中央まで行けば余計なものが全て排除された空しか見えない景色があるのではないか?と思い歩いたが、結局どこにいたってビルは見えた。

 

 管理事務所のおじさん達の死角に寝転ぶと空以外何も見えなくなった。ようやく見つけたと思ったが、人の気配を感じて頭を少し起こすと外国人のカップルが東洋との絶対的な距離感を縮められずに戸惑いを露にした表情で僕を見つめながら歩いて行った。

 

その二人の背中を見送ると視界に人工的な素材で作られた看板が入ってきた。

 

 再び芝生に頭をつけて空だけしか見えなくしたが、しばらく人工的な看板の残像は残ったままで、それが小さなビルのように見えて鬱陶しかった。

 

2008年1月 6日 (日)

『日光』

 日光東照宮を目指し早朝に渋谷を出発した。

 

 お昼を過ぎたあたりから、やたらと奇妙な動物達とすれ違うと思ったら既に日光だった。

 

 東照宮の鳥居をくぐり境内をしばらく歩くと人の流れにのり、本地堂という建物に入った。

建物の天井には大きな龍が画かれていた。

 『その龍は「鳴龍」と呼ばれ、その真下で拍子木を叩くと龍が鳴くような音が響く』という説明を鳥居を通って来たはずなのに何故か作務衣を着た僧侶と思しき人から説明を受けた。

 僧侶と思しき人が鳴龍の真下で拍子木を叩くと同時に、僕のすぐ隣に立っていた少年が、『本当だ~!』と言った。

いくらなんでも反応が早すぎる。

その時、少年が聴いた龍の鳴声は少年の豊かな想像力が聴かせた幻聴に違いない。

 その少年の声のために現実の世界に生きる大人達が龍の鳴声を聴けず苛々したり困ったりしていて僕もその中の一人だった。

 少年が黙ると、拍子木の後に『キュー』だか『ヒュー』というような音が聴こえた。

 龍の鳴声は意外と繊細だった。

 

 最後に僧侶と思しき人が、売店で販売している御守りの宣伝を恥ずかしそうにするのを聴いて建物を出た。

 

 その後も境内を歩き建物や門などを見てまわった。どれも彩りが鮮やかで至る所に奇妙な霊獣がいた。

 

 昼過ぎに道路で見かけた奇妙な動物達は、東照宮にいる、この霊獣達であったかとようやく気が付いた。

 

 最後に階段を上り、家康公のお墓なのか、家康公が奉られている一際空気が冷え込む場所に行った。

昔は、将軍しか直接御参りすることが許されなかったと注意書きが記されていた。

雰囲気に促され神妙な態度で歩いた。

 

亀の背に立つ鶴が口に何かをくわえていたのが印象的だった。

 

 一通り見てまわり階段を下りようとすると、下から階段を上って来る人々の中に、長身で明かに合成革のライダースを着て明かにやる気のない化粧をした明かなオカマがいた。

 

先ほど僕が目に止めた注意書きが一際大きくなり発光したがオカマはかまわずに進んで行った。

 

 何はともあれ一月三日の日光はとても良い天気だった。

 

2008年1月 2日 (水)

『明けまして』

 新年が明けた。

 渋谷センター街の入口に置かれた門松の前に大柄な外国人が立っていた。

頭上には日本の国旗が揺れていた。

外国人は力士がしこを踏む時のような体勢で、両手はそれぞれ上空を指差し、眉間に皺を寄せ叫んでいるような表情で写真におさまろうとしていた。 

 写真を撮られた後は素の表情に戻り、デジタルカメラを構える友達まで歩みよると自分がどのように自分が写っているのかを確認し、気に入らなかったのか再び門松の前、国旗の下に戻り先程と同じく力士が咆哮する体勢をとったのだが今度は上空に掲げた手がチョキになっていた。

 どっちでもいいように思い、非常に滑稽だと感じた。これが元日か。

 

2007年12月29日 (土)

『クリスマス以降』

 いよいよ年末です。

 

 近所の工事現場は深夜まで作業を続けることが多く、普段は小さな無数の証明がオレンジ色にチカチカと光っているのですが、なぜかクリスマスイブの夜に工事現場の前を通ると青色と白色の照明がチカチカと光っていました。

 

 以来、ずっと工事現場の照明はロマンチックなままです。

 

 あんな環境で工事を続けていると物凄くメルヘンチックな住宅が建ってしまいそうです。

 

2007年12月21日 (金)

『かゆい』

 胸の辺りがチクチクする。

 

 先日終えた芝居で、上着を脱ぎ上半身を晒すくだりがあった。

 

 相方の綾部は胸毛が非常に濃い。しかも何の因果か綾部の胸毛は悪魔が笑っているようなシルエットになっていて抜群のインパクトがある。

 

 舞台上で順番に脱いで行き、綾部が演じる中学生だけ中学生離れした悪魔の胸毛を持つという場面だった。

 

 その場面の稽古をしている時に、一つの問題が持ち上がった。綾部には遥かに劣るが、僕にも胸毛が生えていたのだ。

 

 皆の意見として、綾部の胸毛の前に中途半端な僕の胸毛を晒すのは邪魔になると言われた。

 

 そこは自分で考えておきながらも完全な盲点だった。

 

 僕は自分の胸毛を甘く見ていた。『照明をあてれば見えないだろう』くらいに思っていたのだが、演出から絶対に剃るようにと言われた。

 

 ある程度反対したが、最終的には剃った。

 

 僕は自分の胸毛が不憫でならなかった。

 

 笑いにもならなければ存在自体が周囲に迷惑をかけるとして邪魔者扱いされる我が胸毛が可哀想で仕方無かった。

 

 しかし、そんな中途半端な胸毛を救う術を僕は持たない。

 

 『剃れ』と言われれば潔く剃るしかないのだ。

 

 そして公演が終り、十日ほどが過ぎた。

 

 誰からも愛されず求められず存在自体を抹殺された可哀想な僕の胸毛は、早くも無邪気に蘇った。

 不憫で可哀想な胸毛を、『せめて僕だけでも愛してあげなければ』と思うのだが生えたての胸毛はチクチクして痛くて鬱陶しくて大嫌い。

 

2007年12月19日 (水)

『ファミレスで横の席に座る演歌歌手のような着物を着たおじさんと時々目が合いながらも、僕が一人で考えたこと』

 今僕が考えていること。

 

 それは、『冬が寒い』ということ。

 

 何を今更当然のことを言っているのだ?阿呆なのか?

 

 そのとおり僕は確に当然のことを言っているし、僕は確に阿呆なのだ。

 

 毎年、『あれっ?冬の寒さとはこんなものだったか?もっと厳しかったような気がするが…』と通例儀式のように、一旦冬の寒さをあなどる時期がある。

 

 その時期の僕は、『これやったら狼のファーが付いている六年ほど前に購入したジャンバーさえ着ていれば余裕で冬なんか乗り切れるやん、こんなんやったら中に着込むタイプのジャージ類は全てまとめて今度のバザーに出してまおかな』などと、平和呆けした気楽な思考を絶対的なものと信じこんでいる。

 

 しかし冬に対して精神的優位に立ちかけた頃、必ず、本物の、本当に、笑える、違う、優しい、違う、甘い、違う、懐かしい、惜しい、恐ろしい、そう、恐ろしく寒い冬がやってくる。

 夏物のパンツなどでは肌が痛く、歩行していると空気が冷えすぎているため上手く空気が吸い込めず苦しい。

 

 付け入る隙など微塵もない圧倒的な冬だ。

 

 自分の愚かさに気付いた僕は急いでジャンバーの中に着込むべく大量のジャージを押し入れから引っ張りだす。

 古くなったジャージのチャックが上手くしまらず苛々しながらも、『こんな毛玉だらけのジャージではあるが絶対にバザーになど出さないぞ』と心に誓う。

 

 ジャージを着込むと何故か遂に来た寒い冬を体感するため、わざわざ僕は外へ出る。

 

阿呆なのか?阿呆なのだ。

 

 そして、全くかなわない圧倒的な冬と対峙し興奮している自分を発見して、この感覚までが通例儀式のプログラムに含まれていたことを、ようやく思い出す。

 

 そしてオーストラリア大陸に匹敵するほどの超大型エアコンを思い浮かべ、そうするとリモコンは丁度ニュージーランドくらいの大きさだな、と無意味な想像をして風邪をひく。

 

2007年12月18日 (火)

 『hon‐nin』05号

 『hon‐nin』05号の、『コラム・大至急本人を!』というコーナーで、前号に引き続き再びコラム風なものを書かせていただきました。

 今回のテーマは、『私は一言物申したい!』です。

 

 

 最近では、『物申したい』とまでは強く言えませんが、『クリスマスのライトアップ少し早すぎひん?』と思います。

 凄く綺麗で街並みも明るくなるので素敵だと思うのですが、年々ライトアップの時期が早くなっていませんか? 

 子供の頃の記憶では、ライトアップと言えば精々一週間くらいだったはずです。

 しかし、今年は既に10月末には商店街などで照明が点滅していました。

 この調子だとクリスマスの当日が来ても気付かない可能性があります。

 12月23日に一度クリスマス用のライトを全て消して24日に再び灯すというような事をしてくれないでしょうか?

 そうしないと、『来るで、来るで、来た~!』という感じにならず、『来てるで、来てるで、来てた~!』となってしまいます。

 

 何より、クリスマスに対する助走は無茶苦茶長い癖に、クリスマスが終わった後の撤収の速さは尋常ではありません。

 場所によっては翌朝には門松というような事もあります。

驚異的な切り換えの速さです。日本サッカーの攻守の切り換えも下町の商店街から学ぶ事がありそうです。

 

 

 そして、『hon‐nin』の今回の号では、映画『カフカ田舎医者』で、オタワ国際アニメーション映画祭グランプリを受賞されました、アニメーション映画監督の山村浩二さんと対談もやらせていただき、そちらも掲載されています。

 最後になってしまいましたが、山村浩二さん監督の『カフカ田舎医者』本当に面白いので、是非御覧になってください。

 

2007年12月16日 (日)

『交換日記・花のことば』

 品川庄司の庄司さんが書いた小説、『交換日記・花のことば』を読みました。

 

 以前、別冊ガトカワに載っていた『花のことば』を面白く拝見させていただいたので、一冊の本になるのを楽しみにしていました。

 

 最初は電車の中で読みはじめたのですが、最終的に読み終えたのは人通りが少ない真夜中の渋谷道玄坂でした。

 

 気がついたら夢中で読んでいました。

もともと『交換日記』という響きや文化が凄く好きだったので題名からして興味深かったのですが、とても素敵な物語で大変感動致しました。

 

 昔はよく外で本を読んでいたので物語の内容と同様に懐かしく思いました。外で読むと何故かその時の情景などを中々忘れません。

 

 雨降りの日に地元寝屋川市駅前の駐輪場で読んだ、武者小路実篤の『友情』。

 

 赤坂の路上で立ったまま読み終えた島崎藤村の『破戒』。

 

 日枝山王神社で読んだ志賀直哉の『暗夜行路』。

 

 淀川の河川敷で読んだゲーテの『若きウェルテルの悩み』。

 

 部屋にこもって読むのは危険だと思い近所の公園で読んだ三島由紀夫の『金閣寺』。

 

 色々と思い出せます。

 今こうして並べてみると、たまたまにはしては深刻な内容の本というか、暗い本が多い気も致しますが全て好きな本です。

 

 これらを若い頃に外ではなく狭い部屋の中で読んでいたとしたら更に大きな形で僕の人格形成に影響を与えたことでしょう。

 

 『破戒』を読んだのは僕が19歳の時で当時赤坂にあったNSCからの帰り道でした。

 

 その日は現相方の綾部を含む同期数人から食事に誘われたのですが、読みかけの『破戒』が気になったので『用事がある』と言って断り、店に入る時間も電車に乗る時間も惜しく赤坂の路上で立ったまま読みました。

 読み耽っている最中にNSCのスタッフさんに見つかりました。

 

『こんなとこで何してんの?』

 

『読書です』

 

『こんなとこで?』

 

などという会話を交したのですが、完全にひいておられる雰囲気だったので場所を喫茶店に変え再び読んでいると、今度は何処かで食事を終えた綾部を含む同期数名が喫茶店に入ってきて気まずい思いをしました。

 

 客観的に見ると変態ですが読書は辞められません。

 

2007年12月13日 (木)

『少しだけ』

 午前一時辺りから少しだけ雨が降ってきた。

 

 この、『少しだけ』というのが非常に厄介なので要注意しなければならない。

 

 土砂降りならば誰でも潔く傘をさすのだが、小降りだと傘を持つ方が面倒臭い。

 その煩わしさに騙され結局濡れてしまうことになる。

 

 自転車をこいでいると、たまに少しだけ坂になっている道がある。

 完全に坂だったら迷わず立ちこぎをするのだが、少しだけ坂の場合『この程度の坂道に本気を出したらダサいんじゃないか?』という不安に襲われる。

 そのような自問自答を繰り返し、結局息を切らせ太股を痙攣させるはめになる。

 

 『待ち合わせに少しだけ遅れられる』、という事がある。

 これも中々厄介だ。例えば『16分』という微妙な時間。

 喫茶店に入って時間を潰そうか?しかし果たしてそれほどの時間があるのだろうか?

 迷っている内に1分が過ぎる。

 

残り15分。

 

混んでいたりすると尚更迷う。

 で、結局のところ入る事にする。

すると自分よりも先に3人組が喫茶店に入って行く。

 『あの人達が注文した後に自分は注文しなければならない』と思うと、それならば最早くに並んで注文しとけば良かったと後悔する。

 今更嘆いても仕方がない。いい加減心を決めて喫茶店に入ろうとすると今度は紺と白のウインドブレーカーに身を包んだテニスサークル風の集団が先に店へ入ってしまう。

 この店は駄目だ、と諦めた時には更に4分くらい経過している。

 

残り11分。

 

 他の店を探してる場合でもない。とりあえず自動販売機でコーヒーだけでも飲もうと思う。

 お気に入りの自動販売機がない。

 近所をしばらく歩き、やっと発見したと思ったら『冷たい』飲み物しかない。

 なぜこの季節に冷たい飲み物しかないんだろう?と疑問に思い、少し下がって自動販売機を眺め、その自動販売機を管理している人が誰なのかを考える。

 

残り8分 

 

 この家の家族会議で、自動販売機に何を入れるか?の議論になった時に子供が『冷たいのしか飲む気がしねぇ』と訴えたのだと推測する。

 まぁいいや、そんな事よりホットコーヒーを探そうと思う。

 

残り7分

 

 あっ、もしかしたら先程テニスサークル風の集団がいたということは、この辺りにテニスコートがあって運動後は皆『冷たい』飲み物しか飲まないから、冷たい飲み物しかないのかもしれない。

 などと、どうでもいいことを考えている内に時間は過ぎる。

 

残り5分。

 

 この段階まで来たら、無意味に失われた自分の数分間に対する弔いの気持ちを込め、何としてでもホットコーヒーだけは飲もうと思う。

 

 時間が無い。少しだけ早歩きする。また少しだけだ。

 

ホットコーヒーが輝く自動販売機をようやく発見したが小銭がなく札を崩してホットコーヒーを買う。

 バックポケットに入れた財布がさっきより重くなっていることが苛立たしい。

 

残り2分。

 

 気がつけば結構遠くまで歩いて来てしまった。そろそろ友達が到着する時刻だ。

 赤信号に二回捕まる。

 

残り0分。

 

 携帯が振るえる。友達が到着したようだ。出るより待ち合わせ場所に戻った方が早い。

 

残り-1分。

 

 走る。結構遠い。

 

残り-2分。

 

 『なんでこんなことになったんや?』と自分を責める。

 

残り-3分。

 

 友達に少しだけ謝ろうと思う。が、友達がいない。

 

残り-4分。

 

 友達に電話をする。『今駅に着いたからもう少しだけ遅れる』とほざく。

『どないやねん』と思う反面、少しだけ安堵を感じてしまう。

 

 『少しだけ』とは、実のところ全く『少しだけ』ではない。

 

2007年12月11日 (火)

『告知』

■「サニム」

・12/27(木)

・笹塚ファクトリー

・開場18:30 開演19:00

・前売り:2200円 当日:2500円

 

出演者:

・小堀裕之(2丁拳銃)

・佐久間一行

・宮地謙典(ニブンノゴ!)

・キシモトマイ

・又吉直樹(ピース)

 

Pコード:381875

 

 

 こんばんは。一人で15分くらいのネタをやる事になりました。

 そんなに長い時間一人で舞台に立つのは初めての経験なので色々と不安ですが楽しみでもあるので頑張ります。

 

 お時間ありましたら、宜しくお願い致します。

 

2007年12月10日 (月)

『凛』

 以前、ブログで告知させていただきました神保町花月での『凛』という舞台が本日で終了致しました。

 

 神保町までお越しくださいました皆様、ありがとうございました。

 

  そして昨日、M‐1の準決勝も終わりました。

 

 いつの間にか、もうそんな季節です。

 

 次々と色々な事が終わって行きますが、まだ僕は今年を終える準備が全くととのっていませんので今から大急ぎで今年を終える準備に取りかかりたいと思います。

 

 皆様より少し遅れてしまうかも知れませんが、僕も急げば1月の半には2008年を迎える事が出来ると思いますので頑張ります。

 

2007年12月 7日 (金)

『吉祥寺・井の頭公園・三鷹台』

 久しぶりに長い距離を歩きたいと思いました。

 

 ジャージの上から厚みのあるジャンバーを着用し手袋をはめて帽子をかぶると、お爺ちゃんみたいになりました。

 

 耳当ての代わりにヘッドフォンを装着しました。

 

 井の頭通りを歩きました。 

 

 呼び込みのお兄さんが、こちらを見ていたので音楽の音量を下げました。

 

 『お父さんどうですか?』と言われました。

 

 『誰がお父さんやねん』とは思いませんでした。

 『そりゃそうやろ』と思いました。

 

 裏参道から井の頭公園に入り池の回りを一周しました。

 

 ジューシーズの児玉は僕があまりにも『散歩、散歩』と言うので、自分も深夜の井の頭公園を一人で散歩してみたらしいのですが、『途中からあまりにも怖くて走ってしまった』と言っていました。

 

 その話を児玉から聞いた数日後、僕が深夜の井の頭公園を散歩していると、公園の出入口で児玉とバッタリ会いました。

 

 『今日は一人で橋を渡れるか挑戦するんです』と言っていました。

 

 『勝手に恐怖アトラクションみたいにするな』と思いました。

 

 そして改めて、『いい大人が何言うてんねん』と思いました。

 

 金色と赤色の落ち葉で埋め尽された井の頭公園はとても綺麗でした。

 

 深夜と言っても、これなら全然怖くありません。

 

 それに深夜散歩にはコツがあります。

 

 それは絶体に怖い事を考えないことです。怖い事を考えたら負けです。

 

 井の頭公園を一周すると、公園を東の方へ抜けて神田川と井の頭線の間の道を進みました。

 

 途中、踏み切りが怖かったので早歩きをしました。

 

 住宅街に入ると、何台もの新聞配達のバイクと擦れ違いました。

 

 ヘルメットを着用していない人もいて、暴走族みたいでした。 

 

 いつの間にか三鷹台に着きました。5年ほど前まで住んでいた好きな町です。

 

 タクシーで『三鷹台』と言うと、タクシーの運転手さんは解らない事が多かった記憶があります。

 

 駅前には、井の頭公園から始まった神田川が流れ、バーガーショップがありコンビニがあります。

 

 駅前の商店街は上りの坂道です。

 

 喫茶店や定食屋があります。一際大きな光を放つコンビニがあります。

 

 そのコンビニ前のベンチに座りました。

 

 隣のベンチでカップラーメンを食べている人に睨まれました。

 

 『一口もやらんぞ』という意気込みがひしひしと伝わって来て、『あのカップラーメンは幸せだな』と思うと同時に、『こっち見んなボケ』と思いました。

 

 コンビニの前で雨宿りをしている女性がいました。

 

 雨こそ降っていませんでしたが、その姿勢と表情は雨宿り以外のなにものでもありませんでした。

 

 だけど、その女性の頭上には屋根が無かったので、もし雨が降っていたらずぶ濡れになるところでした。

 

 もしかしたら空を見ていただけかも知れません。

 

 その日にあった事をお月様に報告していただけかも知れません。

 

 星が降って来たら全て当たらずによけれるかな?とシュミレーションをしていたのかも知れません。

 

 僕は坂道を更にのぼり交番、中古CD屋を越えて左の小道に入りました。

 

 小道に入った途端、どんどん夜が濃くなりましたが全然怖くありませんでした。

 

 しばらく進むと、僕が昔住んでいた部屋がありました。

 

 電気が付いていたので誰かが中で、まだ起きてるようです。

 

 まさか部屋の住人は、前の住人が下から灯りを見ているとは知らないでしょう。

 

 というか知らない方が良いでしょう。

 

 知ってしまったら気持ち悪いでしょう。

 

 前の自分の部屋を越えると広い畑があります。

 

 この辺りになると真っ暗です。夜です。

 

 それでも等間隔に街頭があるので完全な暗闇ではありません。

 

 全部消えてくれないかなと思いました。

 

 やっぱり全部消えると事故などが危険なので駄目だと思いました。

 

 帰り道、踏み切りが怖いので遠回りして帰りました。

 

2007年12月 1日 (土)

『中村』

 最近、神保町で公演する芝居の関連で神保町花月に行く事が多い。

 

 時間が長引くと始発電車が走り出すまで、皆と部屋で待ったりする。

 

 劇場の中は暖房がかかっているので、朝が来て外に出ると凄く寒くて改めて冬であることを感じさせられる。

 

 急激に温度が変わる事によって皆が季節を感じ、『さむい~』などと言っているのを聞くのが僕は好きだ。

 

 ただし例外も存在する。

 今回一緒に出演する東京NSC九期生である『ゆったり感』の中村は、誰もが『さむい、さむい』などと声をあげる中、ただ一人だけ『気持ちいい~!』と言っていたのだ。

 

無茶苦茶怖かったです。

 

 自然との向き合い方が僕達とは全然違う。

 

 皆は聞いていなかったようだが、僕は聞き逃さなかった。

 

 と言うか、出来るならば聞き逃したかった。

 

 しばらく知らないふりをして歩いたが、やはり気になったので、先程なぜ『気持ちいい~!』と言ったのかを聞くと中村は、『ガハハハハハ!!』と朝焼けの空へ高らかに笑い声をあげた。

 

 大食いの侍みたいだなぁ、と思った。

 

2007年11月26日 (月)

『星』

 神保町花月で公演する『凛』の稽古終わり。

 

 明け方の道を一人で歩いていると、コンビニエンスストアーの前に腰をおろしている女性がいた。

 

 その女性の知り合いらしき男性が店から出て来るなり、『ねぇ、星新一って知ってる?』と女性に問掛けた。

 

 もちろん星新一とは、物凄く有名な小説家の名前だ。

 

 何故そのタイミングで、星新一さんを知ってるかどうかが気になったのだろう?と思った。

 

 僕は歩く速度を少し落とし、女性の返答を聞こうと思った。

 

でも聞かなければよかった。

 

 女性は男性の問掛けに対して派手に笑いながら、『うける~!星仙一だから~!』と言い出したのだ。

 

 巨大な疑問符が一瞬頭に浮かんだが、その疑問符を裏返しにしてみるととても簡単なことだった。女性が色々なことを間違えていたのだ。

 

 すかさず男性が、『それ野球の監督でしょ』と指摘した。

 

 しかし、野球の監督は恐らく、『星野仙一』だ。

 

 女性の言葉には一つの大きな間違いと、一つの小さな間違い、合計二つの間違いが重なっていた。そのため話が一見ややこしく思えたのだ。

 

 せっかくなので気付いたことを教えてあげたかったが、僕が唐突に『失礼ですが「の」が抜けてますよ』と言い出したら、その時は怒られなかったとしても、後から

 

『なにアイツ~気持ち悪い~』

 

『こんな時間に一人で何やってんだよ変態じゃない?』

 

『アイツ豹柄のジャケットに蛇柄のパンツって動物多すぎじゃない?』

 

などと言われるだけだろうから、黙ってそのまま帰った。

 

 僕は家に着くなり、『ほししんいち、ほしのせんいち』と交互に幾度がつぶやいて、星新一が星仙一という名で、星野仙一が星新一という名の世界を想像してみたが、やはり星新一は星新一で、星野仙一は星野仙一だと思った。

 

 そして今僕は、『おとんは何で俺を直樹と名付けたんやろ?びっくりするくらい似合ってないやん』と考えている。

 

 さっき、さも僕が『豹柄のジャケット』と『蛇柄のパンツ』を着用していたように書いたが、実のところ、その格好をしていたのはコンビニエンスストアーの前に座っていた女性の方だった。

 

 今朝も冷える。

 

2007年11月22日 (木)

『サッカー観戦』

 昨日、オリンピック出場をかけた22歳以下の日本代表戦があった。

 引き分け以上で北京オリンピック出場決定という大事な一戦。

 

 渋谷センター街を抜けた所にある無限大ホールで出番を終えたあと、先輩である『Bコース』の羽生さんに、『ここでサッカー見て行くだろ?』と言われた。

 その頃、時間は既に六時半。試合開始は七時過ぎだったので今から帰っては前半の初めを見れないかもしれない。

 僕も羽生さんと無限大ホールに残り試合を観戦する事にした。

 最終決戦の相手はアジアの強豪サウジアラビアだった。

僕と羽生さんは、一つの楽屋のテレビを占拠し大事な一戦にそなえた。

しかし、そのテレビは室内アンテナか?と思うほど驚異的に映りが悪かった。

 でも仕方が無い。いつの間にか、今更帰っては前半を観戦するのさえ絶望的な時間になっていた。

 どこからか、先輩『ノンスモーキン』の菊池さん、後輩『ミルククラウン』のジェントルがやって来た。

ジェントルも無類のサッカー好きだ。

全く関係無いが、ジェントルが食べていたサラダが非常に美味しそうで、『あっ、僕も食べたいなぁ』と思った。

 

 そして試合が始まった。テレビの映りは悪かったが、試合の状況が解らない程ではなかったが、微妙に横の波線が画面に入っているので目がチカチカして凄く疲れる。だが、試合からは目が離せない。

『目が痛いなぁ』と羽生さんと菊池さんがぼやいていた。

 ジェントルが途中で『国立に行ってきます!』と行って試合会場に向かった。

後半には間に合うだろう。

 前半はサウジアラビアペースで進んだ。

 寝息が聞こえると思った菊池さんが寝ていた。『あっ』と言って菊池さんを起こそうとする僕を羽生さんが、『寝てないから疲れてんだよ』と優しく止めた。

 

 前半もなかばに差し掛かると僕は試合に釘付けになった。中盤の柏木は運動量が豊富で堅実にチームに貢献し感動を与えてくれた。

 試合を観戦する僕達の楽屋に何人かが訪れた。

みんな、『どっちが勝ってんの?』とか『日本勝てそう?』と聞いてくる。

いつもは羽生さんが率先して答えてくれるのに羽生さんが黙っているので、僕が全ての質問に答えた。

羽生さんは試合に熱中しすぎて質問が聞こえないのだろうと思った。

 僕と羽生さんはテレビに向き合い並んで座っていた。

再び日本にとって危ない場面があった時に、僕は『うわ~危なかったっすね?』と言って共感を求めるため視線を羽生さんに送った。

 だが、その瞬間僕は我が目を疑った。なんと羽生さんが白眼をむいてオモイッキリ寝ていたのだ。

 思わず『ちょっと羽生さん!何寝てるんですか?寝てる場合ちゃうでしょ!』と起こしてしまった。

羽生さんは、『あっ、ごめん』と言って謝っているがまだ目が開ききっていない。

『あんなに試合を楽しみにしてたのに寝るんかい』と思ったが、あまりにも画面がチカチカするものだから目が疲れ過ぎて眠ってしまったようだ。

 後半は羽生さんも意識を取り戻し一緒に応援した。

冷静に考えると菊池さんが眠ったのも画面のせいじゃないか?と思えてくる。

 なかなか危険なサッカー観戦だった。

 

2007年11月21日 (水)

『怠』

 最近、運動不足を実感している。

 相変わらず散歩はかかさず続けているが、以前と比べて明らかに歩く距離が短くなった。

 知っている道を歩いていても先に坂道がある事がわかると、その道を避け楽な道を選んでしまい、結局わけのわからない所に辿り着き、挙げ句の果てには座り込んでしまうことさえある。

 そのため僕の肉体は今最も際どい時期を迎えている。

 このまま肉体が衰えて行くか、体を鍛えて若い肉体を取り戻すか。

 しかし、なぜか全く運動をする気が起こらない。この寒さも手伝って、わざわざジャージに着替えて走りに行くなどという行為は、内気な少年が誰の推薦もなく生徒会長に立候補するのと等しい。

 少し言い過ぎた。

『なぜお前にそいつの気持ちがわかんねん?』と問われれば、謝るしかない。

 でも取り敢えず走るようのジャージを買ってきて、そのジャージを眺めるとこから始めよう。

 

2007年11月17日 (土)

『Vステーション』

 ルミネtheよしもと『7じ9じ』の出番があった。

 七階に向かうためエレベーターの前に立つと、ピンクのハッピを着て劇場の看板を持っている二人組がいた。

 先程まで街頭で呼び込みをしていたのだろう。

僕もルミネがオープンした頃に一度だけピンクのハッピを着て呼び込みをしたことがある。

 だから、ピンクのハッピを着た二人も恐らく芸人なのだ。

 お互いに挨拶を交すと、二人が『東京NSC12期生のVステーションです。』と自己紹介をしてくれた。

 二人ともフォークロックが好きそうな少し長めの黒髪だったので、風貌からは少し意外なコンビ名に思えた。

 

なぜ『Vステーション』なのかを尋ねると、地元にあった潰れたビデオ屋の名からとったらしい。

 縁起の悪い名前を付けたものだ、と一瞬思ったが、以前のコンビ名が『線香花火』だった僕がとやかく言える問題ではない。

 なんせ、『線香花火』という言葉の意味を広辞苑で調べると、『一時的ですぐに勢いの無くなるものの例え』なのだ。

 

 二人は香川県出身で、その内の一人は大学に通うため三年ほど大阪府の枚方市に住んでいたらしい。

枚方と言えば、僕の住んでいた町の隣だ。

僕がその辺出身である事を伝えると、彼は無邪気な笑顔で、『あの辺なんもないっすよね?』と言った。

 僕の思い出だらけの地元なのに、『なんもない』と言われて思わず笑ってしまった。

 面白そうな二人だった。

 

2007年11月12日 (月)

『ひよもっこり』

 ここに一枚の写真があります。

 

 髪の分け目が近い事を覗くと一見何の共通点も無いような三人でありますが、実は三人とも東京NSCの同期なのです。

 

 向かって左が『グランジ』の遠山さん。

 遠山さんは23歳の時に、突然異性を意識しだしたのか?特徴だった眼鏡をはずしコンタクトにかえたという一風変わった経歴の持ち主です。

 当時の僕は、『何で今やねん』という感情を持ちましたが、遠山さんが眼鏡をはずした翌年から空前絶後の眼鏡ブームが到来した事を考えると流石遠山と言わざるを得ません。次に遠山さんが眼鏡をかけた時に、この巨大な眼鏡ブームは終わるでしょう。

 しかし当時の名残で、いまだに怒ったり興奮すると目の回りが眼鏡の形に赤くなります。

グランジがM‐1決勝に進出した暁には遠山さんは赤い眼鏡をかけているように見えますが、それは眼鏡ではございませんので御注意下さい。

 

 中央の男前が、『平成ノブシコブシ』の吉村くん。

 この写真では、異様に長い右手で遠山さんの股間に手を置き、その手を遠山さんに押さえられているようにも見受けられますが、それは目の錯覚でございます。

 ちなみに、吉村くんの本物の右手は、吉村くんの左手と一緒に複雑なドナルドダックを作っているそれであります。 

 

 そして右端で極度の乗り物酔いに襲われたような表情を浮かべているのが哀しいけれど僕です。

 

 ところで、この3人が何かと申しますと8年前にNSC卒業公演でのネタ出場をかけ、『ひよもっこり』というユニットを自主的に組んだ3人なのです。

 ネタ合わせの段階では腹が千切れるほど笑いました。『ひよもっこり』として卒業公演に出演出来る事は決定していると思っていました。

 

 そしてNSCで行われたネタ見せ当日。芸人として舞台に立つ事を志す者が100人以上同じ所に集まる異様な空間でした。その中には誰一人として芸人は存在せず、僕達もその中の一人と一人と一人でした。

 結果は全くウケませんでした。ネタをやっている最中、僕の頭には幼き頃からの思い出が走馬灯のように駆け巡っていました。

そうです。ネタがすべり過ぎて僕は死にかけたのです。

 

 今僕は、この写真を25倍の大きさに拡大したものを部屋の壁一面にはり、それを眺めながら知っている地名を大きな声で叫んでいます。

もう『門前仲町』は2回も言いました。

 

何故このような事をしているのかと申しますと、このようにしていないと忘却の彼方にうち捨ててあった、『ひよもっこり』と調和する3人の哀しき声が鼓膜に響いてやりきれないのです。


2007年11月 9日 (金)

『告知』

 神保町花月にて我々ピース主演の公演があります。

 

 そうです僕はピースです。

 

 題名は『凛』です。

 

 今回、脚本を僕が書きました。

 

 期間は、12月4日から12月9日までです。

 

 僕が個人的に調べたわけではないので憶測に過ぎませんが、曲がりなりにも8年以上この世界に身を置いている者としての経験上、恐らく今回の公演もまた、『午後7時の開演』だと思います。

 

 神保町で古本を買った際は是非お立ち寄り下さい。

 

 宜しくお願い申し上げます。

 

2007年11月 3日 (土)

『お誕生日会』

 今日は普段から、お世話になっている方の誕生日会があった。

 大人数の会だったのだが、同期のラフコントロールも参加していて森木さんが僕の隣に座った。

 森木さんといえば同期の中でキシモトさんに次いで天然だと言われている。

 乾杯でビールを飲んだ。乾杯が終わると森木さんが、僕のまだビールが残るグラスを取り、代わりに新しいグラスに烏龍茶を注いでくれた。

 僕は三年くらい前までお酒が全く飲めなかったので、気をきかせてくれたのだ。

森木さんはまだ僕がお酒を飲めないと思っているのだろう。

 僕は『ありがとう』と言って烏龍茶を飲んだ。

森木さんのさりげない優しさが嬉しかったからだ。

 しかし、しばらくして森木さんが僕の烏龍茶が残るグラスにビールを注ぎはじめた。

『森木さん!これ烏龍茶ですよ!』と言ったら、『あ~そっか、そっか。ごめん、ごめん。』と言っていた。

やっぱり馬鹿だった。

しかし馬鹿であること以外は優しさに満ち溢れていた。

 

2007年10月28日 (日)

『……』

 雨が止んだので、散歩に出た。

 井の頭公園から『いせや』横の階段をのぼって行くと、ハンチングを被ったお爺さんと擦れ違った。

 そのお爺さんを見るのは恐らく四回目だ。

 もしかすると僕が気付いていないだけで、もっと沢山あるのかもしれない。

 少なくとも僕の記憶に残っているのは四回だ。

 何故覚えているかというと、僕も似たようなハンチングを中学生の頃に持っていたからだ。

 地元の『EDIE』という古着屋で買った茶色のハンチングだ。

クレイジーシャツとよく合わせて被っていた。若者らしからぬ服装だったためか近所の大人達から指をさされて笑われたこともあった。

 だからお爺さんの事を憶えている。

 

 一度目は五年程前の高円寺だった。

 何時だったかは忘れたが、お店のシャッターは悉くしまり、人の流れも少なかったので終電は走り去った後だったはずだ。

 駅前の公衆便所に入ろうとしたら、お爺さんが出てきたのだ。

 出入口が狭いため、僕とお爺さんはお互いの体を左右に揺らし、永遠に続くのではないか?と思うほど長い間、どちらがどちらに避けるべきか判断しかねていた。

 だが、それによって我慢仕切れない程の尿意をもよおした記憶が無いので、或いは一瞬のことだったのかもしれない。

 その時に僕はお爺さんのハンチングを見た。

 

 その次に会ったのは三年前。深夜二時を過ぎた池尻大橋だった。

 僕はエンジンのかかりが悪いバイクと必死で格闘していた。

 するとお爺さんがやって来て、『それ外国のバイクでしょ?』と僕に話かけて来たのだ。

 僕は悪い癖で、『はい、そうです』と適当に返事を返してしまった。

 急に話し掛けられると緊張してしまう。

 お爺さんは『エンジン音うるさいもんね~』とつぶやきながら夜の目黒川をなぞるように歩き夜の闇に消えようとしていたが、歩行速度が遅いため実際の所は中々消えなかった。

 『エンジン音うるさいもんね~』お爺さんは確にそう言った。

 しかし、その時はエンジンなど全くかかっていなかった。

 『不思議なことを言うお爺さんだな』、と思った瞬間、高円寺で会った事があるお爺さんだと気付いた。

 目印はハンチングと悪魔のような顔だった。

 

 三回目は二年程前の昼間。駒沢公園だった。

 その日は吉本芸人のフットサル大会が開かれていた。

 ハンチングのお爺さんは体育館の売店前に並ぶ椅子に腰かけていた。

 『俺、あのお爺さんと俺何回か会った事あんねん』と誰かに言った記憶がある。

 言われた方からすれば『知らんがな』である。

 池尻大橋から歩いて来たのかな?などと漠然と考えた憶えがある。

 

 そして今日が四回目だ。

 あのハンチングのお爺さんは何なのだろう?

 

 僕は少しだけ思う。

 あのハンチングのお爺さんは死神じゃないか?

中学生の頃に被っていたハンチングは今僕の手元に無い。

 行方不明なのだ。

 もしかするとこの世にはもう無いのかもしれない。

 そして、あのお爺さんが被っているハンチングこそが僕のハンチングなんじゃないか?

 人間界で死神、死神と呼ばれ過ぎたために本物が地獄の底から伺いに来ているのではないか?

 

 僕は、しばらくの間、『いせや』の前で立ち止まり、その様な考えを巡らせていた。

 

 振り返ると、ハンチングのお爺さんの背中がまだ見えた。

 

 果たして死神の歩行速度はあれほどまでに遅いものだろうか?

 

2007年10月27日 (土)

『24時過ぎ』

 24時を過ぎた新宿から24時を通過した電車に乗ると、車内は24時代の人達で非常に込み合っていたが、皆まるで24時代の人間じゃないかのように頑張っていた。

 

 しかし、たまに電車の中で全然頑張らない奴って。いるよね。

 

完全に体の筋肉を弛緩させ、他人の体に全体重をのせて他力本願で最寄りの駅まで行ってやろうって奴。いるよね。

 

 電車が混むのはしょうがない。そんな当たり前なことに苛々する人間は問題外。電車などに乗らず歩けば良いのである。

 

 だけど、例え満員の車内によって無理な内股立ちや、つま先立ちを強要されたとしても自分で立つことを諦めて他人に全体重をのせるのはせこいよね。

 

そういう奴がいた時、『どんな顔してんねん?』と思い顔を見て、そいつが目をつぶっていたら尚更腹が立つよね。

 

 そんな奴には制裁を加えてやろう、と体重をある程度支えておいて、急に『ふっと』逆方向に体をひくと、大概そいつらはバランスを崩すよね。

だけど、何故かギリギリ倒れないよね。悔しいよね。

 

2007年10月25日 (木)

『アイマスク』

 カーテンだけは少し高価な『遮光カーテン』を使っている。

 『遮光カーテン』はその名の通り、遮光性が非常に高く強い陽射しを完全に遮ってくれる。

ただし、それは勿論カーテンの生地部分に限る。

 僕は柱とカーテンの隙間などから射し込んで来る微細な光でも、気になりだすと眠れなくなる。

 そういう時の対処方は、『布団を眼まで被って寝る』それしかなかった。

 しかし最近、遂に僕は一つの答えに到達した。

アイマスクを購入したのだ。

 『これさえあれば、完璧に熟睡できるはずだ』買ったばかりのアイマスクを握りしめ僕は一人でそう呟いた。

 アイマスク使用にあたって懸念する事が無かったわけではない。

 もしも幽体離脱をしたら、空中から布団で眠る自分を見下ろす事になる。

その時の間抜けさ加減はアイマスク装着時の方が何倍も高いだろう。

 だが、もしかすると幽体の方もアイマスクをしていて、そもそも何も見えないのかも知れないから別に良い。と無理やり納得する事にした。

 

 そう考えると、アイマスクを装着した状態で幽体離脱をしたとすると、ただの空中を飛んでいるような感覚を伴った夢になるのだろうか?

更に考えると幽体離脱が夢では無く、現実に起こり得るとして、眼を閉じた状態で幽体離脱すると、どうなるのだろう?

やはり空中を飛んでいる夢を見ているような気がするのだろうか?

 幽体の方が眼を開けているなら本体の方も眼が開いているのではないか?

幽体から本体を見下ろすよりも、本体から幽体を見上げる方が数倍怖いと僕は個人的に思う。

 

話がだいぶそれたが、とにかくアイマスクを購入したので、早速使ってみたのだが物凄く怖い夢を見た。

たまたまだと思い、次の日もアイマスクを付けて寝たが、やはり怖い夢を見た。

 

昨日も付けた。またもや怖い夢を見たので、『あ~』と叫んで玄関の方に投げ捨てて寝た。

 

 今朝眼が覚めると、昨日投げて玄関の方に落ちたと思っていたアイマスクが自分が思っていたよりも感覚的に布団の近くに落ちていた。

 寝ながら投げたので、直線的にしか距離を捉えられていなかっただけかも知れないが、もしかしたらアイマスクが幽体離脱をしたのかも知れない。

でも幽体離脱をしたとしても本体は移動しないので、アイマスクはいつも通り、ただ単純に寝返りをうっただけなのだろう。

 

2007年10月21日 (日)

『ナイーブ』

 今日、ルミネの楽屋で『ナイーブ』と一緒になった。

『ナイーブ』と一緒になった、と言っても繊細な気分に浸っていた、という状態の詩的表現ではない。

 『ナイーブ』は、東京NSC六期生で僕より一年後輩のコンビにあたる。

 ナイーブの一人、瀬山は小柄で出会った頃から物静かな印象があり、ナイーブという名前が持つ雰囲気の内、八割以上を彼自身が担っていると僕は勝手に思っている。

ちなみに相方の瀧口は非情に明るい。

 瀬山は子供みたいでかわいいので、楽屋にいるとよく色々な人にからかわれている。

 今日もまた例のごとく、瀬山に僕の相方の綾部がちょっかいを出していた。

 その光景を見て、数年前のルミネを思い出した。

 数年前のルミネ楽屋でも、やはり綾部が瀬山をからかっていた。

瀬山は時々薄く笑うくらいで、あまり表情を変えずにいた。

そんな瀬山に僕がこっそり、『何か言い返して』と耳打ちした。

瀬山が綾部に『やめろ』とか『だまれ』と言い返すところを想像すると、実際にこの眼で見てみたくなったのだ。

 相変わらず綾部は瀬山の前でふざけていた。

僕の言った言葉を恐らく理解したのだろう、瀬山はぼんやりと綾部を睨むと、突然『粉ごなにすんぞ』と言った。

 我が耳を疑った。

僕が想像していた言葉より八段階上の残酷さを行く『粉ごなにすんぞ』が瀬山の口から発せられるとは驚いた。

 それにしても、あの時綾部が粉ごなにされなくて良かった。

 

 しかし回想から現実に戻って来ると、僕の眼の前で綾部が粉ごなになっていた。

 僕は慌ててスタッフから瞬間接着剤を借り、綾部の修復作業に取り掛かった。

瞬間接着剤が凄く良いやつだったので綾部はすぐに元通りになった。

午後のライブに間に合って本当に良かった。

 今日雨が降らなかったら多分大丈夫だろう。

 

2007年10月17日 (水)

『コート』

 秋が深まり空気が冷たくなって来ますと、なんとなく切なくなりますが、この心境は冬を越せなかった動植物が死に近付いて行く時の名残でしょうか。

 昨晩、毛布一枚では寒いので布団を出しました。

 今朝、長袖を来ても肌寒く感じたので、少し早いかな?と迷いながらもコートを来てみました。

クリーニングに出しとけば良かった、と思いました。

ポケットに手を突っ込みますと、左ポケットにメモ用紙のようなものが入っていました。

取り出すと『メロンパン2つ』と書いていました。

何のメモか全く思い出せませんでした。

しかし『メロンパン2つ』書かなければ忘れますかね?

今日の僕に対するメッセージでしょうか?

 

『メロンパン2つ食べるように』

 

いずれにせよ、クリーニングには出さなくて良かったかもしれません。

 

2007年10月12日 (金)

『ラーメン食べます』

 今から僕はラーメンを食べます。

 物凄く腹が減っているからです。

 今の僕ならば少々汚い店構えでも、例え麺がのびていても、そこにラーメン屋がある事だけで感謝できます。

 僕は今後もっと色んな事に感謝して行こうと思います。

まず第一にこのラーメン屋に感謝します。

 

 『煮卵』と思いきや『似卵』じゃなくて感謝します。 

卵に似ているが卵じゃない何かを探す労力を考えると卵で良いと思います。

 

 ブラックライトの店じゃなくて感謝します。

 

 スープを飲み干した丼の底に『色んな事に悩んだフリをしても腹だけは減るんだね』と書いていなくて感謝します。

 

 厨房の中に客席が無くて感謝します。厨房の中に客席があったらライブ感はありますが邪魔にならないよう無茶苦茶気を使いますし、湯ぎりの湯で大火傷は免れません。

 

 チャーシューが長州じゃなくて感謝します。

スケールがデカすぎて僕には食べきれません。

 

 厨房と客席が逆じゃなくて感謝します。

カウンターの中でラーメンの完成を待つのは苦痛です。カウンターの外から店員に囲まれてラーメンを作られるのは恐ろしいです。何より食べにくいです。

 

 麺より何より、店員がのびてなくて感謝します。

 

 店のドアに『又吉御一行様歓迎』という紙が貼っていなくて感謝します。

なぜ素性がバレてるのか?なぜ来る事がバレていたのか?何より御一行じゃないのが申し訳ないです。

 

 その味によって、忘れかけていた何かを思い出させてくれなくて感謝します。

今更色々思い出して迷ってる場合ではありません。

 

 BGMの選曲が独特の世界観に満ち溢れていなくて感謝します。

その感覚に浸るのはインド一人旅から帰って来た地元の先輩の部屋だけで結構です。

 

 器から作る店じゃなくて感謝します。

そんなの時間がかかってしょうがないです。窯の前で納得が行かなかったのか折角出来た器をわられたりしたらいつまで経っても食べれません。

 

 ラーメンを注文するなり店員に『では、こちらを』と学ランを着せられ、『合格』のハチマキを巻かれ、黒ぶち眼鏡をかけられ、無理やり雰囲気を出されなくて感謝します。

確に、その状況で食べるラーメンは美味いですけど。

 

 トッピングにピッキングが無くて感謝します。

興味本意で頼んでしまいそうです。ラーメン食いながら鍵は中々開けられません。

 

 近所の小学校の子供達が社会見学に来ていなくて感謝します。

やかましいです。スケッチされたくないです。

 

 僕が店に入るなり店員一同が血相を変えて、ただちにのれんを外し、只ならぬ空気のなか本気の一杯を出され、感情のこもった低い声で『じゅっ…十年間…ずっと、お待ちしておりました』と完全に重要な誰かと間違われる、というような事がなくて感謝します。

 

 隣の客が『とんこつはどんな味なん?』と言って僕のスープを少しのもうとしなくて感謝します。

 

 ラーメンを発明した人に感謝します。 

 

2007年10月 9日 (火)

『ほなまたな』

 一昨日の深夜、テレビを見ていると急激に不安を感じた。

 とりあえず地元の友達である難波に電話をかけたが男同士で長時間電話をすることは躊躇われたので、ある程度で電話をきった。

 その後テレビのチャンネルを回すとサッカーの映像が流れていて少し不安が解消されたような気がした。

 しかし、しばらくするとサッカー番組が終わってしまった。

 すぐに寝る気にはなれず、と言うより何か諦めきれず、ひたすらチャンネルを回し続け1993チャンネルや1994チャンネルに合わせると坊主の中学生達がサッカーをしていた。

 

 僕の中学のサッカー部は毎年ある程度は強かったのだが、練習が尋常ではないほど厳しく、坊主頭にしなければならないという規則があったため、時代の流れからか僕達の学年は最初から11人しか入部せず、すぐに2人ほど辞めて更に1人抜けて気付けば8人しかいなかった。

 他の学校の1年同士で試合をする時など相手は11人で、こちらは8人。

 相手は茶髪で、こちらは坊主。

 相手は上等なスパイクをはいているのに、こちらは『1年にはまだ早い』ということで普通の白い運動靴。

 相手はピカピカのユニホームなのに、こちらはゼッケンにおもいっきり学年とクラスと名前が書かれた学校指定の体操服。

 僕達は試合中『8番マークつけ!』と指示を出しあっていたが、僕達は背番号が無かったので相手は『マタキチマークしろ!』などと誤った名前を大声で叫ばれたりしていた。

 しかし、そのようなオシャレなチームに圧勝するのは気持ち良かった。

 顧問の先生も素晴らしかった。

 『いちびって坊主にも出来ひん奴がサッカー上手くなるわけない』という考え方は全くもって同感だ。

 プロになっている人で『坊主なんか嫌だ』と言う人も沢山いるだろうが、それはその人達が才能に満ち溢れているからだ。

 一般的な能力しか持たない僕達に『坊主にして誰よりも努力すればなんとかなる』という考え方を与えてくれる事は物凄く優しい。

 わざわざ坊主にして厳しい練習に耐えていた、あの8人は何だったのだろう?なぜ皆は辞めなかったのだろう?

皆頑張ってたなぁ。

 また中学時代の、あのチームでもう一度試合が出来たら良いなぁ。

 

2007年10月 2日 (火)

『オロナミンCのCMバトル』

今日はオロナミンCのCMバトル決勝があった。

先輩も沢山いるなか、僕より一期後輩の『アームストロング』が優勝した。

何か凄く嬉しかった。

 

同じく一期後輩のロシアンモンキーも頑張って欲しいと思った。

 

もちろん僕も頑張ろうと思った。

 

2007年9月30日 (日)

『告知です』

『ピラティス F メソッド』

 これは呪文ではございません。

健康の体操なのです。

 

チュートリアルの徳井さんからの使者として、僕たちも参加して一緒にピラティス体操をやる事になりました。

 

 

 

●10月8日(月)体育の日

 

①13:30~14:45

②16:00~17:15

 

 

 

詳しくはこちらをみてください。

 

◎新宿村スタジオ

申込み:ジェットラグHP

http://www.jetlag.jp

 

2007年9月27日 (木)

『新横浜でサッカー』

 今朝、『じゃぴょん』の桑折さんに誘っていただき、『Bコース』の羽生さん、『ミルククラウン』のジェントル、『セブンbyセブン』の宮平、『サンキュー尾形』、『寿ファンファーレ』小澤と一緒に新横浜の芝のグランドで久々に広いコートのサッカーを行いました。

 その他のチームの方々もいたので、皆で順番に休憩をとりながらやっていたのですが、一時間ほど過ぎた頃、皆の試合を見ながら羽生さんと僕がベンチで休憩をしている時間がありました。

 羽生さんが『又吉と尾形は本気でサッカーやってたから、すぐにスイッチ入るよなぁ』とおっしゃいました。

 皆それなりにサッカーをやると熱くなるのですが、僕と尾形くんは特に熱くなりやすく、よく対戦相手を苛々させてしまい、結局相手から故意に蹴られたりして怪我をする事があります。

『そうですねぇ、皆そこまでは、なりませんもんねぇ』などと言っていると、丁度僕たちが座るベンチの前あたりにボールが転がって来て、それを追いかけジェントルと対戦チームのディフェンダーがもつれながら走って来たのですが、その時ジェントルがおもいっきり『おしてる!おしてる!おしてる!』と叫んでいました。

 サッカーで歯止めがきかない男がもう一人いました。

僕が笑うとジェントルも恥ずかしそうに笑ってました。

 

2007年9月22日 (土)

『ラ・ゴリスターズ』

 『ラ・ゴリスターズ』

というユニットがあります。

 メンバーは

●ハイキングウォーキング

●平成ノブシコブシ

●イシバシハザマ

 そして我々ピースです。

 その『ラ・ゴリスターズ』のホームページがあるのですが、そこでメンバーそれぞれがメンバーの誰かに質問を投げかけ、質問を受けた方が、それに答えるという交換日記的なブログを始めましたので、よろしければそちらも覗いてみて下さい。

2007年9月21日 (金)

『肩』

先日、仕事に行くため朝七時の電車に乗った。

身動きがとれないほどの満員ではなかったが、その車両で誰にも触れることなくソーラン節を踊ることなど不可能な程度には込み合っていた。

 僕の右斜め後ろで英単語の本を広げ勉強している女子高生も窮屈そうに自分の左右の肘を密着させ、手に持った本を顔に近付け睨んでいた。

 時々、女子高生の英単語の本の角が僕の肩に刺さって痛かった。

 どこかの駅で大量に乗客が雪崩込み車内は更に窮屈になった。

それでも女子高生は英単語を覚える事を諦めなかった。

あまりに狭い車内で無理をするため、女子高生の本が僕の右肩に乗ってしまっていた。

 正確に言うと、初めは肩に乗っているように見えるだけで本の重量そのものは女子高生が手で持ち上げて支えている状態だった。

 しかし、途中で女子高生は何を血迷ったのか英単語の本を完全に僕の肩に任せてしまった。英単語の本が肩にグイグイと食い込んで痛い。

僕の肩が支点となり、恐らく先程まで不安定であったであろう英単語の本はしっかりと固定されている。

まさか、このような形で自分の肩が他人に有効利用されるとは思いもよらなかったので本来ならば喜ぶべき事なのかも知れないが、その時の僕にとっては心の負担でしかなく、何をしてんねん?という気持ちが高まっていた。

なんとなく自分の右肩に乗せられた英単語本でどのような単語を覚えようとしているのか気になり、かなり無理な姿勢ではあったが英単語本を覗いてみる事にした。

しかし、それは中々容易な事ではなく、顎をひき頭を少し後ろに倒し右目に全神経を集中させたが女子高生の手が邪魔で全く見えない。

僕が一人で頑張っている内に、いつの間にか電車がトンネルに入った。

『はっ』、として前を見ると、窓に情けない態勢の僕が映っていて、その僕を女子高生が冷たい流し目で見ていた。

知らぬ間に勉強の邪魔をしてしまっていたようだ。

2007年9月18日 (火)

『hon‐nin』

『かっこよすぎるだろ!』

 数年前、東京郊外にあるデパートでサランラップを促進販売するアルバイトをやった事がある。

Yシャツの上から黄色いエプロンを着用し、普通ならば大概爽やかにならざるを得ない格好なのだが、僕がやると何故かイビツでコント衣装にしか見えず鏡に写る自分を見ては赤面していた。

同じフロアーで品出しに励む店員のオバさんは挨拶しても完全に無視で凄く怖かった。

僕に任された作業は複雑ではなく、お客さんに声をかけ売り場にあるサランラップを販売して、それが無くなるとバックルームにサランラップを取りに行き再び売り場に戻るという繰り返し。

爽やかな笑顔を作るのは苦手だが、お客さん一人一人に秘密の話を打ち明けるかのように声をかけ続けた。

僕は一生懸命朝からずっと『いらっしゃいませ!』、『いらっしゃいませ!』と声を張り、他にも時々、お客さんにサランラップの使い方を実践してみたり、子供に風船を配ったりした。

そして売り場にサランラップが無くなると又バックルームに取りに行く。

次第に僕の中で売り場とバックルームの境界があやふやになり、一度バックルームでカゴにサランラップを積んでいる時、足音が聞こえたので思いっ切り『いらっしゃいませ!こんにちは!』と叫んでしまい、よくよく考えたらバックルームには店員しかいないので、とんでもない奇行をしでかしてしまったと恥ずかしくなった。

何となく誤魔化すために今度は小さな声で『いらっしゃいませ』と、つぶやき、先程の意味の解らない『いらっしゃいませ!こんにちは!』が、さも練習であったような感じを出そうとしたが、それはサスガに無理があり、自分で『うそつけ』とツッコンでみたり、『何してんねん俺…』と寂しくなったりした。

 同じフロアーのオバさんに『バックルームで間違って声出しちゃいましたよ』と言おうと思い声をかけても、やはり無視。

その辺りから同じフロアーのオバさんは、僕の中でただの意地悪なババァになった。

そのアルバイト中、僕はずっと不安でとんでもなく遠い所に一人で来てしまったような感覚に陥っていた。

そして、ようやく昼休みの時間になり食堂に行った。

しかし僕は帰りの交通費しかお金を持っていなかったので何も食べる事が出来なかった。

腹減ったなぁ、普通に働いてたら二十歳を過ぎた大人が空腹を我慢することなんか無いはずなんやけどなぁ、実は二十歳越えてないんかなぁ?などと色々考え空腹を忘れようとしたが無理だった。水を三杯程飲んで、自分よりも大きなチョコクロワッサンと戯れているところを想像してみたりしていると、数人の知らないオバさんが僕の側にやっきて『ほら食べな』と僕の前に、唐揚げ定職ののったおぼんを置いた。

何が起こったのか解らず『えっ?』と言うと、オバさん達は他の席に移動し、その移動した席の中央に、さっき散々僕を無視した同じフロアーのオバさんがいて、周りの人が僕に向かってオバさんを指差したりして、オバさんは『いいよ~みっともない』みたいな感じで周りを受け流していた。

信じられない事に同じフロアーのオバさんがご馳走してくれたのだ。

僕がオバさんの席まで行って『すみません…』と言ってみたものの、どうすればよいのか迷っているとオバさんが『しっかり食べないと午後から力出ないよ』と言った。

何故こんなに人に優しく出来るのだろう?と思った。

あの時のオバさんは、かっこよすぎた。

恩人になったオバさんに午後からフロアーで挨拶すると、何故か?というより、やはり無視された。

 松尾スズキさんがスーパーバイザーの『hon‐nin』という文芸誌があります。

その中に、何人かが共通のお題でコラムを書くコーナーがあり、そこで僕も短い文章を書かせていただきました。

今回のテーマは『かっこよすぎるだろ!』でした。

上に書いたものとは全く別の文章を書いているのでよかったら読んでみて下さい。

僕の人生にはデパートのオバさんのようなかっこよい人との関わりが今までにかなりあり、誰との事を書こうか随分悩みました。

考えている内に、かっこよすぎる人と自分の間に圧倒的な距離感があるような気がしてきて、『hon‐nin』の文章は、その辺りの感覚が反映されたものになっています。

ちなみに前回の『hon‐nin』にも書かせていただき、前回のテーマは『生き地獄』でした。

お暇な時など、そちらも合わせて御覧下さい。

2007年9月16日 (日)

『童貞。をプロデュース』

 昨日、池袋シネマ・ロサで松江哲明監督の『童貞。をプロデュース』という映画を見た。

無茶苦茶笑った。そして笑った。思い出して再び笑った。

最終的に笑い終えた後、もう一度見たくて寂しくなった。

また10月頃に渋谷の映画館でも上映されるようなので必ず見に行きたいと思う。

その映画のポスターを描いておられる漫画家の武富健治先生を上映後おみかけした。

 今日は、仕事の合間に武富先生の短編集『掃除当番』、『屋根の上の魔女』を読んだ。

こちらも物凄く面白かった。

僕の中の年老いた神経。思春期の頃は確かに四六時中激しく活動していたはずなのだが、長い間刺激を受けず眠っていたために、もはや消滅したか?とさえ思われた神経に再び熱を通わせてくれた。

そして更に昨夜、また別で御本人から直接頂戴した『Gellers』(ゲラーズ)のCDを聴いて感動し、そのかっこ良さの虜となった。永遠と繰り返し聴いている内に昨日とか今日とか解らなくなって現在に至る。

2007年9月15日 (土)

『疎通』

 同期のキシモトマイと、後輩であるジューシーズの児玉と3人で御飯を食べに行った。

相変わらずキシモトさんと児玉くんは会話がほとんど噛み合っていなかった。

キシモトさんは、児玉くんを見て開口一番『鎌倉以来だね~』と言い、それに対して児玉は『違いますよ、この間会ったとこじゃないですか』と言い、するとキシモトさんは何事もなかったかのように『だよね』と言った。

僕には全く意味が分からず、僕は二人のふにゃふにゃな問答に言語酔いしそうになった。

お店に向かう途中、先頭を歩くキシモトさんが前を向いたまま僕達に話しかけたが、僕達は後ろにいるのでキシモトさんが何を言っているのか、ほとんど聞き取れなかった。

児玉くんが、そんなキシモトさんに後ろから『なんすか?』と声をかけると、キシモトさんが振り返って児玉くんに『ジャスコ?』と聞いた。

キシモトさんは児玉くんが言った『なんすか?』を『ジャスコ?』と聞き間違えたようだった。

すると今度は児玉が『あ~ジャスコ。ジャスコがどうしたんですか?』と更に聞き返した。

児玉くんは、その『ジャスコ』が自分の『なんすか?』という若者言葉から生まれた事に気付いていないようで危うく二人はジャスコの話を初めてしまいそうだった。

辛うじて全貌を把握していた僕が二人に『ジャスコ』の正体が児玉が発した『なんすか?』である事を説明してキシモトさんが『あ~そうなんだ。じゃあ、また後でね』とやはり意味不明の言葉を放ち、その意味不明の言葉に児玉が『は~い』と返事をした頃ようやく僕達三人は店に着いた。

キシモトさんが、お店を珍しそうに眺めながら『又吉くん色々お店知ってるね~』と言うと、児玉くんも同じく『そうですね』と言った。

ようやく二人の意見が一致した。

しかし、そのお店はキシモトさんとも児玉くんとも行った事のあるお店だった。

2007年9月 7日 (金)

『自動販売機の横に設置されたゴミ箱』

 自動販売機の横に設置されている空き缶専用のゴミ箱。

 丁度太めの缶が入るくらいの穴が2つあいているタイプのゴミ箱。

 最近、あの片方の穴にスターバックスやドトールなどコーヒーショップのものと思われる透明の容器が突っ込まれているのを頻繁に目撃する。

コーヒーショップの容器は上の方が大きいので最初はすんなり入るのだが、結局蓋の部分でつかえてしまう。

毎回あれを見る度に、『何で行けると思ってん?』という気持ちと同時に少し容器が哀れで寂しくなる。

体半分入った状態で頭だけ外に向けている容器は物凄く恥ずかしいはずだ。

しかも次の人が空き缶を捨てようとしたら、1つ穴が塞がっていて、『何してんねんコイツ?』と必ずムカつかれ、その度に容器自体は悪くないのに自責の念にかられるであろう心境を想像すると可哀想で仕方がない。

 尚更寂しいのが、濁った液体が少し残っている容器が穴に詰まっているのに遭遇した時だ。

ストローをこちらに向けて、『私みたいなもので、よろしければお飲み下さい』と、こびへつらってるようにさえ見える。

 とても可哀想だ。しかし助ける事は出来ない。無理やり穴から救いだそうとすると、蓋とストローだけ取れてストローに付着した液体が跳ね、手がベトベトになっり服が汚れたりしそうだからだ。つまり可哀想ではあるが自分の身を削ってまでは助けてやりたいと思わないという事だ。

可哀想な容器をほどよく救う最善の方法は、お揃いの容器を持って来て、もう片方の穴にも同じように差し込むしかない。

そうすれば未来のロボットみたいになってカッコいい。

飛び出した細長い目から、ラテとかエスプレッソのビームを放射して道行く人々を睡眠不足にするのだ。

それでもラテは流れ続け、人間はラテまみれになる。人肌ラテ。人プレッソ。人間絡めるマッキャート。

2007年9月 2日 (日)

『hype』

 芸人のフットサルリーグ『hype』の決勝トーナメントが先日行われ、僕が所属する『鴉』が優勝しました。

ちなみに僕は得点王にもなりました。

 昨日は体力的にしんどかったので、2試合目が始まる前に『次、俺ベンチスタートでええかな?』としんどそうに言うと、チームメイトとは言え後輩のはずの尾形君に、『ダメです』と完全に否定され結局全3試合にフル出場を果たしました。

 なにはともあれ今回は優勝出来て良かったです。

『hype』の携帯サイトが出来たそうです。

お時間ありましたら、のぞいてみてください。

2007年8月31日 (金)

『夏を満喫していますか?』

 職業がら芸人の中には言葉に癖がある人が多いと思うのだが、日頃から面白さと腹立たしさの両面で特に僕の耳にひっかかるのが、しずる村上の言葉だ。

 度々、村上は小説の登場人物のような言葉を発する。

しかし極端な装飾語ではなく、一般の許容範囲からかけ離れているわけでもなく、本人も意識的に言っているわけではなさそうなので、わざわざ会話を中断してまで指摘するのが躊躇われる。

そのため会話をしている時は何だこの表現?と思うのだが時間がたつと、どんな言葉であったか思い出せない事が多い。

村上の言葉はその瞬間に捕まえなくてはいけないのだ。

いつからか僕は、そんな村上のキザというか爽やかというか独特な表現を、少しの腹立たしさを感じながらも期待するようになってしまった。

そして昨日。

渋谷無限大ホールのライブで村上と久しぶりに一緒になった。

村上が僕を見つけて近寄って来る。

村上の言葉は、その瞬間に捕まえておかなくてはいけないのだ。

村上の口が開き言葉が出る。

『又吉さん…夏、やってます?』

捕まえた。

2007年8月26日 (日)

『昨夜電車の中で』

 帰りの電車の中。

吊革を握るか、否かを思案していると背後から非常にやかましい音が聴こえてきた。

何事か?

そう思い背後に首を降ると、僕の後ろに立っていた若い男の頭にかかりそこなったヘッドフォンが男の鎖骨の辺りで揺れている。

『鎖骨伝導』なるものを聞いた覚えは無いが、もしかするとそのような物があるのかも知れない。

しかし、どちらにしても男の鎖骨界隈は雑音の祭典の如くやかましい。

自分の耳にしっかりとヘッドフォンを装着して聴く程でもない心境ならば、車内では他の乗客に迷惑をかけてまで音楽を聴かなくても良さそうなものだ。

諦めに近い気持ちで、試しに男の鎖骨に響く音に耳を傾けてみると、ビートルズだった。

みんな聴いた事あるわ。何でわざわざ最悪のコンディションで聴かせなあかんねん。などと思いながら、あからさまに舌打ちを鳴らし男を睨む自分を想像してみたが、男によって二度とビートルズを聴けない程にしばき倒される可能性を敏感に感じとったので知らぬふりをして窓の外の流れる風景に目をやった。

すると何故か頭の中で、『なおき~!』と、姉が二階にいる僕を一階から呼ぶ声が響いた。

あっ、

これはあの曲だと思った。

中学時代、ビートルズに夢中になり毎晩のようにビートルズを聴いていた時期があった。

そんなある夜、階下から姉に『なおき~』と呼ばれた。

飯か?と思い下におりると姉は呼んでいないと言う。

その時は幻聴かと思ったのだが、それ以降もビートルズを聴いている時に、度々姉の声で『なおき~』と呼ばれる事があった。しかし毎回姉は『呼んでいない』と言う。

しかも決まって同じ曲の同じタイミングでその音は聴こえる。

後々解ったのだが、その曲の楽器の音か、コーラスか、ただのノイズかは不明だが、階下から姉の声で『なおき~』と呼ぶ声と凄く近い音が入っていたのだ。

その曲を電車の中の思いがけない状況で久しぶりに聴き、姉の声こそ聴こえては来なかったが懐かしかった。

あれは何という曲だったか?勿論怖くて聞けなかったけど。

そんな事を考えながら、電車を降りたのだが、鎖骨伝導男も僕と同じ駅で降りたため、相変わらず僕の背後はやかましくて、『もうええわ』と思った。

2007年8月23日 (木)

『夢の街』

この間、神保町の大型書店が発行するフリーペーパーの取材を受けた。

嬉しかった。

昔から古本とカレーが好きな僕にとって神保町は特別な街である。

 上京して間もない頃に神田でアルバイトをしていた事もあり、吉本興業の本社が赤坂から神保町に移転する以前から、僕は神保町の古本屋を一人で緊張しながらまわったりしていた。

そんな僕が神保町の書店が発行するフリーペーパーの取材を受ける事になったのだから、やはり緊張していた。

取材では主に古本の話を調子にのって話していたのだが、取材の最後で色紙に『「神保町とは?」という題で何か言葉を書いて下さい』と言われた。

一気に汗が出た。僕は無茶苦茶字が下手なのだ。

下手なりの味があればまだ良いのだが、それさえも一切ない。単純にどの角度、視点から見ても下手なのだ。これは恥ずかしい。よく人から『え~!こんな字書くの?』とガッカリされるのだ。

何か打開策はないか?と思案し、『他の人はどんな感じで書いてるんですか?』

と、他の方々(書店員、作家)が書いた色紙を見せていただいたのだが皆ことごとく達筆で凄くかっこ良いものばかりだった。

さっきまで『初版本がどう…』とか『絶版がどう…』などと偉そうに語っていたのが完全なフリになり、汚い字がかなり面白くなってしまうなぁ、と思いながらも観念して小学生のような字で、『夢の街』と書いた。

帰り道、僕は一人で何故か笑ってしまった。そのような恥をかくのが少しだけ僕は好きなのかもしれない。

2007年8月19日 (日)

『少シ涼シイ』

 昨夜ハ名古屋デ舞台ノ後、手羽先ヲ食ス。

美味シクテ、コボレ落チタ頬ヲ取リ付ケルノニ随分苦労シタ。

定員サンノ提案デ、味噌カツノ味噌ヲ頬ノ裏ニ塗ルト案外簡単ニクッツイタ。

本日ルミネニテ漫才ヲ二本。

ソシテ夜。深夜三時頃マデ開イテイル古本屋ガ吉祥寺ニ復活スル事ヲ切ニ願ウ。無理ダロウナ。

三鷹、吉祥寺ノ大キナ地図ト、全国地名事典ガ欲シイ。

2007年8月17日 (金)

『例年』

 毎晩暑くて過しにくいのだが、エアコンを使っていないためか例年に比べて体調が良い。

去年や一昨年は、この時期になると一日に一食、かろうじてカキ氷系のアイスが食べられるくらいだったのだが、今年はチョコレート系のアイスも食べられる。

モナカのアイスは厳しいが半分ならば食べれそうだ。

 そして例年ならば、この時期は毎晩悪夢にうなされていたが、今年はお花と風車とプリンが出て来る夢ばかりで夜通しうなされるような事はなく、朝方に若干うなされる程度だ。

 更に例年ならば、毎年春に買う草履も8月に入るとボロボロで殆ど原型をとどめておらず、黒い鼻緒が親指の上に、ちょこんと乗っているばかりで、ほぼ裸足なのだが、今年は草履の持ちも良く、底が擦りきれて踵が痛むのと土踏まずが異様に熱を持つ事を我慢し2m離れた所から薄目で見ると、まるで新品のようだ。

何より例年ならば、例年と比べた所で同じ様なものなのだからわざわざ例年と比べたりしなかったものだが、今年は例年と比べている。

他社製品と自社製品を比べて公表するのは、自社製品が優秀な時に限るのだ。

そう言えば、子供の頃は例年と比べられるのが嫌で嫌で仕方無かった。

何かあるとスグに『例年のお前は、ああだったのに、それに比べて今年のお前は…』とか『お前の例年はもっと凄かったぞ』とか『例年と今年で、ここまで差が出るもんかね?』とか『お前の例年は元気か?先生がよろしく言っていたとお伝え下さい』などと事あるごとに例年と比較され、その度に『俺は俺であって、例年とは違う。なぜ例年と比べるのだ』と深く傷付き悩んだりしていた。

初めて会った人に挨拶しても『あ~あの例年の、今年さん?』とスグに例年を持ち出される。

僕は僕だ。確にその時の僕は例年の延長線上だったかも知れない。

だからと言って、例年と比較されなければ、自分の実像が浮かび上がって来ないなんて今の僕自身の存在意義はどこにあるんだろうか?

全ては何かの枠に物事を当てはめないと不安で何も把握出来ない人達の偏った物の計り方であり、『誰が何と言おうと、僕は僕だ』と自分に言い聞かせ無理やり納得しようとするのだが、結局今の僕は来年の僕にとっての例年の僕なのでは無いか?という考えに至り、どこにも逃れられなくなって一人苦しんでいた。

そんな僕が今では自ら例年の僕と今の僕を比較をしている。

今の僕が僕として確固とした意識と信念を持ってさえいれば、例え例年と比べられ場合によって否定されようとも今年の存在意義は揺るがないのだ。

それにしても例年と比べて今年は暑い。

しかし、それは今年が無茶苦茶暑いだけのことでもある。

2007年8月12日 (日)

『メール』

 最近、大阪に住む七歳の姪から僕に時々メールが届くようになった。

そして先日、『きょうおまつりにいったよ!』という可愛らしいメールが送られて来たので返事を送ろうと思ったのだが、『いいなぁ』と打ったところで手が止まった。強く、『いいなぁ』と思いはしたのだが、その他には特に何の感想も持ち得なかったのだ。

しかし、『いいなぁ』の一言では何か寂しすぎる。かと言って、思いもしない感情を取り繕って連ねるのは気が引ける。

結局、『いいなぁ。トウキョウはあついけどオオサカもあつい?』と、会話が無い時の常套手段、天気の話を七歳の姪に持ちかけてしまった。

友達の親と接する時のような距離感に気持悪さを感じたが、暑いことに嘘は無いのでよしとした。

すると数分後、『おおさかはあつくないよ、ふつうやで』と、姪から返信があった。

大阪は暑くないらしい。

 その夜のニュースで、『全国で真夏日が続いています…』と原稿を読みあげるキャスターの声に合わせ全国各地の映像が流されていた。その中には大阪の映像も含まれていたが、きっと何かの間違いだろう。

2007年8月 9日 (木)

『日夜、熱帯真夏』

『真夏日』と『熱帯夜』。どちらも暑い夏を指す言葉である。

なんとなく『熱帯夜』は会議で決まった感があるが、『真夏日』は個人で決めたような単純性と、それだけに終らせられない偶然性があるような気がする。

しかし、そんな事はどうでもよい。

とにかく、暑い。築60云年のアパートではエアコンを設置出来る環境が整っておらず毎晩扇風機がおこす、ぬるい風を浴びながら眠るのだが、すぐに目が覚める。

切羽詰まって、最近近所にオープンした大型デンキ店で小型冷蔵庫を購入した。

一見要を得てないようだが、僕の部屋には冷蔵庫さえも無かったため熱帯夜に目が覚めたら近所の自動販売機まで飲み物を買いに行かなければならなかったのだ。

しかし、小型冷蔵庫さえあればスグに冷たい飲み物を飲むことが出来る。しかも、小型冷蔵庫が部屋にあるだけで涼しそうだ。

冷蔵庫が部屋に届くと、早速電源を入れ、中にスポーツドリンクを冷やして仕事に行った。仕事を終え、家に帰り、小型冷蔵庫の扉を開ける。神秘的な光を放つ冷蔵庫内からスポーツドリンクを取り出して飲んだ。しかし飲んだ瞬間ノドは潤うどころか更に渇いた。ぬるい。無茶苦茶ぬるかったのだ。

何これ?と思い、説明書を読むと『一般の家庭用冷蔵庫とは冷却方式が全く異なりますので、一般家庭用冷蔵庫より冷却機能がやや低下します。』とあった。

『いや普通の方式でいいねん、従来より冷却機能が劣るような方式を何で取らなあかんねん?』と思った。

その他にも、『ベッドルームでワインやソフトドリンクを楽しむ際に御利用下さい』などとあった。

そんな余裕は無い。こっちの事情など向こうは知るはずもないが、僕は切羽詰まった状況を打開するために小型冷蔵庫を買ったのだ。

冷蔵庫として売り場に並んでいたのに誰があまり冷えない可能性を想定出来るだろうか?

製造会社に問合せると、担当者から説明書に書いてあるのと大体同じことを説明された。

苦情のつもりで電話をかけたが、相手はまれに聞く優しき声の持ち主で一向に怒る気がわいてこない。

それどころか、確かに感じていた怒りも、『まぁ、しゃあないか』と諦めに変わりつつあった。

とはいうものの、やはり一番気になっていた疑問は解決したい。

『何で冷却機能が低くなるデメリットを背負ってまで、その方法で開発する必要があったんですか?』

すると先方の男が、『いや~夜中とかに、よく冷蔵庫から聴こえる低い「ブォー」って音あるじゃないですか?あれを消したんです』と答えた。

なるほど、それは凄いけど。

2007年8月 5日 (日)

『神保町花月と秒殺』

 昨日、我々ピース班の神保町花月公演が終わりました。

お忙しい中、足を運んでくださった皆様、ありがとうございました。

 五日目くらいのアンケートに、『又吉さんの芝居レベルに合った設定が必要だと思います…』と、そのような内容のものを発見し、何かの間違いで誘われていない誕生日に勝手に行ってしまい、『何で来たん?』と聞かれた時のような居心地の悪さを感じた事もありましたが、最後まで心を折る事なく楽しく演じることが出来ました。

ちなみに何人かで、僕の演技レベルに合った設定を考えてみましたが、結局、『「ピース物語」をするにしても又吉役は他の人間に任せた方が良い』という結論に帰結致しました。

もう笑うしかないです。しかし、再び神保町花月に出演させていただける機会があれば何とか頑張って成長したいと思います。

とにかく、ありがとうございました。

 そして先日告知させていただきました、COWCOWさん主宰のギャグイベント『秒殺』も満員で大盛況でした。

ありがとうございました。

2007年8月 3日 (金)

『虹』

気が付いたら午前五時。

中央線の始発が数分前に走り出している時刻であった。

神保町本社のロビーで、アイスミルクティーを飲み呆けていた僕だが、いい加減重い腰を上げて帰る事にした。

本社から出ると、尋常ではないほど湿度が高く、今にも雨が降り出しそうだった。

丁度同じタイミングで本社から出た後輩と、『雨が降らぬ間に急ごう』と、水道橋の駅を目指したが少し歩いた所で雨がポツリポツリ落ち始め、すぐに強い雨になった。

 僕達一同は、誰からともなく走った。

途中、小路から出てきたオッサン集団の内の一人が空を仰ぎ、『これ、雨降りそうだね~』と言った。

もう結構降っている、と思った。

もしかすると、ある程度雨に濡れなければ雨は感知出来ないのだろうか?

となると、僕が本社を出て、『今にも雨が降り出しそうだ』と思った時点で雨は降っていたんじゃないか?

そんな事は無い。オッサン達は酔っぱらっていたのだ。

帰りの電車で、僕達の前の座席に物凄くいかついスキンヘッドのスケーターが座った。

その隣で眠るサラリーマンの頭がスキンヘッドのスケーターの肩にあたった瞬間、スキンヘッドのスケーターがサラリーマンの頭をこずき、サラリーマンは電車を降りた。

スキンヘッドのスケーター恐ろしすぎる。

その時、車窓から南の方角に虹が架っているのを発見し、『あっ、虹や!』と思わず言ってしまった。後輩達も、『うわ~本当だ~』などと騒ぎ出した。

すると、前方の虚空を睨みつけていたスキンヘッドのスケーターが一瞬振り返って虹を盗み見た。

こんなに無茶苦茶いかつい奴でも虹は見たいのか、と思うと少し安心した。

2007年7月25日 (水)

『ライスと神保町花月』

一緒に神保町花月で、『クリープ』というお芝居をやるメンバーを、なんとなく稽古場で写真に撮ったりしています。

 僕は基本的に何も言わず近寄って行き勝手に写真を撮るので、大体みんな『何やねん、コイツ』みたいな顔をするのですが、シャッターを押す瞬間は一応みんな黙るのが、何か面白いです。

カメラに対しては誰もが従順なのです。

 今回は東京NSC9期生の『ライス』というコンビに写真を撮らせて貰ったのですが、何の間違いかミュージシャンの『キリンジ』みたいになってしまいました。

『キリンジ』の数年前のアルバムのジャケットにこんな写真があったような気がします。

 今回のお芝居の最初の稽古が始まる前日に、『ライスのメガネをかけている方』こと『42.19関町』君に、『明日から頼むわな』とメールを送りました。

すると関町君から『はい、演じましょう。』というおかしな返信がありました。

『明日からよろしく』くらいのテンションでメールを送った僕としては、まさか『演じましょう』と返って来るとは思わなかったので、若干ひいてしまいました。

しかし、関町君は毎回必ず稽古前に、『演じましょう』と言います。

 一方、相方の『ジン田所ジン』君は、昨日も今日も元気です。


2007年7月22日 (日)

『神保町花月』

7月28日~8月3日まで神保町花月にて、我々ピースを中心としたメンバーで『クリープ』という、お芝居をやらせて頂きます。

 最近は毎晩のように稽古場に集まっています。

 今日は、東京NSC10期生『フルーツポンチ』の2人が出る場面の稽古があり、村上くんは楽しそうに頑張ってくれていましたが、ケータリングのお菓子を少し食べ過ぎかな?と思いました。

 一方、東京NSC6期生『ロシアンモンキー』の中須くんは午前3時を回った辺りから一気に顔が優しくなります。

最近お父さんになったからでしょうか?

それとも只の老いでしょうか?

 『クリープ』の本番までに、村上くんの菓子好きが高じて自分で焼いたクッキーを稽古場に持って来ない事と、中須くんが本当に老けない事を切に祈ります。



2007年7月21日 (土)

八月四日『秒殺』

 COWCOWさんが主宰するギャクのイベント『秒殺』に出演させて頂く事になりました。

今回はトーナメントで優勝を決めるそうです。

あまり僕がギャクをやっているとこを想像出来ない方もおられると思いますが、頑張ります。

他の出演者の方々は皆さん強力なので楽しみです。

 『秒殺』

●日時

 八月四日(土)

 開場:十八時半

 開演:十九時

●場所

ルミネtheよしもと

 

2007年7月19日 (木)

『hipe』

はじめに、芸人フットサルリーグ『hipe』の携帯サイトが出来たそうで、色々と出場チームの情報が見れるらしいので、お時間ある時によろしければ見て下さい。

宜しくお願い申し上げます。

今日は、その芸人フットサルリーグ『hipe』がありました。

僕が所属する『鴉』は今回2点取って勝ちました。

今日でリーグ2位になり、来月末にあるトーナメントの組み合わせが決まりました。

一回勝てば大阪吉本のフットサルチーム『ベッツ』と対戦出来るので楽しみです。

『ベッツ』には、僕の中学校時代の同級生である『難波横山』の難波くんと、横山くんがいるのです。

難波くんとは1年と3年の時に同じクラスでサッカー部でも一緒で常に行動を共にし、あまりにも仲が良すぎたため『又吉オカマ説』が囁かれた事さえあります。

横山くんには誕生日にメールをするのを忘れたため会うのが少し気まずいです。

だからといって横山くんが僕の誕生日にメールを送って来なかったのは少し納得が行きません。

彼が6月1日生まれで、僕が6月2日生まれなのです。

誕生日の前日は忘れてしまうこともあるでしょうが、その逆はないはずです。

とりあえず再会の第一声は『おめでとう』って言おうと思います。

最後になりましたが、芸人フットサルリーグ『hipe』の携帯サイトが出来たらしく、色々と出場チームの情報が見れるらしいので、お時間ある時によろしければ見て下さい。

宜しくお願い申し上げます。

2007年7月18日 (水)

『ゴキブリ後記』

やはり6畳一間はゴキブリと共存するには狭すぎる。

それに『毎月家賃と共益費を納めているのは僕である』そのような事を考えると、ゴキブリの動きを傍観している場合では無い。

そこで、99円ショップにてゴキブリ退治と称された6個入りの小型円形状起き薬を購入した。

 正直、6個で99円という甚だしき安さに不安を感じたが止むを得ない。いかにもゴキブリが通りそうな所へ設置した。

そして3日程過ぎただろうか?

夜更けに、玄関の側からカスサコスサスカシカコスカという金属を擦るような奇妙な音が聴こえた。

テレビの『1』だった音量を『〇』にすると音はより明確に聴こえた。

カスサコスサスカシカコスカに混ざり時折カツンとかコツンという音も聴こえる。

少ししか飲まずに残こしておいたココアのカンが鳴る音だ。後で飲もうと玄関に置いていたのだ。

重い腰を上げ、恐る恐るココアのカンを見ると飲口に頭を突っ込んだ巨大ゴキブリがいた。

置き薬を飲んだのかゴキブリは鈍い動作でカンの上を動いている。

それを見た時に、『コイツは意思を持っている』と思い気持ちが悪くなった。

駄目だ。ゴキブリに勝てない。

2007年7月14日 (土)

『困った』

とうとう家にゴキブリが出た。

 実は一月程前にもゴキブリらしきものを見かけていたのだが、その頃はまだ6月初旬であったし自分の部屋にゴキブリが出没するという事実を現実として受け入れたくなかったので無視していた。

しかし昨日、再びゴキブリらしき黒い物体を見て絶望を感じた。

『らしき』、というのは余りにもそのゴキブリが大きかったからだ。

ゴキブリという種族が既に超一流の気持ち悪さを誇っているのに、大きなゴキブリなどは最早悪魔の使いのようなものだ。

小さく見積もっても、ハッピーターンとおなじくらいの大きさはあった。もちろん存在自体はハッピーターンの対極に属する。

 自分にはリアルにあのゴキブリを倒すところが想像出来ない。あんな大きなものを殺すのには抵抗がある。苦痛だ。大きな虫と動物の境界線もよく解らない。どちらも動いている。

生命の危険を感じているわけではない。

本気で戦えば、相当な失敗をおかさない限り僕がゴキブリに殺られる事は無い。

大きなゴキブリと言ってもゴキブリの世界における尺度であり、僕がもしゴキブリであったとしたら現代のゴキブリ界には存在しない神話的な巨大ゴキブリである。

この絶対的な力関係が又面倒臭い。僕の判断力と行動力を鈍らせる。

いっそのこと『殺らな、殺られる』と思わせてくれるならば僕も戦えるだろう。

だが僕の勝ちは限りなく絶対に近い。

この精神的余裕によって今まで逃して来た喜びがゴキブリの他にもあったような気がするが、一向に戦う気がしない。

殺虫剤も嫌だ、死骸を見たくないのだ。

出て行ってくれないだろうか。

2007年7月11日 (水)

7月28日(土)~8月3日(金)

 この度、神保町花月にて『クリープ』という、お芝居をやらせていただく事になりました。

 場所は神保町の古書店街を少し入ったところでございます。

 神保町で好きな本を見つけたあと、遊びにいらして下さい。お待ちしております。

●日程:7月28日(土)~8月3日(金)

●開場:18時半

●開演:19時

●出演者:ピース、ロシアンモンキー、シューレスジョー、ライス、ジューシーズ、スリムクラブ、フルーツポンチ、他。

宜しくお願い申し上げます。

2007年7月 7日 (土)

『風呂』

木曜日の午後四時。

『弁天湯』が休みだったので風呂道具を持ったまま僕は吉祥寺の片隅で一人途方に暮れていた。

『弁天湯』が休みということは、確か『よろず湯』も休みだったはずだ。

漫画喫茶でシャワーだけ浴びるようかとも思ったが湯につかりたい気がした。

そういえば、キシモトさんが『五日市街道沿いに古い銭湯があるとバイト先で聞いた』と話していたのを思い出し、キシモトさんに電話をかけてみた。

キシモトさんは丁度バイトが終わった所だったようで銭湯まで案内して貰う事になった。

キシモトさんは自信ありげに『案内するよ』と言ったものだから僕はてっきり、その銭湯の場所を完全に把握しているものだと決め込んでいたのだがキシモトさんは道行くおじさんや、パン屋のおじさんに何度も銭湯の場所を訪ねていて僕を不安にさせた。

途中道路を挟んで左手に『モータープール』という看板が見えた時、キシモトさんが突然テンションを上げ『あれっ?ここプールあるじゃん!』と小学生のような事を言い出した。

僕も昔、近所で『モータープール』という看板を発見し、その周辺を友達とプールを探し歩きまわった記憶があるが、それは20年も前のことだ。

五日市街道を進むと成蹊大学の少し手前の道を右に入った所に『鶴の湯』という時代を感じさせる立派な風格の銭湯があった。

キシモトさんは『あっ、よそは木曜定休日だけど鶴の湯は金曜が定休日なんだ、じゃあ今日は休み前の汚っねぇお湯だな』と失礼なことを言って、そのまま帰って行った。

これから入る人の気持を考えないのだろうか?

中に入ると大正時代にタイムスリップしたような雰囲気で、お風呂も気持ち良かった。

巨大な富士山の絵は『弁天湯』と同じ人が描いたんじゃないか?と思った。

2007年7月 5日 (木)

『火の玉』

 先程まで漫画を読んでいたのだが、窓から涼しい風が吹き込んで来たので散歩に行く事にした。

舗装された道が雨で湿っているのん確認しながら歩き、草履が滑らないよう地面をしっかりと踏むことを意識しながら歩き、上がったままの踏み切りが近付いて来て『もう電車は走らない時間だな』などと思いながら歩いていると前方で、『ヒュ~ン パァァ』。と鳴った。

少し意識を逆流させると『ヒュ~ン』の前に火の粉が空中に昇り、僕は『あっ、火の玉だ』と思った。

少しだけ驚いたが何の疑いもなく『あっ、火の玉だ』と思えたことは僕を安心させた。

少し意識を逆流させると『あっ、火の玉だ』と思った直後に音が鳴ったので、何の疑いもなく火の玉だと思った直後には、その正体が花火だとわかり、それと同時に『花火』を『火の玉』と間違えれてなんか良かったと思ったのだ。

踏み切りを越え、坂道を下り公園に至ると花火を打ち上げていた面々が僕を出迎えてくれた。

全員外国人の方々で黒人の女性が手持ち花火を振り回しながら僕に寄って来て聞き取れない言葉を発しとても面倒だったので、適当に『それは花火じゃない』と繰り返し言い続けた。

僕のその言葉にも何の大意も無かったが、黒人女性の方では勝手に何とか解釈していたようだ。

最後に女性が『今日ハ、アメリカのインディペンデンスディ』と江戸っ子みたいに呟いたが僕には意味が解らなかった。

『さよなら』と言ったら、黒人女性も『サヨナラ』と言った。30歩ほど進んだ時に、後ろの外国人集団を振り返りたい衝動に駆られたが我慢した。

もしも手を振られたら手を振り返さなければならないと思ったからだ。

2007年7月 3日 (火)

『又吉さんあの…』

 人の話を聞く時、その音の響きと自分の知っている言葉を瞬時に結びつけて、その言語が何であるかを理解するのだが、疲れてくるとその機能が馬鹿になり、うまく言語を把握することが出来なくなる。

 数日前に後輩とバイクで移動していると、突然後輩が『又吉さんあの…』とつぶやいた。

しばらく僕は、後輩の『又吉さんあの…』に続く言葉を待ったが、後輩はそうつぶやいたきり黙りこくっている。

言葉にすることを躊躇うほど何か深刻に悩んでいるのかと思い、『どうしたん?』と聞くと『いや、さっき表参道を通りかかったので…』と言われ、巨大な疑問符が頭上に浮かんだのだが、しばらくたって後輩が発した言葉が『又吉さんあの…』ではなく『表参道』だったと理解した。

全然違うではないか。狐にばかされた気分だった。本当は今でも少し後輩を疑っている。

 そのような言語音痴の徴候が数日前にあったのだが昨日は更に深刻な症状として表面に出た。

電車の窓から見えた『耳鼻咽喉』という看板が一瞬、『阿鼻叫喚』に見えたのだ。

もはや聞き間違いではなく視覚的に言葉を捉え違えてしまった。

『阿鼻叫喚科』があったとすれば、どのような人々がいくのだろうか?

そこからもれる叫び声さえ、今の僕の耳には叫び声として届くかどうか。

2007年6月28日 (木)

『殺し屋』

幼い頃、ジャッキーチェンの映画を見た直後はジャッキーの影響を見事に受けて階段を上るのが速くなってしまったり、強くなったような気がしたが大人になってもそのような事は多々ある。

 最近、人からお借りした漫画の内容が殺し屋の物語で、尾行したり尾行されたりするのだが、設定上、相手の居場所を正確に把握する事が生き残るための重要な能力とされている。

その漫画を読んだ直後、町中を散歩していると途中から尾行されているような気配を感じた。

デパートの辺りから相手との距離を意識しつつ公園の方向に進路をとった。公園が近付いて来ると次第に人がまばらになり、視界もひろがった。公園に至る石の階段をゆっくりとくだり、最後の一段から二歩進んだところで後ろを振り返ると同期の三瓶さんと、友達の藤井くんがいた。

二人は雑踏の中、遠くを歩く僕を見つけて『あっ又吉だ!後をつけよう、絶対に公園まで歩き缶コーヒーを飲むはずだ』と盛り上がり、後をつけてきたらしい。

 尾行に失敗した二人は物凄く驚き、『何で気付いたの?』とか『何で、あんなにゆっくり振り返ったの?』と僕に質問を浴びせてきた。

僕は得意気に『わかったんだよね、狩りだからね』などと答えたあと、漫画や映画が見た者の心だけでは無く身体的な能力にも大きな影響を及ぼす事を説明し、極論を言えばジャッキーチェンの映画を見た直後ならば『バック転』が僕にも出来るはずだと語りながら無意識の内に自動販売機で缶コーヒーを買っていた。

二人は僕の話を適当に聞き流し、『あっ、やっぱり買ったねぇ』、『本当だね』とつぶやき、僕は僕で『まぁね、飲むよね』などと答え、平日昼下がりの公園は殺し屋とは到底無縁で恐ろしく牧歌的な空気に支配されていた。

2007年6月26日 (火)

『そういうことにしよう』

 今日は予定があったので出番終わりで、すぐにルミネを出た。

 その頃はまだ雨が降っていなかったが、予定を終え家に着いた頃から少し雨が降りだした。

 家に荷物を置き散歩の準備をして外に出ると雨が強くなっていた。散歩を決行したかったので雨は降っていないことにした。

 十分程歩いたところで、携帯電話を忘れたことに気が付いたが取りに帰る気はさらさらなかった。

雨にうたれながら『雨が降っていない』と思うことに比べれば、携帯電話など初めから存在しないと思うことは簡単だった。

携帯電話が普及したため『擦れ違い』が減ったと言っても携帯番号を知らなければ擦れ違いはいくらでもある。このような思考が邪魔をして携帯電話の存在を頭の中から消すのは意外と難しかった。

携帯電話の存在を消すために、まず『擦れ違い』と『携帯番号』の存在を消さなければならなかった。

 あるものを忘れるため、ないものを思い出した。

 僕は数年前に住んでいた部屋を目指し歩くことにした。数年前に住んでいた部屋は二駅ほど離れたところにあるのだが途中で足が疲れたので一駅しか離れていないことにした。

 疲れたが疲れていないことにして歩いたが歩いていないことにした。

着いていないが着いたことにしている内に本当に着いた。

 数年前に住んでいた部屋を見ても何も感じないのは一週間前にも同じように散歩がてら見に来たのだから仕方がなかった。

 帰り道、擦れ違ったタクシーの運転手が僕を見て目を見開いていた。

 しかし『擦れ違い』は無くなっていたから僕はタクシーに乗って帰ったことにした。

 そもそも予定が無かったことにしたら、今はまだ夜の九時だった。

 夜の九時だったら僕は一体何がどうなったのだろう。予定がない僕に非日常的なことがあったかどうかは興味があった。

などと考えている内に自宅に着いた。僕は全身ずぶ濡れだった。

それにしても『散歩に行ってきた』ことにして、つくづく良かったと思う。雨降りの中、本当に散歩に行っていたなら全身ずぶ濡れになることは避けられなかっただろう。

 そう考えてみたが、僕が雨降りの中を数年前に住んでいた部屋まで歩き全身ずぶ濡れになった事実は覆らなかった。

2007年6月24日 (日)

『誕生日会』

 昨夜、鴉のメンバーが誕生日会を開いてくれた。

夜更け頃、住宅街の真ん中にある1K家賃5万7千円のモルタルアパートに二十代後半の男が7人集まった。

皆でカレーを食べた後、しばらくすると大量のロウソクが刺されたケーキが運びこまれてきた。

ロウソクに灯された火の熱によりケーキ表層部分のチョコレートが溶け、僕を不安にさせた。

誰があの定番のバースデーソングを唄い始めるのか様子を窺っている瞬間に外でオッサンの笑い声が響き、7人の内その声に2人だけが反応して笑い、その笑いが周りに伝染する前に、やはりジェントルが唄い始めた。

ロウソクが吹き消された頃にはオッサンの笑い声も消えていた。


2007年6月20日 (水)

『桜桃忌』

 今日は三鷹市の禅林寺で行われた『桜桃忌』に参加しました。

 『桜桃忌』とは6月19日に生まれた作家太宰治を偲ぶ会です。

 今年も太宰治のお墓に全国から多くの人が御参りに来ていました。

お墓の前で大量の線香に火をつけた御婆さんが『まだの人どうぞ~』と言って線香を配っていました。その御婆さんは係の人とかではなく良い意味でお節介なだけの優しい一般の方なのです。

僕は何だか恥ずかしくて御婆さんに見付からないよう、知らないオッサンの後ろに隠れていました。

しかし、しばらくすると御婆さんは僕に気付いたようで『お兄さんまだでしょ?どうぞ~』と線香をこちらに差し出しました。

すると何を思ったか僕の前にいたオッサンが物凄く低い声で『いえ私はもうすみました』と答えてしまいました。

絶対に僕に言ったはずなのですが、御婆さんはオッサンに気を使い顔を引きつらせながらも『あっ、そうですか~』と返事をしました。

オッサンがお兄さんのはずがないのです。

それでも僕はずっとオッサンの後ろに隠れていました。

14時になると、お墓の前でお坊さんがお経をあげはじめました。

禅林寺まで自転車で駆け付けたためか背中が汗ばむのを感じながら、僕は少しの間お経に耳を傾けていました。

2007年6月17日 (日)

『梅雨晴れ』

 昨日今日と晴々とした天気で爽やかな気持ちになる反面、今年の夏も扇風機だけで過ごせるのだろうか?と少し不安を感じてしまいます。

僕の部屋はエアコンが設置出来ませんので、もう一台扇風機を買って精神的に暑さを誤魔化そうかと本気で考えております。

そんな中、街を歩いていますと二十歳くらいの女の子が一緒にいた男の人に『ねぇ梅雨ってもう終わったの?』と質問しました。

先日降っていた雨がやみ晴れていたので疑問に思ったのでしょう。

すると質問を受けた男の人が遠くを見つめながら『第一陣が過ぎたってとこだな…これから大きなのが来るさ』と答えました。

『何でそんなかっこよく答えなあかんねん』とか『自分だけが梅雨と戦ってるみたいに言うな』と思いました。

2007年6月15日 (金)

『黒い服を着た人』

 最近、僕が住むアパートから駅までの通り道に夜のお店が開店したらしく毎晩キャッチの黒服に声をかけられて鬱陶しい。黒服が近寄って来る度に物凄く憂鬱になる。

その道は僕にとって一日の終りを告げる心地好い通りであったのだが今はコウモリの溜り場に成り果てている。

時間がある時は大きく迂回して黒服を避けれるのだが歩き疲れ最短距離で家路を辿る時は必ず黒服達が群ってくる。

 夜の散歩をしている時も同じである。

そもそも作務衣に草履、又はスウェットにジャージという苦学生のような身なりで一人歩いている僕が誘われたからと言って『ほな行こか?』と気軽に応じれるはずがない。

その辺の状況を把握する能力が欠落しているのか単純に人を見る目が足りないのか向上心が皆無なのか一向に学習する気配が見えない。

こちらが電話をしていようが、ヘッドホンで音楽を聴いていようが、そんな事情は全く関係無いようで、あちらの都合のみで声をかけてくる。

それまで歩きながら考えていた事がようやく結論に近付いた時に限って声をかけられるので一々思考が中断させられ何を考えていたかを思い出せなくなる。

また声のかけ方が非常に醜い。とても不快に感じる。わざとらしく過剰にお辞儀をしてみたり、おどけてみたり、誰に誉められた社交性か知らないが自信ありげに笑顔を振り撒き押し付ける感じが尚更きつい。

大人が知らん大人に『おどける』とは一体どういう状況なのだろう?

本当に毎晩毎晩精神的に苦痛だ。

僕は何を考えていたのかを思い出すために歩き、再び声をかけられ何を思い出そうしていたのかを忘れ、取あえず何かを思い出すために歩き、又もや声をかけられ何かを思い出そうとしていた事さえ忘れ、取あえず何かを考えるために歩き、又々声をかけられ何のために歩いていたのかも忘れ、挙げ句の果てには考える事も歩く事も忘れて、どうしたら良いか解らなくなって、それでも何かをしなければと追い込まれた僕の肉体はどうなるのだろう?

黒服の前でピョンピョンと垂直に高く跳ね続けてしまうのではないだろうか?それは恥ずかしい。恐ろしい。

早急に潰れる事を願う。

2007年6月13日 (水)

『渋谷界隈でよく聞く声』

 渋谷や原宿を歩いていると、度々『今の絶対モデルだよ~』という声が聞こえてくる。

恐らく背が高くて綺麗な人とすれちがった後に発せられた一言だと思われる。

しかし何故、『今の絶対モデルだよ~』と確認する必要があるのか?

発見の喜びに近い感覚なのだろうとは思うのだが、声に出す程までの発見には満たないような気がする。

そこに少しだけ疑問を感じた。

『あいつ絶対元消防士だよ~』とか『あっ!覆面レスラーのプライベートだ!』とか『今の絶対、千利久の生まれ変わりだよ~』とか、そんな声が聞こえてこないだろうか?

そんな声が聞こえて来たならば、人混みをかきわけてでも一目見ておきたい。

2007年6月10日 (日)

『それから』

 一昨日、小澤くんと深夜の井の頭公園で涼んでいると、『ふくろとじ』というコンビで活動する『てっちゃん』から『お茶しませんか?』という気持ちの悪い電話があり、しばらくするとアホ面をひっさげて、てっちゃんは井の頭公園までやって来た。

小澤君は九期生で、てっちゃんは七期生なので僕が一番先輩になる。

てっちゃんと小澤君は地元が近いらしく地元の話をはじめたので僕は黙っていた。

てっちゃんが小澤君に『○中の「ひろみ」知ってる?』と聞いた。

僕は『「ひろみ」って男?女?』と疑問に思った事をそのまま口に出した。

すると、てっちゃんは良い調子で小澤君に喋っていたので、そのままのリズムで『いや男なんだよ』と僕にタメ口で答えた。

てっちゃんに弁解の余地は無いはずであった。

しかし僕が『いま完全にタメ口やったよな?』と指摘すると、てっちゃんは『違います、小澤に言ったんです』と言い訳をした。

もちろん僕は『いやいや聞いたん俺やん!』と問い詰めた。

すると、てっちゃんは『いや僕は完全に小澤の方向いてましたから』と食いさがる。

間違いで先輩にタメ口を使ってしまう事と、あきらかな失敗を無茶苦茶な理由で認めないのとでは、一体どっちが悪なのだろう?

『絶対俺に言うてたやん…』と僕がつぶやくと、『言ってない、言ってない』と、てっちゃんも小声でつぶやいていた。

『厳密に言うと、その「言ってない」っていうのもタメ口じゃねぇか』と思った。

一時間後、そんな事はすっかり忘れ僕達はファミレスでポテトをつまみながら女子のようにお喋りに耽っていた。

いつの間にか外が明るくなって来たので帰る事にした。

会計を済ませ僕が一番最後に店を出ると、ファミレスに隣接する見晴らしの良い駐車場で、てっちゃんが力士の立ちあいの格好を構え僕を睨んでいた。

まだ、さっきの事を怒っていたのか?

それにしても『怒りを相撲スタイルで表現するって何やねん』と思った。

今日は、そんな『てっちゃん』の誕生日です。

2007年6月 9日 (土)

『夜の井の頭公園』

 昨日の夜、サイクロンというコンビ名で活動する後輩の小澤君が近所まで遊びに来てくれた。

小澤くんは無茶苦茶サッカーが上手く、僕と同じ『鴉』というチームにも所属している。

小澤くんは開口一番『又吉さんペレ好きでしたよね?』と言ってサッカー雑誌と付録のDVDを誕生日プレゼントとしてくれた。

雑誌の表紙には『ペレ特集!』と記されテンションが上がりきっているペレが右手を空に掲げていた。

それにしても僕は『ペレが好きだ』などとは一言も言った事が無い。僕が好きなサッカー選手はマラドーナである。小澤くんもその辺りの事は誰よりもよく知っていたはずだ。

以前サッカーをやっていた時に『マラドーナとロナウジーニョどっちが凄いか?』という議題が持ち上がり勿論僕はマラドーナ信者であるし実際マラドーナと比べられては流石のロナウジーニョも可哀想だという理由から全力でマラドーナを支持した。

しかし中にはロナウジーニョを支持する声も多く、その後の試合でロナウジーニョを支持していた奴らを僕が片っ端から悪質なファウルで黙らせていったのも間近で目撃していたはずである。

そもそも元はと言えば、その小澤君がマラドーナっぽいプレーをするから『鴉』に誘ったのだ。当の本人はマラドーナではなくジタンのファンであるらしが。

その小澤くんと誰もいない深夜の公園を散歩していると人影の無いブランコか勝手に大きく揺れていた。風も吹いておらず、というか風が吹いていたとしても4つあるブランコの内の1つだけが揺れていたのだ。

小澤君が『人誰もいませんよ。無茶苦茶怖いんですけど…』と言った。

僕は突然過ぎる展開に恐怖を感じる暇もなかった。

『見なかった事にしよう』と言って僕はブランコを通り過ぎた。

しかし小澤君は『いや無理ですよまだ揺れてますから…』と言って少し早歩きになった。

『早歩きなったらアカンて、段々恐くなって最終的に走ってまうねんから』

と言いながら僕が走り出すと小澤君も一緒になって走った。

しばらく行き、ここまで来れば大丈夫だろう。ということで息を切らしながら顔をあげると小澤君はオモイッキリひいてる目で僕を見ていた。

余裕の雰囲気出しといて我先に逃げ出した僕にがっかりしている目だった。

2007年6月 5日 (火)

『ある意味』

 今日は18時から『おバカNO1決定戦』というライブのMCをやる予定だったので、17時に『新宿シアターブラッツ』に行ったのだが新宿シアターブラッツの前に立てられた看板には、はっきりと『ブラザーズライブ』と書かれてあった。

『昨日のライブの看板がそのまま出されているのだろか?』

一瞬自分にとって一番楽な解釈をしてしまったが現実はそんなに甘くなく、日付は6月4日になっている。

 そして僕は思い出した。今日のライブが行われる会場は『笹塚ファクトリー』であると。

自分の過ちに気付いた僕は急いで笹塚ファクトリーまで移動した。

今日のライブは『バカNO1決定戦』。ある意味優勝やんと思った。

2007年6月 4日 (月)

『誕生日』

24時を過ぎ日付が6月1日~6月2日に変わって僕が27歳になった時、僕は一人でファミレスでネタを考えていたのだが、何分か過ぎた頃ジューシーズの児玉から電話がかかってきた。

児玉は普段よりも少し冷静な口調で『あっ、又吉さんお誕生日おめでとうございます』と言ってくれた。

僕は『ありがとう』と答えた。

すると児玉は『嬉しいですか?』と聞いてきた。

『それはお前に「誕生日おめでとう」って言って貰えてってこと?』

『そうです』

相変わらず冷静な口調で児玉が答える。

『まぁ嬉しいなぁ』

『そうですか、今お一人ですか?』

『うん一人』

『寂しいですか?』

『うん、そうやな』

なんだろう?この感じは?全く寂しさなど感じていなかったが、改めて聞かれると少し寂しいような気もした。潜在的には孤独を感じていたのだろうか?

しかし、わざわざそのような部分を浮彫りにする質問を投げるということは、もしかするとドッキリ的な感じで僕を祝うため既に近くにいるのだろうか?

僕は『今お前は何してんの?』と聞いてみた。

すると児玉は『あっそうだ、打ち合わせなんだった。すみません。』と言って電話が切れた。そして、二度とかかって来なかった。

誕生日だった。

2007年6月 2日 (土)

『楽屋』

今日は平成ノブシコブシと同じライブだった。

『何でお前衣装持って来てないんだよ!』

いつものように楽屋で吉村くんが吠えていた。吠えられているのは相方の徳井くんだった。

『「しかも金無いから貸してくれ」って何だよ!』

吉村くんが吠える。『何だよ!』って叫んでるけど、そのままの意味やん、と思った。

結局なんやかんや言いながらも吉村くんは徳井くんなお金を渡し、徳井くんは衣装を買いに行った。

10分ほどして買い物を終えた徳井くんが白い袋を持って楽屋に入ってきた。

徳井くんは何を思ったか、衣装と一緒にパンを買って来た。

『何で人の金でパン買って来るんだよ!』

それを見て吉村くんが再び吠える。

それを無視して徳井くんは美味しそうに菓子パンをハムハムと食べていた。

なんやろ?この二人の関係と思った。

2007年5月30日 (水)

『ドダナダズ』

 『ドダナダズ』。電車で隣の席に座った人が囁きました。

山形弁で『どんだけ~』という意味らしいです。

何故僕に教えてくれたのでしょうか?

2007年5月26日 (土)

『スピーチ』

 明日、友達の結婚式がある。僕は披露宴で新郎の友人代表として挨拶する事になっている。

 一人で真面目な挨拶をした事がない僕はとても不安で仕方がない。

一般的な挨拶とはどのような感じなのか?と思い『そのまま使える結婚式のスピーチ』という本を買ってみたのだが、『ユーモアをスマートに取り入れる』と題されたページの『前置きは禁句』という項目に『「みなさんがお笑いになる、傑作な話をご披露しましょう」と、先にいってはいけません』と書いてあった。

 気をつけようと思った。

というか『誰がそんな事言うねん』と思った。

 とりあえず、その本は閉じ二度と見ない事にして自分で友達との数年間を色々思い出すところからはじめよう。

2007年5月22日 (火)

『告知』

 5月25日にダイノジさんのDJライブがありまして出演させて頂く事になりました。

一緒に同期のキシモトマイと、ロシアンモンキー中須の3人でやろうと思っています。40分あるので、それぞれ好きな曲をかけようと思います。キシモトさんはレゲェが好きで、中須は何でも好きです。

「ディスコの虎 番外編」

2007年5月25日(金)

23時00分

オープンスタート

三軒茶屋・DJ BAR CHROME 

http://chrome.shine.jp/

(三軒茶屋駅から茶沢通りをまっすぐ下北沢方面へ、途中右側にコンビニのサンクスがあります、そこの斜め向かい)

DJ:大谷ノブ彦 長嶋智彦(ダーリンハニー)伊藤広大(こりゃめでてーな)又吉直樹(ピース)白井鉄也(チーモンチョーチュウ)佐久間トーボ(見習い構成作家)六本木カレーボーイズ(げんき~ずげんきたつやアンド来八小林トオル)斉藤王子(トレンディーエンジェル)メンタルエイジ

チケット2,000円(1ドリンク付き)チケットは全て当日券のみになります。会場で直接お買い求めください。

・タイムテーブル

23:00~23:35 DJ SAKUMA(構成作家見習い佐久間トーボ)

23:35~24:20 DJ NAGASHIMA(ダーリンハニー長嶋智彦)

24:20~01:00DJ SHIRAI(チーモンチョーチュウ白井鉄也)

01:00~01:40 DJ MATAYOSHI(ピース又吉直樹)

01:40~02:40 DJ BIG&SAKUMA(ダイノジ大谷ノブ彦&構成作家見習い佐久間トーボ) 

02:40~03:25 DJ KOUDAI(こりゃめでてーな伊藤広大)

03:25~03:50 DJ 六本木カレーボーイズ、トレンディエンジェル

03:50~05:00 DJ BIG (ダイノジ大谷ノブ彦)

『昼下がり』

 平日の昼下がりは隣の部屋で洋裁教室が開かれます。

築60年以上の古いアパートの壁はとても薄く隣人のあくびさえも同室で行われた事のように気付いてしまう有り様ですので、御近所のおばさん達が集まる洋裁教室からは色々な声が聞こえてまいります。

 今日目覚めて一番最初に聞こえた会話は『私達の時って「最初はグー」とか無かったよね?』、『無かった、無かった』という大変可愛らしいものでした。

何より『私達の時って』というのは一体何なのでしょうか?ジャンケンに引退がある事を教えられた一日でした。

2007年5月21日 (月)

『代々木で散髪』

 髪の毛が伸びたので代々木の美容室に切りに行った。

 その店には、二十歳の頃コンビニで一緒にバイトをしていた友達が働いている。

 当時坊主だった僕の髪が肩まで伸びたのを見て友達もさぞかし驚く事だろう、と少し期待しながら店に入ったのだが、そんな僕が驚いてしまうほど友達の髪の毛は伸びていた。ショックで少し髪が縮んだ。

 散髪を終えるとグランジの五明に連絡をした。五明は推定身長190cmであるらしいが、僕はもっと大きいと睨んでいる。体感身長は少なくとも890cmはあるだろう。

 ダガァン!思考を遮断する轟音。雷鳴かと思いきや五明の足音だった。

驚いている僕の前で五明が片膝をつき右手を低く差し出す。その右手に僕がピョンと乗ると五明は立ち上がり自分の左肩に僕をのせてくれた。

 五明の左肩に腰かけると丁度横に五明の左耳が見える。左耳の中でビニールのようなものが見えたので五明に『これ何?』と訊くと、『左耳の空いたスペースを農家の方に委託しているんですが、ビニールハウスで何か栽培なさってるみたいですね。何を栽培してるんでしょう?又吉さん見えます?』と言う。

『動かないでね』と言って背伸びをして五明の耳のビニールハウスを覗くと、どうやら栽培されているのはメロンのようだった。

『メロンだ』と報告すると、五明も満足気に微笑んだ。

 ドゴォン!再び轟音。目の前を電車が通り過ぎる。踏み切りを待つ間に、巨大な五明と遊ぶ白昼夢を見てしまっていたようだ。

 踏み切りを渡ると五明がいた。五明は昔この辺りに住んでいたのか代々木に詳しい。10分後、僕と五明は一緒にラーメンを食いながら話していた。

『又吉さん、どこの美容室で髪の毛切ったんですか?』

『昔一緒にバイトしてた友達が働いてる店』

『へぇ~良いですねぇ、そういうの。どこにあるんですか?』

『すぐそこの小道入って、商店の向かいやで』

『えっ、あの新しく出来た店ですか?』

『そうやな、新しいな』

五明がうつ向き口をつぐんだ。

『五明どうしたん?』

『あそこ、美容室になる前…僕が大好きだったパン屋さんだったんです…優しいオジさんがやってた…店員さんも劇団の人達で窓にチラシ貼ったりしてて…何か複雑な気持ちです』

 いや別に美容室がパン屋さん潰したわけちゃうし劇団の人もどっかで活動してはるやろし何も複雑なことなど無く、話を複雑にしてるのは只の五明の優しさやん、と思った。

 ドゴォン!再び轟音。ハッと目をあけると五明の左肩の上でいつの間にか僕は寝てしまっていたようだ。

2007年5月19日 (土)

『ブルース』

 同じアパートに中年のブルースシンガーが住んでいる。

 引っ越した初日に一度挨拶したが、それ以来目を合わせていない。何故か中年のブルースシンガーと合うと僕はうつ向いてしまう。

そもそも何故ブルースシンガーなのか?と言うと、その70年代からタイムトラベルして来たような尋常ではない風貌と社会から隔絶された場所で孤立無縁に咲き誇るような雰囲気が出ていて更にギターを毎日持っている事から僕の方で勝手にブルースシンガーだと断定した。

 ある夜、僕が一人で散歩していると中年のブルースシンガーが一人で唄っている所に出くわした。遠目から見ると中年のブルースシンガーは古い自転車に何やら大層な旗を立て、手には世界と対抗する唯一の武器であるかのようにギターを持ち叫んでいるように見えた。興味があったので近付いてみたのだが、近付いて僕は物凄く驚いてしまった。なんと中年のブルースシンガーは無茶苦茶声が小さくて、ほとんど何も聴こえなかったのだ。

ブルースシンガーは毎晩毎晩終電が走り去った頃から街に出て一人唄っている。しかし毎晩毎晩声が小さい。何で声小さいねん?と毎回余計な疑問を背負わされる。そのクセ中年の知り合いが通ると無茶苦茶大声で『おお~!』とか言っている。その声で唄ったら良いのに、と思う。

ちなみに音楽が聴こえて来ないのでブルースかどうかも解らない。

もしかしたら中年ボサノバシンガーかもしれない。

 もう1つ中年ブルースシンガーで理解出来ないのは、ギターに『猫ちゃん』の絵を描いていることだ。

『猫』ではなく、敢えて『猫ちゃん』と言いたい。その絵のタッチがアーティスティックな世界感などとは程遠く、ひたすら可愛さだけを追求したような絵なのだ。

例えるならば小学校の頃、女子が卒業前に配っていたサイン張の裏、『何かメッセージを』のコーナーに書かれた『中学行っても仲良くしようね!』などという幻想的な言葉の横に、何故描かれる必要があったのか?と問いたくなるほど薄いタッチでオマケのように描かれていた『猫ちゃん』のようである。

それを中年のオッサンが自分で描いたと思うと恐怖に近い感覚を覚える。

何より何故声が小さいのだろうか?恥ずかしいのだろうか?近寄って歌詞を聞きたい衝動に毎晩駆られるが、今はその好奇心よりも恐怖感が勝っている。

万が一、中年ブルースシンガーが『ニャ~ニャ~』とか唄っていたら恐ろし過ぎる。

恐怖のあまり、ひどい猫背も伸びてしまいそうだ。

今日も中年ブルースシンガーは唄っていたが、遠くを走る車の音に掻き消され相変わらず何も聴こえなかった。

2007年5月18日 (金)

『鎌倉まで⑪』

長谷寺到着。境内の中に鍾乳洞があり中に入ってみると天然の石を削ったものだろうか?弁財天尊や大黒様などの神々が壁に並び、清閑を極めた薄暗い空間は現実から剥離されたようで居心地が良かった。

 更に奥へと進むと木製で極小の仏像が無数に置かれ、その裏にはそれぞれ願い事と名前が記入されていた。

僕達も仏像を購入したのだが、小さな仏像に願いと名前を書くのは容易ではなく、キシモトさんは『ちゃんと書こうと思ったら仏像が八体はいる』とぼやいていた。

僕は『心願成就』と書いたが、二人は相当悩んだようで、コダマ君から『「心願成就」というような無敵の言葉があるなら何故先に教えてくれなかったのか?』とよく解らない苦情を受けたが取り合わなかった。

 鍾乳洞から出てもまだ空は明るい。寺の由来が記された石碑を読んでる間に二人を見失ってしまったので適当に一人境内を歩いた。

 しばらくすると阿弥陀如来座像が御座す建物があり、その手前で線香をたてた。何枚かの畳を隔てた先に悠然と阿弥陀如来が佇む。

外国人を含む観光客が建物の外から手を合わせている。観光客&僕。畳。畳。畳。畳。木魚。阿弥陀如来座像。といった具合である。

 しかし、よく見ると畳の部屋に座る女の子が一人。キシモトさんだった。

はたから見ると外国人観光客達がキシモトさんを拝んでるようにも見える。

スナックのママさながらの派手な服のためキシモトさんからは霊的なものを司る雰囲気も充分過ぎる程かもしだされていた。実際に誤ってキシモトさんを拝んでしまった外国人の観光客もいたかもしれない。

 誰も入っていなかっただけで立入禁止では無いのでキシモトさんは別に悪くはない。只誰も入っていないとこには普通入り難いもので、そこを軽々と越えて行けるのがキシモトさんなのである。

 僕も靴を脱ぎ畳に上がると、外国からの観光客達もいっせいに畳に上がりだした。規模は小さくともこれは明らかにキシモトさんが始めた祭でありキシモトさんが『奇跡』と呼ばれるゆえんを垣間見たような気がした。いつの間に座ったのだろう、畳の端でコダマ君が正座し黙祷していた。にもかかわらず全身から脱力感が溢れ出す様を目撃した僕は、これも又、奇跡と言わざるをえなかった。

 それでも穏やかに微笑む阿弥陀如来様であったが突然の繁盛に心中はさぞかし驚かれたことだろう。

 阿弥陀如来が御本尊かと思い、『そろそろ帰りましょか』などと言っていた僕達であったが隣の建物に入り、とても巨大で美し過ぎる十一面観音様を拝んだ瞬間あんぐりと開いた口がしばらく塞がらなかった。まさしく圧巻。時の流れが作用したとは言えおよそ人が作ったものとは思えなかった。十一面観音様を拝顔し旅は一気に佳境を迎えた。

『これを拝むために鎌倉に来たんやな』と開いたままの口から自然に言葉が出た。

全部祓えたような気がして、もう不健康な影などはどこにも見当たらず、ただただ感動だけで満たされた。

黒い壁を背景に黄金の観音様が輝く。黒と黄金のコントラスト。今思えば大銀杏で舞い降りた『鴉』を闇の使者などと言っていたが、そもそも自分のサッカーチームに『鴉』と名付けたのは誰であったか?

そして、その『鴉』のユニホームを黒と黄金の配色にしたのは誰であったか?僕だ。

サッカーは本来何人でやるスポーツであったか?十一人である。導かれてる。呵嗚呼。

 

 『又吉さん何言ってるんですか?鴉とかサッカーとか、こじつけじゃないすか?』

 再び仙川の露天風呂につかりながらコダマ君が言う。

 『うそやん?感動したやろ?』

 『いや確かに十一面観音は感動しましたけど、鎌倉とサッカーを無理やり結びつけなくて良いでしょ』やはり平泳ぎの足の練習をバチャバチャしながらコダマ君。

『いやだから、鴉のユニホームは全身黒で胸に黄金の刺繍で「鴉」とあるやん?あれは闇が光を内包してるやん。「その内良い事あるで」やん。でも十一面観音様はほとんど黄金やん。つまり光が闇を内包してるわけやん。それを見た瞬間、価値観が転化してん。システム的には変わって無いけど、それでも良いんやと思って。だから今俺の中で闇は完全に光に内包されてる。』

 『すみません途中から違う事考えてました』と、コダマ君のバチャバチャで露天風呂が泡立つ。僕もよう解らん。その浮いたり沈んだりする泡を見つめながら鎌倉を思い出すと大概の事は頭の中で再現可能なのだが、感覚的な不安や恍惚感は感情として伴わない。

『あした江ノ島行きましょうか?』というコダマ君のお誘いを、僕はやんわりと断った。

 相変わらずコダマ君は平泳ぎの足の練習に余念が無い。


2007年5月15日 (火)

『鎌倉まで⑩』

 長谷駅から大仏様が御座す高徳院を目指し、しばらく歩くと鮮やかな紅い花が咲いていた。キシモトさんとコダマ君が『これ何という花?』と僕に聞く。

二人は何かあるとすぐ僕に聞くのだが、僕は引率の先生ではないので勿論今回の旅における下見もしておらず、その花の正体など知る由もない。二人は今にも『トイレ行って来ていいですか?』とかそんな事まで僕に言ってしまいそうだ。

 とにかく僕には、その紅い花が何であるかは解らなかったが二人の期待を裏切るのも心苦しいので『春に咲く紅っぽい花は桜じゃなければ、全て梅だ』と適当に答えた。

二人は『じゃあ梅だね、これは』とウンウン頷いていた。二人は何でもスグに騙されてしまう。紅く咲く『梅もどき』と同じように、世の中には『人もどき』も沢山いるので、二人が今後の人生で悪人に出会わない事を切に願う。

 そうこうしている内に僕達は高徳院に到着した。初めて見る鎌倉の大仏様はとても穏やかで優しく有難かった。大きいというのは、それだけで説得力がある。

 大仏様を見上げながら『大仏様寝てるんちゃうか?』と僕が言うと、『そうですね、お昼寝中みたいですね』とコダマ君が答えた。

それを受け僕が『ほな、あんま騒がん方がええなぁ』とキシモトさんに言うとキシモトさんは固く口を閉ざし何も言わない。キシモトさんは大仏様を人格化して喋るとバチが当たると思っているのだ。

悪意が無ければ大丈夫だ。そんな些細な事で怒るような大仏様ではない。さぁキシモトさんも何か思うことを、どうぞ。と促したが、やはりキシモトさんは固く口を閉ざしたまま何も言わなかった。

最初は『せこい』とか言って余裕をかましていた僕とコダマ君であったがキシモトさんのかたくなに大仏様を崇め奉る姿勢を見ている内に、俺達はとんでもなく悪い事をしてしまったんじゃないか?とバチが当たらないか不安で仕方がなかった。

 気を取り直し大仏様を背に写真を撮ろうと言って、キシモトさんが再びカメラを構えた。何故かキシモトさんは僕達に前後にならぶよう指示をする。疑いながらも現時点では僕とコダマ君よりもキシモトさんの方が大仏様に愛されてそうなので素直に従った。

 撮影した写真を見せて貰うと大仏様、僕、コダマ君と三者が縦にならび三兄弟のようになっていた。史上最低のアングルだと思った。おちょくっているとしか思えない。『逆にこのアングルで撮影したキシモトさんの方にバチが当たるのではないか?』とさえ思った。

『せっかくだから三人でも撮影しよう』となり、その辺にいたお姉さんに恐縮ながらカメラを渡し撮影をお願いした。パシャ。

お礼を言いカメラを受け取ったキシモトさん。何を思ったか撮影してくれたお姉さん本人の前で写真を見て『おっ、いいじゃん!』と評価しだした。撮って貰っといて評価するとは失礼過ぎる。

 コダマ君が『駄目ですよキシモトさん』と注意していたがキシモトさんは何も気付かず『いいじゃん』と言い続けていた。

撮ってくれたお姉さんの方を恐る恐る見ると満更でもなく御満悦の表情だったので『ええんかい』と思った。

 すると今度はそこへ旅の老夫婦がキシモトさんに『写真撮って下さい』と頼んできた。キシモトさんは快諾しカメラを覗きながら『良いですねぇ~』などと言い老夫婦をのせようのせようとしているのが何よりも面白かった。

 僕には鎌倉に着いてからキシモトさんが、水戸黄門に登場する『うっかりハチベエ』と重なって仕方がなかった。すぐに『腹減った』と言うし、おっちょこちょいだし正にハチベエそのものだ。コダマ君はと言うと、これも又やはりハチベエなのだから厄介である。

 さて高徳院から我々は何処に行こうか?個人的には夏目漱石の小説『門』で描写された『円覚寺』に行きたかったが、時間的に無理があったので次の機会に譲り、高徳院の近くにある『長谷寺』を今回参拝する最後の寺に決めた。


2007年5月13日 (日)

『鎌倉まで⑨』

せっかく友達と来た旅なのだから思い悩んでいても仕方がないし、よくよく考えれば深く苦悩する程の理由も特に見当たらない。危うく自ら生み出したパラノイアに陥るところだった。

 そんな時、ようやく到来した『精神的ゆとりを譲し出してる感』に通ずる『けっこう楽しんでる感』を存分に発揮出来る千載一遇の好機。それが『写真撮影』であった。

キシモトさんの『ピースとかしなさいよ』という絶好の後押しに乗り、思い切ってピースをしたら、なんと背後に闇の使者カラスが写り込むという嘘のような有様。

 もしも、あの時僕がダブルピースをかましていたら鎌倉の大仏様が走り出し箱根を越えるような事があったのではないだろうか?

 思春期の頃から友達皆ではしゃいでいると、何か言葉では説明出来ない絶対的な力から『はしゃいでるけど、お前は違うやろ!』と指摘されるんじゃないか?と常に不安を感じていたが、それに近い感覚を受けた。

 しかし、僕はもう大人で思春期は遥か遠い。今の僕には明るい未来しか想像出来ない。思春期だった頃の自分には最早共感さえ出来ない。

そのように暴力的といえる程前向きな考え方を心がけたのだが、本殿に手を合わせる時間が普段の参拝に比べて五倍程長くなった事を考えると、そこまで前向きな思考が元来僕に備わっていなかった事は今更言うまでも無い。呵嗚呼。

 鶴丘八幡宮を後にした僕、キシモトさん、コダマ君の三人はあの高名な鎌倉の大仏『高徳院』の大仏を拝みに行く事にした。

最寄り駅は『長谷』らしく、鎌倉からそんなに離れていない。僕は歩いて行こうと提案したが、二人は『江ノ電』に乗ることを強く希望した。

コダマ君が『江ノ電から海が見えるんすよ』と言うので、僕としても海は見たい。結局その『海』という魅惑的な響きに敗れ江ノ電に乗り込んだ。

江ノ電に乗るとすぐに海側の窓にへばりついた僕達だったが海が一向に見えない。いつまでたっても見えない。

とうとう電車が『長谷』に着いたがそれでも海は見えなかった。

この時、僕の口から久しぶりに『なんでやねん』という言葉が発せられたような気がする。

電車から降りるとコダマ君が『海はもう少しあっちかな~』と小声で言うのが聞こえたが、無論黙殺した。

長谷の駅周辺では獲物を狙っているのだろうか?無数のトンビが低空を翔んでいた。

コダマ君が『海が近いからかな~』と小声で言うのが聞こえたが、無論黙殺した。

 キシモトさんが『トンビはコロッケも食べれるかな?』と小声で言うのが聞こえたが、無論黙殺した。

2007年5月11日 (金)

『鎌倉まで⑧』

 鶴岡八幡宮の境内に入った僕達は浮世離れした緩やかな空気に浸りながら本殿を目指し歩いた。

 しかしキシモトさんが後日語るところによれば、その時の僕は何かに取り憑かれたかのように不気味で不穏なオーラに包まれていたらしく、キシモトさんは出来るだけ僕に近寄らないよう心がけていたらしい…それはそれで、大いに問題があるのだが論点が異なるので置いておこう。

とにかく厄を払う意味も込めて訪れた鎌倉であったが、顔面迷路のお爺さんや『地下室の手記』によって僕の精神は相当消耗していた。もちろん元々僕が背負っていた厄や日々のストレスにそれらが絡まって表出したに過ぎないのだが。

しかし、あらゆる負が僕を取り巻いた場所が歩くだけで癒される鎌倉であった事は僕にとって不幸中の幸いと言えるだろう。

 鶴岡八幡宮本殿に至る石畳を進むと、本殿に上る階段の横に樹齢千年を誇る大銀杏がある。それにしても千年。悠久の時を経て、ただならぬ存在感を放ち孤独にそびえる大銀杏。

 精神不調といえども、否、精神不調だからこそ大銀杏に体が反応してしまう。

『よし記念撮影だ』、という事になりキシモトさんがカメラを構え、大銀杏の前に僕とコダマ君が並ぶ。一枚写真を撮ったところでカメラマンのキシモトさんから『又吉君暗いよ、そして気持ち悪いよ。ピースとかしなさいよ』と指示を受けた。

 反抗する理由も無いので、カメラに向かってピースをした。すると後ろに黒い影。漆黒の鴉だった。

『又吉君がピースしたら後の看板にカラスが止まったよ!凄ぇ!』とキシモトさんが騒いでいた。コダマ君も笑っていた。

しかし僕は『呪われてんちゃうか?』と気もそぞろであった。呵嗚呼。




2007年5月 9日 (水)

『鎌倉まで⑦』

 鎌倉に無事到着した。

列車の中で顔面に皺の迷路を持つお爺さんと向き合ったがために蓄積された疲労は、鎌倉駅に着いた途端一気に軽くなった。

それでも胸の辺りにモヤモヤとした小さな闇は残っていてその闇を刺激せぬよう、その闇に取り込まれぬよう存在事態を無視することにした。

 まずは鎌倉駅から小町通りを抜け鶴岡八幡宮を目指す。小町通りは色々な飲食店、土産屋などが立ち並び観光客や修学旅行生達で賑わっていた。それでも気分が悪くなる程の人ではなく丁度良い案配の『盛り上がってんじゃねーか』的な雰囲気であった。

そんな行き交う人々と町の様子に感動したキシモトさんは『うわ~凄いね。何か東京じゃないみたい』とつぶやいた。その通り東京では無いのです。あれほど説明したにも関わらずキシモトさんはまだ鎌倉を浅草の近くだと信じているのだろうか?

一方コダマ君は『今、修学旅行生にガンとばされたんですけど。うわ~何か恥ずかしい』などと言いながら、あらゆる店の試食コーナーを片っ端から荒していた。店の人達は長年の経験上、人を見れば試食だけで商品を買わない者が解るのか皆一様に冷たい視線をコダマ君に対し向けていた。

 そして僕は、小町通りの中程で発見した古本屋に入り本棚を端から順に見て回った。古本屋に入ると先程まで心の隅にあった闇が完全に消えたように感じた。更に気分を良くしようと文庫本が並ぶ棚にドストエフスキーの『地下室の手記』があったので購入した。

普段は滅多な事がない限り国内文学しか読まないのだが、鎌倉の知らない古本屋に入った事により高揚した気持と『ドストエフスキーだから絶対に面白いだろう』という考えが、この本に手を伸ばさせた。店を出るとすぐにワクワクとした気持でページを開いたのだが僕の思惑は大きく外された。地下室の閉塞感と社会に対する攻撃的な姿勢、そして強烈な自意識によって『地下室の手記』は異様なテンションを放ち、とてもじゃないが旅の肩手間で読めるような代物では無かった。しかし目が次々と文字を追ってしまう。

先程、僕の心で消滅した闇を遥かに凌ぐ、とてつもなく巨大な闇が僕を圧迫した。

僕は闇に荒がいすぐに本を閉じパンツのバックポケットにしまった。これが世界文学の力なのか?物凄い重量だった。というか僕は一人で何を言っているのだ?

 十代最後の夏、三鷹・吉祥寺の古本屋を周り5冊100円の棚の中から近代文学系の文庫本を大量に買い込み、黄色く焼けたページを永遠と捲り続け『ポツネン』とは何や?『畢竟』とは何や?『かくや』とは何や?『小生』とは何や?『若かない』とは何や?と本に向き合い格闘している内にどんどん痩せ細って行った日々を今更鎌倉にて思い出し吐きそうになった。

 早急にテンションを上げる必要があり、そういう時は買い物に限る。丁度良い所に着物屋があったので入り灰色の着流しと羽織を購入した。嬉しかった。

僕の精神が無駄な勾配を描いている内に鶴岡八幡宮が眼前に迫って来た。


2007年5月 7日 (月)

『鎌倉まで⑥』

 ようやく三人揃った一行は新宿駅構内の書店にて鎌倉のガイドブックを購入し、『湘南新宿ライン快速・逗子行き』という物凄く速そうで、何となく左利きっぽく、雰囲気だけで言うならば1学期はおとなしく目立たぬが2学期くらいから徐々に存在感を発揮しはじめ3学期で人気者となり最終的にはクラスを完全に掌握しそうな、そんな名の列車に乗り鎌倉を目指した。

 車内では、キシモトさんとコダマ君が交す会話に耳を傾けていたがお互いがそれぞれ別々の話をするため一向に要領を得ない。

コダマ君の話を受けてキシモトさんは『わかる、わかる。ウチも~』と言い全く関係の無い話を始める。それをコダマ君は真剣な表情でうなずき『なるほど一緒ですね』などと返事をしているが僕には共通項が全く発見できない。本当に意思の疎通が出来ているのだろうか?かなり疑わしい。

 そうこうしている内にも『湘南新宿ライン快速・逗子行き』は鎌倉に近付いていたのだろう。進行方向右手に突如巨大な白い観音様が姿をあらわした。列車が大船駅に入ると観音様は駅舎に遮られ見えなくなったが、大船駅を出ると鎌倉の方角に微笑む巨大な観音様の姿がはっきりと見えた。観音様は胸像のようで列車からだと体の半分以上が土に埋まっているように見えた。

三人とも窓に顔を近付け大船の観音様を拝み鎌倉感を味わっていたのだが、ふと視線を感じて後ろを振り返ると地元の住民と思しきお爺さんが僕等を見て『フフフ…』と勝ち誇ったかのような笑みを浮かべていた。地元の人からすれば、当たり前の風景に一々感じいる観光客が滑稽に見えるのかもしれない。

 お爺さんのその皺だらけの顔は、笑った事により更に皺が増加し複雑な顔面迷路のようになっていた。

精神内部で、お爺さんの人生と等価である顔面迷路に挑み2つほど皺の角を曲がると、バブル崩壊の荒波で刻まれた皺であろうか?深くぬかるんだ険しい道に足をとられ前に進めない。心身ともに疲弊しやっとの事で抜けたと思えば行き止まり。

僕はお爺さんの顔面迷路の中で無力を感じ途方に暮れた。お爺さんと僕の間にここまでの開きがあろうとは。

 そんな頃、ようやく列車は鎌倉に到着した。

2007年5月 5日 (土)

『鎌倉まで⑤』

コダマ君との待ち合わせ場所である駅ホームに降り立った僕とキシモトさんであったが、どこにもコダマ君らしき人物が見当たらない。

 面倒な事にコダマ君は携帯電話が故障中で連絡手段も無い。

そのため昨夜決めた段取りでは、まずコダマ君が家から僕に電話をかけ、僕はその電話を受けてから家を出発する。

そして『某駅ホーム最後尾にある自動販売機前に集合』という時代錯誤も甚だしき携帯電話普及以前の待ち合わせを余儀なくされたのだが。

 もしかするとコダマ君は勘違いをして逆端の自動販売機前で待っているのかも知れない。場末のスナックに生きるママさながらの洋服に身を包んだキシモトさんにコダマ君を見掛けたら電話するようにと告げ、ホームを東へ歩いた。

するとホームの中程でコダマ君はポツリと立っていた。ホーム最後尾の自動販売機前集合という約束を完全に消去し、平穏な笑顔を浮かべ『おはようございます!』と爽やかに挨拶をくれた。

何故ホームの端にいなかったのか?何故自動販売機の前にいないのか?彼は約束を覚えているのか?いないのか?今日は鎌倉に辿り着けるのだろうか?などの疑問が僕の頭の中でグルグルと螺旋を描き、それによって生じた巨大な渦に僕の社会的概念が吸い込まれていく。

 恐怖にも似た感覚が芽生えはじめていたのだが何とか僕は思考する事を放棄し、これも彼の個性だと無理やり自分を納得させた。

それに鬼のようなマイペースを誇るコダマ君に対し『何故約束の場所で待っていないのか?』などの質問は愚問に過ぎないのだ。

 コダマ君にキシモトさんも来ている事を伝えキシモトさんが待つ所まで戻ろうとした時、僕の携帯電話が震えた。

 まだ距離的に大分離れた所にいるキシモトさんが電話の向こうで『コダマ君いたよ~』と言っている。

コダマ君は僕の隣にいる。キシモトさんの位置からは見えないはずだ。

『それ偽者やわ』と言って電話を切り、『キシモトさんが退屈している、急ごう』と言ってホームを西へ急いだ。

2007年5月 4日 (金)

『鎌倉まで④』

目が覚めると外は明るく、時計は9時を示していた。

 曖昧な意識にもかかわらず、欲望に対してだけは敏感で『あと1時間は眠れる』と深く目を閉じたのがいけなかった。

しかし、その瞬間僕にそれ以外の選択肢があっただろうか?毎回涅槃から生還するかのような壮絶な苦痛を伴う起床。体は重く頭は鈍い。

ということで迷わず眠った。

そして電子音。コダマ君からであった。

『ごめんスグ準備する』と言い、スグに準備をして、キシモトさんの待つ駅まで急いだ。

 キシモトさんは場末のスナックで何十年も働いている伝説のママが、お店の若い女の子を引き連れ慰安旅行に赴く時のような服を着て待っていた。

そして『鎌倉って浅草の横だよね』などと、一夜明けてもまだ『鎌倉浅草混同説』を唱えていた。

そんなキシモトさんに鎌倉が神奈川県にある事を説明しつつ、電車に乗り二駅ほど揺られコダマ君と待ち合わせている駅のホームで降りた。

2007年5月 3日 (木)

『鎌倉まで③』

『ほな明日』とコダマ君との別れ際、ふと他にも鎌倉へ行きたい人がいるのではないか?と思った。

しかし既に時間は深く、明日は早い。今から誘える人となると、かなり限定されてしまう。

まぁ恐らく駄目だろうという気持で同期のキシモトマイにメールを送っててみた。

『夜分遅くにすみません。明日の朝11時半くらいからコダマ君と鎌倉に行くのですがキシモトさんもお暇ならどうですか?もし行けそうなら明日の朝10時に連絡下さい。明日朝早いので僕は今から寝ようと思います。』

メールを送ると僕はすぐに眠りについた。

 それから何分程経っただろう?凄まじい電子音に僕は飛び起きた。

キシモトさんからの電話であった。

『鎌倉行くの?行きたい、ワタシ浅草行くの久しぶり』

明日に備えて眠ろうという僕の計画は脆くも崩れ、あろうことか鎌倉行きが勝手に浅草行きに摩り替えられようとしている。非常に危険だ。

『浅草じゃなくて、鎌倉やねんけどな、鎌倉。ほな明日~』と集合場所などを一方的に告げ電話を切った。キシモトさんが一度喋り出すとボブ・マーリィの偉大さやワニの伝説など、鎌倉よりも遥かに遠い夢世界の話を永遠と聞かされてしまうからだ。

布団を被りなおして深夜3時。

2007年5月 2日 (水)

『鎌倉まで②』

露天風呂につかりながら『あした鎌倉行こ』とつぶやいてみた。

 するとコダマ君がバチャバチャ平泳ぎの足を練習しながら『明日ですか?明日は僕も何もありませんよ』と言う。

『ほな行く?』

『是非』

そのようなやりとりを、もう少し複雑かつ下手くそに交したコダマ君と僕。

『では明日に備えるか』と早急に風呂から上がりコーヒー牛乳を飲んだ。隣でコダマ君がコーヒー牛乳ではなくリンゴジュースを飲んでいたので『明日に備えてんなぁ』と僕が言うと、コダマ君は『何言うてんねんコイツ?』みたいな表情で『はい』と答え、再びリンゴジュースの瓶に口をつけ残りを飲み干した。

 深夜2時頃、家の前に着き明日の集合時間を何時にするか話し合った。

コダマ『何時にします』

  僕『何時にしよ?』

僕としては早い時間に行きたいのだが、あまり早い時間を言い過ぎて『コイツ本気やん』とひかれても嫌なので、まずは無茶苦茶張り切ってる事を隠し、相手の顔色を窺う事にした。

コダマ『あまり遅くない方が良いですよね?』

僕『そうやな!そうやんな』。来た、コダマ君も結構乗り気だ。

僕『じゃあ、11時でええか?』

コダマ『ええ~!!』

僕『いや11時って言うか…どうする?』

早いのか?早めが良いと言ったから11時くらいが妥当だと思ったのだが。

コダマ『遅くないですか?』

遅い?逆の反応だったのか。それならば僕としては有難い。しかし戸惑った手前すぐに時間を出すのも躊躇われたので僕は次のように切り出した。

僕『鎌倉まわろうと思ったら6時間くらいは欲しいから、まぁ22時には東京に帰って来るとして往復の移動時間3時間として22から9ひいて13。ほな13時集合か?』何と言う事だ?場を取り繕うため下手な計算をしたため自分の思いからかけ離れ13時という遅い集合時間を自ら提示してしまった。

コダマ『13時は遅過ぎるでしょ?じゃあ11時半でどうですか?』

僕『よし、それで行こう』

このように紆余曲折を経て集合時間がようやく決まった。

2007年5月 1日 (火)

『鎌倉まで』

今まで、『お前のように精神的ゆとりを醸し出したくて仕方がない奴は絶対に鎌倉が好きだ』というような言葉を様々な人から幾度言われたか数えきれない。

 数えきれないか?数えきれないだろう。今更振り返った所で数えられないし、何とか頑張ったとしても辛うじて20回以上だと断言する事は出来るが、それ以上正確な数字となると…というか、そんな事はどうでもよろしい。

 普段から町で寺社を発見する度に鳥居や門を勝手にくぐる足を止める事が出来ない僕なのだから古い寺社仏閣が多数残る鎌倉を好きにならない筈がなく、『いつか行こう、そこには必ず自分にとって必要な何かがある』と心に誓うも想いを達成せぬままに厄年を迎え百鬼夜行に拐われ、天狗と都合8度眼を合わせ、河童から1度舌打ちをくらい、枕返しの枕を引っくり返して、ようやく後厄までを終えた。

思った。いつまでも鎌倉へ足を運ばずにいたため厄年がより厄年感に満ち溢れていたのではないか?その思いに至ったのは仙川の露天風呂の中であった。

 どこぞのオッサンが露天風呂の横に敷かれた畳の上で大仏のごとくあぐらをかいていたからではない。

一緒に露天風呂につかっていたコダマ君が発した『カサブタ痛ぇ』という言葉が、浴槽から蒸発した疲労の粒子によって歪められ、僕の耳に『鎌倉いてぇ』と届いたからである。

 何それ?新しいCM?と、そのように聞くと『鎌倉』ではなく『カサブタ』だと教えられ、少し恥ずかしくなり眼のすぐ下までを43℃の湯に沈めると、耳の奥に湯が達したのか『ガズッ、ゴゾゴォ』と不思議な音が響いた。

 誰もいない夜更けの寺で足を痺れさせた大仏が足を崩したような音にも聴こえた。

 明日鎌倉に行く事を決意した。

2007年4月28日 (土)

『恐ろしい店員』

深夜漫画喫茶にいた。シャワールームを借りようと受付に行くと若い髭の店員が『今シャワールームお使いのお客様がいらっしゃいますので空き次第連絡致します』と言われ、自分の席に戻った。

コーヒーを2杯ほど飲んだ所で若い髭の店員が僕の席まで来て『お客様シャワールームの方空きましたので受付まで伝票をお持ち下さい』と言った。

『わかりました』と返事をして伝票を持ち若い髭の店員の後ろについて受付まで歩いた。

そのまま受付で伝票を渡すと突然若い髭の店員は『お帰りですか?』と言い出した。

『はぁ?』みたいなニュアンスで『えっ?』と言うと、若い髭の店員は『だから~』みたいなニュアンスで再び『お帰りですか?』と言った。一度目の『お帰りですか?』よりもスタッカートが効いていてイライラが見てとれた。

こいつは何を言っているのだろう?自らシャワールームが空いたから伝票を持って来いと言っておいて、言われた通りついて来た奴に『お帰りですか?』とは奇想天外も甚だしい。

『いや、シャワールーム』と僕が言うと、店員は慌てふためき『ああ、失礼しました。シャワールームですね』と元の温和な接客に戻った。

忘れていたのだろうか?暗闇で見た僕と、受付の蛍光灯に照らされた僕に差がありすぎたのか?

どちらにしても後ろをついて行ったのだから解りそうなものだが。

少し怪談めいてる。恐ろしいとしか言いようがない店員だった。

2007年4月24日 (火)

『なでしこスーパーカップ』

昨日の昼、ミルククラウンのジェントルと駒沢陸上競技場で女子サッカー『日テレ・ベレーザ』VS『TASAKIペルーレFC』の試合を観戦した。

気候も良くて緑の芝生も綺麗で、とても気持ち良かった。

当たり前だが選手はみんな無茶苦茶上手かったし試合も凄く面白かった。

僕とジェントルは日テレ・ベレーザの応援席に座り、日テレ・ベレーザを応援していた。怪我から復帰した選手を見に行ったのだが大活躍で嬉しかった。

だが相手チームの選手が素晴らしいプレーをしても思わず2人揃って感嘆の声をあげるため周りからは若干冷たい目で見られていた。

試合前に両選手の名前が書かれたパンフレットが貰えるのだが、ジェントルはボールが止まる度にパンフレットで選手の名前を確認して『今のは代表の選手ですね』などと言っていた。僕はパンフレットは席に着くなりすぐカバンにしまいこみずっとグランドを睨んでいた。

ジェントルが『サッカー観戦にも性格が出ますね』と言っていたが、ジェントルの見方は色々と解って面白くて良いなぁ。と思った。

僕は基本的に試合が始まるとグランドから目が離せないのだ。昨日に関しては横でジェントルが解説してくれたので最高だった。

試合は日テレ・ベレーザが勝った。何もかも思い通りのサッカー観戦になった。

しかし試合後、選手達がサポーターの前まで挨拶しに来た時、ジェントルが突然、応援していた選手の名前を叫んだ。なりふり構わず叫んだ。その時は少し恥ずかしかった。

隣の子供もちょっとひいていた。どこがジェントルやねんと思った。

と言いながら、その選手がこちらを向き手をあげてくれると嬉しくて僕も地味に手を振った。

2007年4月19日 (木)

『懐かしいかなぁと思って』

 昨日、地元大阪の友達から届いた無言のメールに写真が一枚添付されていた。

何やろ?と写真を開くと『通天閣』の写真だった。

『何で通天閣やねん。』とメールを送ると『懐かしいかなぁと思って』と返信があった。

『通天閣に何の思い入れもないわ。懐かしいもんやったら黒原公園のベンチとベンチの間とかもっとあったやろ。』とメールを送った。

 すると今朝目が覚めると、その友達から『黒原公園のベンチとベンチの間』の写真が送られて来ていた。

アホやなぁと思った。昔は僕も友達も黒原公園の近所に住んでいたのだが今は友達も引っ越して微妙に離れた所に住んでいるのだ。

何でわざわざ撮りに行くねん。と思った。

前日に『黒原公園のベンチとベンチの間』にするか『小学校の体育倉庫』にするか2秒程迷ったのだが黒原公園にしといて良かった。

小学校の金網をよじ登る友達を想像したくなかった。

『黒原公園のベンチとベンチの間』は無茶苦茶懐かしかった。

小学、中学と毎晩この公園でボールを蹴っていた。たまに昼間この公園に来ると犬のフンが多くてびっくりした。いつも夜中で見えなかったが、こんな地雷だらけの所でドリブルしてたのかと恐くなった。

そう言えば小学生の頃みんなで黒原公園に集まりサッカーをやっていると僕が犬のフンを踏みみんなから『ウンコ』と呼ばれ『ウンコマークしろ』とか永遠しつこく言われ続けて怒った僕は公園のはしにある少し丘になっている所に登り長時間スネていたら、下から『マッタンごめん、降りて来てや』とみんなから説得されるというウンコ事件などもこの公園であった。ウンコを踏み、そのあげくスネて友達に励まされ、結局降りて行く自分に絶望したものだ。


2007年4月15日 (日)

『近所のコンビニ』

確実に腹減ってるけど、何を食うたら良いか解らんような状態でヨーグルトだったら食べれると思い近所のコンビニに行った。

コンビニに入ると大音量でハードロックが流れていた。深夜勤務のアルバイトが勝手に流しているのだ。僕も昔やった。

しかし、その流れている音源がライブのCDか何かで曲と曲の間に外国人のボーカルがトークしてたりオーディエンスが叫んでたりコールしたりレスポンスしたりしてて、コンビニで聴かされると違和感があり無茶苦茶やかましかった。

深夜は退屈だという気持ちは解るけどライブのCDはアカンやろと思った。

どこで線引いたらいいか自分でも解らんけどライブCDはオーナーにバレた時の怒られかたに拍車がかかるような気がした。

レジにヨーグルトを起き30秒くらい待った。レスポンス無茶苦茶遅いやんと思った。

全く関係ないが行きと別の道で帰ると近所に古くて大きな倉を見つけた。

『おっ倉や』と思った。

2007年4月13日 (金)

『ホトトギス』

お昼ごろ散歩した。

天気が良くて気持ち良かった。

調子にのって歩き続けるとひっそりとした住宅街に着き、世界が終わって二ヶ月程たったような雰囲気のクリーニング屋を見つけた。

営業はしておらず、黒く汚れた人形が天井から吊されていた。

一体何を訴えようとしているのだろう?



2007年4月12日 (木)

『明日からも友達』

 僕の友達が『服にはこだわらん。そんな奴はオカマや!』と豪語してる。

そんな事を言う奴が上下ピンク色のスウェットを着てたら説得力もあるけど、そんな奴は必ず地味で当たり障りの無い服を着ているから腹が立つ。

自分で主張しないオシャレをしっかりとわきまえてる。『服はどうでもいい』とかほざいてるその裏で『ナチュラルで良いよね』とか言われようとしてて気持ち悪い。

『そういうのは奥田民生のように選ばれた人間しか言うたらあかんねん。お坊さんでも修行の末ようやく人に良く思われたいという欲を捨てる事が出来たり出来なかったりやのに、何でお前みたいな者がいきなりその境地にいてるみたいな発言してくれてんねん』と僕は言った。

『それは又別の話やろ』と友達は言う。

ほな今後一切服の話をするな。苦手なら苦手でいいから何も主張するな。「何も解らへんけど気付いたら良い感じになってました」というようなラッキーを狙ってる奴が何を安全地帯から人を攻撃してんねん、汚らわしい。

『お前ほんま成長せえへんなぁ』と僕が言うと『お前や』と言い返されて全然意味が解らない。

突然友達が笑いだした。腹立ち過ぎてどうしたらいいか解らず笑うしかないみたいな、とにかく一番腹立ってる時の感じを出して来た。

もう全部言うたろと思い『お前は昔から「女にこびる奴はみっともない」とか言いながら硬派な男ぶってるけど、おれから見たらそんなお前が男にこびてるように見えて気持ち悪いねん。完全に男社会の票を取りに行ってるやん。いやそうやん男にこびてるやん。ほんでしっかりと「女の子にこびず男に認められる男」というキャラクターが女から無茶苦茶人気がある事まで計算してる感じが見えて恥ずかしくなんねん。どうせカッコつけんねやったら男にも女にもこびんかったらええやん。お前は両方にこびてるやん。自分で何事も決められへんやん。全部わざとらしいねん。システム的やねん。多数派についたり少数派についたりするタイミングも絶妙過ぎるねん。全然損してないやん。たまには孤立したりしろや。一人ぼっちなったりしろや。そんなん無理やろ?ほな誰が誰にこびようが、誰がどんな服を着ようが人の勝手やろ』そう言い終え、窓にうつる自分を見ると貴婦人のような奇抜な帽子をかぶっていて、『ああ俺はこの帽子を馬鹿にされたからコイツに怒ってたんか』と思い出した。

2007年4月 9日 (月)

『側転』

天気が良かったので散歩がてら緑の芝生がある公園に行ってみた。

その公園には土が盛られ整備された丘のようになっている一角があり、そこからは公園全体を眺める事が出来る。

その丘のベンチに座っていると僕の方に向かって緑の芝生を横断して来る小学生くらいの女の子がいた。

女の子は丘の下まで来ると突然クルッときれいに側転をした。

そしておもむろに僕の方を見上げた。

『知らんがな』と思った。

そしてもう一度側転を成功させると再び僕の方を見た。

女の子は何度も何度も側転を繰り返し、その度に僕の方を見た。

『凄いねぇ』とか言わなアカンのかなぁと思ったが、それも気持ち悪いので黙っていた。

女の子はずっと側転を繰り返し続けていた。

何か怖くなって帰った。

2007年4月 7日 (土)

『見せてもいい…』

街角やテレビなどで時折耳にする『これは見せてもいいパンツだから』あるいは『これは見せる用のパンツだから』という非常に難解な女性の言葉。

 例えばこれが男性の口から発せられた言葉であったなら即刻変態と断定し断固黙殺するのだが女性の言葉だけに意味ありげで困る。

 『見せてもいいパンツ』という言葉の裏には『見せてはならないパンツ』が確実に存在する。 

ということは『見せてもいいパンツ』は偽パンツという事だろうか?

見せてもいいパンツには思考回路を混乱させる響きがある。

常日頃そのように考えていた僕が、先日楽屋で本を読み感動し思わず『これは面白いなぁ』と言うと先輩から『一人言にしては大き過ぎるけど俺に喋りかけたわけでも無いよね?』と言われてハッとした。

この感覚は『見せてもいいパンツ』に限りなく近い『聞かれてもいい一人言』だと。

『見せてもいいパンツ』

『聞かれてもいい一人言』

『目立ちたいがためだけの遅刻』

『振られてもいい告白』

『中学時代だけの親友』

『両面全く同じリバーシブル』

どうでもいい苦悩。

2007年4月 3日 (火)

『花見』

ここ数日、井の頭公園は尋常ではない数の花見客で賑わっている。

それは尋常ではない程のブルーシートが敷かれていることでもある。

ブルーシートといえば思い出すことがある。

僕の通った小学校の遠足では弁当を食べる時に敷くシートを1人1枚ずつ持参するように定められていた。

それぞれのシートを友達同士寄せあい弁当を食べるのだが『シートが大きい奴は少し優越感に浸れる』という法則を小学生の僕は発見してしまった。

『これだ!』と思った僕は父親が仕事現場に持って行く大きなブルーシートを持参した。

一人だけパンパンに膨れ上がったリュックサックを背負い山に登り幾度か何故このような苦行に自ら挑んでいるのか解らなくなった瞬間もあったが昼食時に周囲から寄せられるであろう羨望の眼差しを思い浮かべると足は軽くなった。

そして、いよいよ弁当を食べる時間になった。

みんなが小さな七色のビニールシートやアニメのキャラクターもののシートを次々とひろげていく。

そんな中、僕も大きなブルーシートをリュックから出してひろげた。

案の定『むっちゃデカい』と一瞬盛り上がった。だが想像に反し誰も僕の大きなブルーシートに座ってくれなかった。

よく考えれば、みんなはそれぞれ自分のシートに座るのだから当然の結果だった。

僕は子供にしては馬鹿デカいブルーシートに一人寂しく座り何か物凄くダサかった。

桜の木の下で無数に敷かれたブルーシートを眺めていると、そんなことを思い出してしまった。

どのブルーシートも沢山の人に座って貰えてて幸福そうだった。

そんな事を考えながら歩いていると外国人の花見客が持ちこんだソファに座っていて『それはちょっと違うやろ』と思った。

2007年4月 1日 (日)

『雷』

先程、静岡に着くと土砂降りの雨だった。

宿泊先のホテルから飯でも買いに行こうと思い雨の中を走った。交差点を渡るとコンビニがあった。

飯を買い店の屋根で雨宿りをし、信号が青になるのを待った。青になったら全力で走ろうと思ったのだ。

青になった。走った。雷が光った。驚いた。走った。信号を見た。赤信号でも青信号でも無かった。停電で信号が消えたのだ。

何だこのタイミングは?と思いながらも僕は車が怖かったので止まった。

車も進まずに止まっていた。

手を遠慮がちにあげて渡った。

遠慮がちにあげたのは恥ずかしさからではなく、そこに雷が落ちて来たら恐いからだ。

2007年3月28日 (水)

『明日の出演』

明日の出演ですがルミネの『5じ6じ』と『無限大1部』両方に名前がありましたが、ルミネの出演は無くなりまして無限大1部の出演になりました。

先程連絡がありました。

すみません、宜しくお願い致します。

『人の事をとやかく言う前に』

先程携帯電話をいじくっておりますと、先日こちらの携帯から送信しましたブログが保存されてありまして、『あっ何か書いてる』と思い読んでみたのですがスグに読むのをやめました。

と言いますのも『同期の芸人であるキシモトさんは言葉の間違いが非常に多い』などと偉そうに書いた文章だったのですが、その前に僕自身が『○○と言う言葉を発した…』と言葉を間違っておりました。

『言う言葉を発した』の『言う』は誤りでございます。

間違いくらい僕みたいなもんは日常茶飯事でやらかしているのですが、人のことを言っておきながら間違うのは非常にお恥ずかしい。

この過ちは頭髪の校則違反を生徒に指導している教師が七色のモヒカンであることに匹敵します。

附記:本日開催されたフットサル大会にて、セブンbyセブン宮平がゴールを決めた後ジャンピングガッツポーズをしたことについて試合後に『お前いつもゴール決めた後の喜び方派手すぎんねん』などとチーム内で僕を中心に責めていたのですが一時間後、ゴールを決めた僕は思いっきり人さし指を立てた右手を天井に掲げてました。すみません。

2007年3月26日 (月)

『もろたそこそこ』

この間、同期の芸人キシモトマイが会話中に『もろたそこそこ』と言う言葉を発した。

どういう意味だろう?と僕は首を傾げた。

ご存知の方もおられると思うがキシモトさんは言葉の間違いが非常に多い。

以前、妖怪『一反木綿』の事を『イスタンモーメント』と西洋の妖怪のように言っていたくらいである。

しかしキシモトさんは驚くほど凄いことを頭の中で考えていたりするので、それを聞き出すため時折キシモトさんの口から難解な言葉が発せられても僕は出来るだけキシモトさんの話の腰を折らずに前後の脈絡からその言葉が何であるかを考えるようにしている。

それにしても『もろたそこそこ』。

それまでの会話と繋らないところから突如出現したような印象で宙に浮いた『もろたそこそこ』。

並列的な単語が2、3並んだ後に発せられた『もろたそこそこ』。

さすがに気になり過ぎてキシモトさんに『もろたそこそこ』の意味を尋ねると『もろたそこそこは、もろたそこそこでしょ』と言う。

あれから一週間ほど過ぎたのだが、色々考えた結果『もろたそこそこ』の正体は『その他もろもろ』ではないかという結論に僕は至った。

そして先程、キシモトさんに電話をかけ答え合わせを試みた。

『この間キシモトさん辞書に載ってない「もろたそこそこ」っていう言葉言うてたやん?』

『もろたそこそこ?なにそれ?』

一週間も前なのだから覚えてないのも無理はない。

『いやキシモトさん「もろたそこそこ」って言うててんけど、それ「その他もろもろ」の間違いちゃうかな?』

と僕が聞くと、どう解釈したのかキシモトさんは言った。

『そうだよ、「その他もろもろ」だよ!「もろたそこそこ」って何言ってんの?』

風向きが怪しい。なぜかキシモトさんの中で、僕が『その他もろもろ』を『もろたそこそこ』と間違えたようになっている。

更に携帯電話の向こう側でキシモトさんは『「もろたそこそこ」じゃなくて「その他もろもろ」』と僕に教えてくれてる。

『言うてたん、お前や』と反論したが一向に通じる気配が無かったのであきらめた。

最後にキシモトさんは『すみませんね、ヨブン遅くに』と言って電話を切ろうとしたので、僕はここぞとばかりに『夜分(ヤブン)や!!』と叫んだが、その声はキシモトさんに届いたかどうか。

2007年3月22日 (木)

『開花宣言』

開花宣言は紛れもなく春の到来を告げる。

だが僕にとっての春の訪れは靖国の桜が五つ開くことよりも井の頭公園のボートが半分以上利用されている状態の方に信憑性があったりする。

寒いとボートに乗る気が一向にわかない。冬の間、池の隅に整然と並べられ利用される気配のないボートは可哀想だけど何故か少し可愛い。

初心者にとってボートを漕ぐのが以外に難しいのはボート自身も意思を持っているからだ。冬の間使われずフラストレーションがたまりにたまっているのだ。

今日はボート達無茶苦茶はりきってる。

夜更けにはまた隅っこでおとなしくさせられているボート達を見にこよう。


2007年3月15日 (木)

『似てる』

今日のお昼にフットサルをした。

けんじる、ロシアンモンキー川口、ミルククラウンジェントル、しずる村上、サイクロン小沢、などが来ていた。

僕が試合をしている時に休んでいた、けんじる達が『又吉さん似てる~』と物凄い盛り上がっていた。

しかし会話が断片的にしか聞き取れず、僕は自分が誰と似ていると言われているのか気になった。

今日の僕は前髪が目に入らないように黒いゴムを巻いていた。

2日ほど休みだったので髭を剃っていなかった。

とにもかくにもサッカーのユニホームを着ているのだからサッカー選手であることは確かなはずだ。

先程、僕が良い角度のスルーパスを出した瞬間に『似てる~!』と盛り上がったわけだから、中盤の選手ではないだろうか?

そんな事を考えながら試合を終えた僕の元にけんじるが楽しそうに走ってきた。

けんじるは『又吉さん、向こうで「又吉さんが北斗の拳に出て来るトキに似てる」って無茶苦茶盛り上がってましたよ!』と言った。

全くサッカー選手じゃなかった。しかもよりによって何故トキなのだ。

トキは無茶苦茶魅力的ではあるが。

そんな事を言っていると、遅れてセブンbyセブンの宮平きょうなおが『おはようございます』と言いながらフットサル場に入ってきた。

ケンシロウにしか見えなかった。

2007年3月14日 (水)

『ソバ屋にて』

 お店でソバを食べて支払いを済ませた。五百円のお釣りのはずだが、明らかに普通の五百円玉とは異なるものを渡された。ゲームセンターのコインだろうか?

 正常な五百円玉とかえて貰おうと思い店員の方を窺うと、店員の体から『ワクワク』の粒子が溢れだしていた。

特に眼は『ワクワク』そのもので、『来るんか?来るんか?』と僕を誘っていた。

完全にトラップだ。

店員に声をかける寸前の所で僕は店員の異変に気付き何とか思い止まると店を出た。

背後で店員の『ワクワク』が急速に力を失って行くのを感じた。

反対に僕の体を悪魔的な『ケッケッケッ』が取り巻いていた。

財布に入れる前にコインを確認した。

『南極地域観測50年』と記された記念の五百円玉のようだった。

二匹の犬らしきものが向かい合っている。

一匹は『ワクワク』していて、もう一匹は『ケッケッケッ』としていれば上手くまとめる事が出来たのだが…。

実際には二匹とも尋常じゃないほど疲れ切っているように見えた。

南極地域観測が厳しい作業だったということを何故50年後ここまで切実に訴えなければならなかったのだろう?


2007年3月12日 (月)

『ピンク極まる』

先日、音楽をやっている友達のライブに行ってきた。

その友達は元々はNSCの同期で、NSCという特殊な環境の風変わりな集団の中においても彼は圧倒的な存在感を放っていた。

『又吉くんはいつも灰色だね、限りなく黒に近い灰色。ぐっちゃぐちゃ。でもたまにピンクなんだよなぁ』

彼と二回目に交した会話の中で彼から言われた言葉である。

最初は全く意味が解らなかったが、僕はその言葉に理解を超越した魅力を感じた。

というより彼に言われた瞬間から当時18歳だった僕は限りなく黒に近い灰色でたまにピンクになった。

かくいう彼も僕に言わせれば、限りなく黒に近い灰色で時々ピンクだった。

僕等は互いにピンクになれる瞬間を求めた。

そして『あっ、いまピンクだね』と世間で定義づけされていないピンクを二人の中ですり合わせていった。傾向として『見せかけではないカッコ良さが無理なく伴った時』が感覚的にはピンクに近いようだったが、僕達は完全にピンクを表現する言葉も状態も発見出来ずにいた。

8年近くがたった。

彼は数曲目を歌い終えた所で『みなさん私事で申し訳ございませんが、家庭ののっぴきならない事情により今日のライブをもってバンドを休止します。一家離散です』とみんなに告げた。

そして全ての演奏が終了し、彼を含めたバンドのメンバーが舞台袖にはけていった。

すごく感動した。僕は一人で感慨に耽っていた。

暗かった会場に灯りがともり、静かな音でBGMが流れだし、会場に集ったお客さん達がゆっくりと動きはじめた。

その時、再び舞台上に僕の友達があらわれた。

『すみません皆さん、今日最後だって言いましたよね?ずっと袖でアンコールを待ってたんですけど、一向に起こる気配が無かったので勝手に出てきました。あと一曲だけ聴いて下さい』

そう言って歌い出した友達は紛れもなく純粋な無垢な完全な極上のピンクだった。

2007年3月 6日 (火)

『電車の中で…』

今朝、電車の中でおばあちゃんに席をゆずったら、お返しに『GoKu GoKu』という乳製品乳酸菌飲料を貰った。

ゴクゴク飲むには量が少ない気もするがラッキーだ。


2007年3月 2日 (金)

『最後に…』

最終的に定食屋に入って朝からカツ丼を食べている烏龍パークの橋本さん。

そして橋本さんは僕に『それで?何で悩んでんの?』と聞いてきた。

 何故僕が悩んでいると思ったのだろう?別に悩んでいないのだが。

そうか橋本さんは僕が何かに悩み落ち込んでいると思い色々な所に連れて行って僕を元気づけようとしてくれていたのか。

 ありがたいことだが、僕は悩んでいない。逆に申し訳ないが僕は結構元気だ。

 しかも橋本さん、落ち込んでいる奴の励まし方と、話の切り出し方が何か昔のトレンディドラマみたいで古い。

それにしても近くにバッティングセンターがなくて良かった。

『おもいっきり空振りしている内に嫌なこと全部忘れてもうた奴』みたいなフリをしなければならない所だった。

外に出たら朝焼け。ほんまは何かに悩んでいたのかな?という気がせんでもない。


『朝が来て…』

卓球倶楽部の次はボーリング場。

遊技場二件目。僕にとって遊技場のハシゴは人生初。

誰の誕生日でもないのに何故橋本さんは今日こんなにテンションが高いのか?

しかし他の客のスコアボードを見たら、みんな名前を『ピッコロ』、『キキ』、『ヨッシー』などニックネームで楽しげだが、僕たちは『又吉』と『橋本』。

遊び方知らないのがバレバレ。

受け付けで用紙に名前を記入する際、それが反映される事を教えてくれていたら、せめてカタカナにしたのに。

店員が『ブラックライトですがよろしいですか?』と言われた時、何の事かよくわからず困り、助けを求めて橋本さんを見たら橋本さんも卑屈に笑ってらっしゃった。

よくわからなかったのだろう。

それにしても朝だというのにこの表情。


『師匠と…』

今日は結構朝早くから起きていたので、まぁまぁ眠たい。

 今は烏龍パークの橋本さんと卓球倶楽部に来ている。

学生時代、卓球部だった橋本さんはテンションが上がりきって先程から『デュース、デュース』言うてはる。

まだまだ眠れなさそうだ。


2007年3月 1日 (木)

『告知』

芸人フットサルリーグ~hype~

〈日時〉 3月27日(火)

開場18:45  開演19:00

〈会場〉品川スポーツヒルズ銀座deフットサル大崎スタジアム

3月の末から再びフットサルリーグが始まります。

我々のフットサルチーム『鴉』も参戦致します。

 今回から東京NSC九期生の『サイクロン』というコンビで活動している小沢くんが新しく鴉に入る事になりました。

 身長165cm 体重60Kgの小沢くん。

体型は完全に80年代90年代のサッカー界のスーパースターであり僕が一番好きなサッカー選手マラドーナそのものです。

 更にプレーを見て驚きました。無茶苦茶上手くてマラドーナっぽかったのです。

僕は確信して小沢くんに声をかけました。

『一番好きなサッカー選手は?』

一応聞いたものの、九割方マラドーナという答えが返ってくるのは解っていました。

小沢くんは答えました。『ジダンです』

全然マラドーナじゃありませんでした。何か勝手に恥ずかしくなってしまいました。

しかし、その一筋縄ではいかない感じに鴉的なものを感じたので鴉に誘いました。

注目して下さい。

2007年2月25日 (日)

『モンジャイ道』

幼馴染みが仕事で上京して来たので一緒にお好み焼き屋に行きました。

 大阪在住の幼馴染みにとっては、せっかくの東京なのでお好み焼きと一緒にモンジャ焼きも注文しました。

幼馴染みは仕事における悩みや愚痴を僕にこぼしながらお好み焼きを食べました。

 しかし幼馴染みはストレスで食が細くなってしまったようで『マッタン頼む』と言ったきりモンジャには手もふれません。

そのくせ幼馴染みは仕事の上司に対する呪詛を唱え続けておりました。

テーブルを挟み、社会に向き合う幼馴染みと巨大モンジャと向き合う僕がいました。

一人で大きなモンジャを食べきれるわけもなく途方に暮れた僕は、幼馴染みに『大変やなぁ』とか『上司もお前の事考えて言うてくれてんのちゃうか』などと適当に相づちを打ちながら少しずつモンジャの広大な土地を削り北海道を作りました。

 僕が幼馴染みにしばかれなかったのは逆から見ると全く北海道に見えなかったからでしょう。

 

『お前、人が真剣に悩み喋ってんのに何モンジャで北海道作ってくれとんねん!』

そんな風に幼馴染みから叱られてみたいという気持も無かったわけではありません。


2007年2月22日 (木)

『目撃』

 昨日だったか、今日だったか、明日だったか渋谷の駅で見覚えのある長身の男を目撃した。

 グランジというトリオの一人で身長190cmを誇る『五明』だった。

 東京NSC筋でまことしやかに囁かれるウワサがある。『五明は怒ると身長が伸びる』、『国からの要請を受け半年に一度、巨大化した五明が東京タワーの天辺を掃除している』、『昨年高い確率で東京で地震が起こると言われていたが、それを阻止したのが五明らしい』、『酔っていたから確信は持てないが、ある真夜中ゆうに身長50mを越える五明が山梨方面に向かって歩いていたのを見た』など五明に関するウワサは枚挙にいとまが無い。

 そんな五明を渋谷で目撃したので声をかけようと近寄って行くと、五明は駅などによくある無料の旅行パンフレットが並ぶ棚の前に立ち、おもむろに『房総半島の旅』と書かれたパンフレットを手に取りそれを睨んでいた。

 その緊張感の欠落した完全プライベートっぷりに思わず僕は笑ってしまった。

 しかし次の瞬間僕は地獄の底に叩き落とされた。

 なんと、恐ろしい事に五明はパンフレットに向かって一人で何やらつぶやいたのだ。

なんと言ったのかは聴こえなかったので、ここからは憶測の範囲を出ないが口の動きを見た限り恐らく身長190cmの五明は『房総半島の旅』と書かれたパンフレットに向かって以下のようにつぶやいた。

『四歩で行ける』

2007年2月19日 (月)

『ランプと傘』

昨日は京都駅で新幹線を降り、売店でビニール傘と文庫本を買って河原町まで雨のなかを歩きました。

十年くらい前に行ったきりの『ランプの店』を探したかったのです。

記憶が曖昧だったため『ランプの店』にはなかなか辿り着けず途中から本来の目的を忘れた僕はただ単に歩きたい道を歩き、曲がりたい角を曲がっていたため『ランプの店』には辿り着けるはずもありませんでした。

しかし辿り着けたのです。気が付くと僕は『ランプの店』の前にいました。

ただし散歩の神様に捧げる代償としてなのか傘がいつのまにか無くなっていました。どこにも立ち止まらず確かにさし続けていたはずの傘がどこかに消えていたのです。

途中までクルクルと回転させて遊んでいたのは覚えているのですが…

散歩に気持ち良くなってしまった僕は全身から溢れ出すドーパミンを京都の町に巻き散らしながら傘も一緒に空に投げてしまったのかも知れません。

『ふだん傘ささねぇから、まぁいっか』

『ランプの店』は僕が『ランプの店』と呼ぶだけあって、素敵なランプが沢山ありました。

『十年前から店に並んでいるランプはどれですか?』

僕がそう尋ねると、若い店員さんはあっさり『解りません』と 答えました。

『ちぇっバイトか』

僕は無理矢理納得する努力をしました。僕が超能力者だったら店のランプの灯りを順番に全て消して最後に残った一つを買うことも出来たのですが僕は凡人なので店を出ることにしました。

外に出ると降水確率80%を覆し雨は上がっていました。

僕は悠々と歩き京阪電車で自宅を目指しました。途中窓の外を見ると京都の空の上で僕のビニール傘がクルクルと回転し、雨と戦っていました。

そういうことでしたか。ありがとう傘。

ほどなくして京都には又雨が降ったようです。

2007年2月15日 (木)

『点と点』

我がアパートに、いつも大音量でオペラを流している部屋がある。

 築60年の木造アパートに響くオペラはホラー映画でかかるBGMのように恐ろしく、深夜のトイレに向かう足を重くする。

 平静を装い口笛を吹こうとするのだが、それはそれで蛇が出るなどと考え出すとより恐くなる。深夜のオペラは出来る事なら聴きたくないものだ。

 一方聴きたくてたまらない音もある。

早朝僕は度々ファミレスを訪れる。珈琲おかわり自由というシステムは僕という存在を想定せずに作られたもので、珈琲だけで永遠にページをめくり続ける僕を疎ましげに扱う怠慢な店員の態度を差し引いた所で300円少々、居心地が良いのに変わりはない。

 早朝のファミレスを棲みかとする人間は僕だけではない。

『プリーズ』という名の男がいる。もちろん命名したのは僕だ。いつもイヤホンを付け音楽を聴いているため店員に注文する声が物凄くやかましい。

そのプリーズがいつも聴いている音楽が気になって仕方がないのだ。

プリーズの店員に対する態度はまるでこの店のオーナーであるかのように横暴で、店員にヘイコラしている僕としては時々プリーズの所作を見て溜飲を下げたりしている。

そんな恐ろしいプリーズではあるが、珈琲のおかわりを注文する時は『ワンモアプリーズ』というのだ。

最初こそ我が耳を疑いもしたが、ただの変なオッサンということで僕は理解し彼を『プリーズ』と名付けた。

それにしてもプリーズはイヤホンでいつも何を聴いているのか?

その謎が今朝解けた。

 今朝。電車に乗り遅れそうだったので急いで部屋を出ると、何とプリーズがオペラの部屋の鍵を開けていたのだ。そうオペラの正体はプリーズで、プリーズがいつも聴いていたのはオペラだったのである。

自分でも俄かに信じがたいが受け入れるしかない。

それにしても、このアパートは妖怪だらけだ。

2007年2月12日 (月)

『優しさ』

喫茶店で珈琲を飲むときは出来るだけ静かな店を選ぶことにしています。

特に一人の時は視覚的にも落ち着く店を選びます。

今日は休日なので街には人が多く、人混みから逃げるように歩き静かな店を見つけたので入りました。

テーブルも椅子も木製で視覚的にも落ち着く店でした。注文した珈琲が運ばれて来ると、一緒に『珈琲紹介』と書かれたチラシも机に置かれました。

一通り目を遠すと僕はチラシをカバンにしまいました。机の上には珈琲カップ以外、何も無い方が落ち着くのです。

チラシをカバンにしまった事で僕の空間は落ち着きを取り戻しました。

しばらくしてマスターが水を注いでくれたのですが、その時に机の上にチラシが無い事に気付いたマスターはチラシを置き忘れたと勘違いしたらしく再びチラシを僕の机に置きました。マスターなりの優しさなのでしょう。

ここで『先程チラシもらいましたよ』と言える人。

もう一度チラシをカバンにしまえる人。

僕はマスターに声をかける事も、チラシをもう一度しまう事も出来ない人です。

2007年2月 9日 (金)

『本末転倒』

今朝、黒い革ジャンを着た泥酔状態のロックおじさんと出会した。

僕とロックおじさんは行く方向が同じだったため、しばらく一緒に歩くかたちになった。

ロックおじさんは一人で何かを叫んでいた。僕はヘッドフォンをはずしロックおじさんの声を聞いた。

『大きな音で人々の感覚を麻痺させる事を私がすこぶる気にくわんと知ってください』ロックおじさんは、このような事を永遠繰り返し叫んでいる。

 確に大きな音は、時に気持良かったり恐ろしかったりするため人間は大きな音に支配されやすい。

大きな音が悪かどうかは別として『本質的に優れているものは例え小さな音であったとしても素晴らしいのに人はそのような本質を見落とし、大きな音や装飾的な物に騙されがちだ』そんな意味として僕は捉え、納得もした。

それにしても、早朝の住宅街に響くロックおじさんの大きな大きな叫び声は『悪』以外の何物でもなかった。

2007年2月 3日 (土)

『葉笛』

昼間、喫茶店から出て散歩でもしようかと思ったら腰の曲がった御婆さんが、路傍の植え込みの葉を取り一生懸命葉笛を吹いていた。

 御婆さんの口元から発せられる歪な『ブ~』という音がお昼の町に響いている。

御婆さんはとても可愛かった。思わず僕が寄って行くと御婆さんは新しい葉を取り、僕を見つめ何やら曲を奏で始めた。

とてもロマンチックだったが一体それが何の曲なのか皆目見当がつかない。『それ何の曲ですの?』と聞くと、御婆さんは辺りをはばからず『う~さ~ぎ~お~いしかの山~』と唄ってくれた。浮き世離れした御婆さんだ。

御婆さんは何も言わず新しい葉をちぎり僕に手渡した。御婆さんを真似て僕も吹いてみたが全然音が出なかった。

御婆さんは『葉っぱが小さいから難しいね』と言った。『もっと良い葉っぱだったら「荒城の月」も吹けるのよ』と言った。

『へぇ~』と僕が驚くと『この前、三鷹の駅前で吹いていたら人だかりが出来て大変だったんだから』と得意気に語ってくれた。

御婆さんは『ああ、待ち合わせしてたんだ、じゃあね~』と僕に言って去って行った。

少し寂しかった。抹茶が飲みたくなった。また少し歳をとったようだ。

2007年1月31日 (水)

『iPod』

いま僕はiPodを聴いている。

 あれは確か9月の末頃、まだ半袖Tシャツの上から薄手のカーティガンをはおっただけの僕は『iPodを人から頂戴したのは大変喜ばしいが僕にはiPodに曲を入れる術が無い』と新品のiPodを握り締め自暴自棄に陥りながら一人ごちた。

その僕を救ってくれたのがジューシーズの児玉君だった。

『僕がiPodに曲を入れますよ』この児玉君の言葉がどれほど僕を楽にしたことか。絶対的に面倒であろう事は重々承知の上で僕はその言葉に甘えた。

長袖Tシャツの上からスウェットを着て更にその上からブレザーをはおっていたのは11月の中頃であっただろうか?

iPodはまだ僕には届かず、再生ボタン以外のボタンを幾度押そうが一向に何かが起こる気配がなく、つまりは曲を送ったり戻したりといった事が一切出来ずアーティストの意向そのままにアルバムを一曲目から順番に聴く事しか許されないボロボロのポータブルCDプレーヤーと僕は散歩を続けていた。

児玉君に会うと『本当すみません!もうすぐ出来ますんで』と言う。

僕『忘れてたんちゃうん?』。児玉『いや覚えてますよ!』。僕『ほな取り敢えず来年の2月まで待てばいいねんな?』。児玉『ハハハハそんなにかかりませんよ』。

というような会話の記憶も曖昧になるほど時が過ぎ大晦日、正月を迎えた。

いつからか、あのiPodは幻だったのだと僕は考えるようになった。さもなくば児玉君がいつも首からぶら下げているあのiPodが僕のiPodなのだ。

そしてとうとうiPodに関する思い出の全てがくち果て、そろそろ新しいポータブルCDプレーヤーでも買いに行こうかと血迷っていた僕に児玉君から『iPodがついに完成しました』と連絡があった。

1月の末。あの時、枯れ葉が舞い散るなか僕が軽い気持で言った『来年の2月まで待てばいいねんな?』という言葉も今では不本意ながら予言となってしまった。

児玉『さぁ又吉さん聴いて下さい』。僕『どこのボタン押したら良いの?』。児玉『ココです!又吉さんはやっぱりシャッフルで聴くでしょ?』。僕『シャッフル?』。児玉『シャッフルというのはですね、このiPodに入ってる曲がランダムに流れるっていう遊び心のある機能ですよ!』。

何でコイツこんなに楽しそうなんやろ?と不思議に思いながらも、こういう時は曲を入れて貰った僕の方が楽しんで置かなければ相手に悪い。

僕『なるほどシャッフルで行こう!』。児玉『シャッフル!』。僕『おっ来たで!』。児玉『さぁ!記念すべき一曲目は何ですか!?』。僕『うわっ!いきなりサニーデイ・サービスや!』。児玉『おお!良いっすね!次は?次は?』。僕『おっ!サニーデイの次が、はっぴぃえんど!こんな事があって良いんか!サニーデイとはっぴぃえんどが続くとは!』。

すると、さっきまであんなにハシャイでいた児玉が急に真顔になり低い声で『又吉さん、これがiPodのシャッフルです』と言った。やかましい。

2007年1月30日 (火)

『ラジオ体操』

風邪をひき弱っていたが森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』を読んだら治った。非常に面白かった。

 近所を散歩したが、体も軽く本当に治ったようだ。今はそう信じたい。

早朝、公園に集う御老人達。皆一様に中央に置かれたラジオの方を向き、そこから流れる誰かの声に従って体を動かしている。

 その光景を外国人のカップルが眺めていた。異様に見えたことだろう。

 僕も初めてテレビで、中国の人達が広場に集まり太極拳をしている映像を見た時は衝撃を受けた。外国人カップルはそれを生で見てしまったようなものなのだろう。

否、ラジオ第2体操に至っては、その怪しさたるや太極拳の比では無い。

これも日本なのです。

それにしてもラジオ体操が終わったあとの御老人達が帰るスピードといったら尋常ではない。もうちょっと喋ったりすれば良いのに、あっという間に散り散り。

所詮ラジオ体操などは帰路を急ぐためのウォーミングアップに過ぎんとでもいうのだろうか?

僕もまだまだ日本を知らん。

2007年1月28日 (日)

『カタン』

夜更け過ぎまで起きている時に新聞配達員を見たり、郵便受けに新聞が投函される音を聞くと切なくなるのは僕だけでしょうか?

 僕の中でそれらは絶対的な夜の終わりであり、同時に早朝の象徴でもあるのです。

例え友達と一緒にいてもカタンというあの音が聞こえてしまうと僕は溜め息を吐いてしまうのです。

学生時代。友達と朝方まで遊んだ時など、僕達は新聞配達員と出会さないよう、夜の方角へ必死で自転車をこぎました。

それでも必ず朝はやって来るのですが。

 そろそろ新聞配達のお兄さんが来る頃です。新聞配達員は築60年の木造アパートもお構いなしで走ります。おかげで僕は眠っていても必ず起こされてしまうのです。

そしてカタンという、あの寂しい音と共に虚無感を感じてしまうのですが悲観的に考えても仕方ありません。終わりと始まりは連続してい…、いや良い感じでまとめかけたけど、何で毎朝起こされて虚無を感じさせられなあかんねん。ほんで睡眠不足過ぎて新聞読まれへんわ。そんな事を考えてしまいました。

 今度朝の使者を捕まえて頼んでみます。しばかれたらどうしよう。

2007年1月24日 (水)

『眠らずに…』

寝たら負け、そう思っていたのは昨日の午前3時。

 午前11時からフットサルがあったため、このタイミングで眠ってしまえば起きれない可能性があると思ったのだ。

 僕は眠らなかった。

眠らずにフットサル場がある神奈川まで行った。

途中パン屋さんでカレーパンと珈琲を買った。

 いつもより早くグランドに着いたためか、まだ誰も到着していなかった。

グランドでは他のチームがボールを蹴っていた。

僕は一人でジャージに着替えストレッチ運動をしながら他のチームがボールを追うのを見ていた。

それ以上に彼等は僕を気にしているように感じた。

しかし僕は普段から街中などで恐らくは悪い意味で他人から凝視される事が多く、そのような視線にはある程度慣れていたので特には気にしなかった。

11時になっても誰も来なかった。不安を感じて一緒にフットサルをする筈だったジェントルにメールをしたがスグに返事は来なかった。

一通りストレッチを終えた僕は、思い出したようにカレーパンを食い珈琲を飲んだ。

やはり他のチームの人達が僕を見ていた。

そんな時に、ジェントルからメールが来た。

『又吉さんフットサルは明日です。』

笑うしかなかった。眠いなか1時間かけて来たというのに。僕は完全に日を間違えていた。

僕はスグに着替えてグランドを後にした。フットサルに興じていた集団が皆、僕の方を見ていた。

そら、そうだ。知らない怪しげな奴が何故か自分達を見に来てる、そう思い警戒していたら、一人でジャージに着替えストレッチを始め、一人でトレーニングでもするのかと思いきやカレーパンを食って帰って行ったのだ。

結果的にカレーパンを食うためにストレッチをしたような形になった。

実際いつもより順調に消化が行われたように感じたのは気のせいか。

正確には今日の12時からフットサルがあり、行く予定だ。

寝るべきか、起きておくべきか。べきか。

2007年1月21日 (日)

『そば』

 朝早くに目が覚めた。

腹が減ったので『そば屋』に入った。

僕の他に客は若いカップルだけだった。

天ぷらそばを食っていると、カップルの女性の方が『何か消毒臭くない?』と言い出した。

男性は『確かに』と言い汁をすすっている。

その言葉を聞いて、さっきまで美味しかった僕のそばも少し消毒臭くなった。

それが果たして消毒の味なのかどうかは別として、少なくとも女性が『消毒臭い』と感じとったものを僕も感じてしまった。

言わば、この店の出す『そば』に漂う説明し難い少しの違和感に、その女性が『消毒臭い』と名付けてしまったのだ。

女性は続けて『水も野菜も消毒臭くない?』と言い出した。

僕はその言葉を聞いて、そばを食う気が失せた。

女性は男性から賛同を得るため『ねぇ消毒臭いよねぇ?』と連呼する。

勘弁して欲しかった。

すると男性が『うるせぇよ!』と声を荒げた。

僕は『ナイス彼氏』と思った。

しかし、男性が続けて吐いた言葉に僕は我が耳を疑った。

男性は『「おまえ消毒してくれて、ありがとう」って思わねぇのかよ?』と言ったのだ。

僕は思わない。少なくとも消毒した事実は味に出てはいけないはずだ。

女性は『それは思うけど…』と言った。

思うんや。

最終的に二人はそばを感謝して食べれただろう。

巻き込まれた形の僕は、そばを少し残した。

2007年1月17日 (水)

『朝の公園』

早朝の公園を一人で歩いていた。

 日の出前の無人の公園を照らす街灯も、今は自分が歩くためだけに存在している。そんな事を考えていると知らぬ間に手を後ろで組んでしまっていた。

 遠方から見ると老人の散歩と寸分の狂いもなかっただろう。

 歩く度に段々と気分が良くなって来た。

 一歩毎に幸福感が二乗されて行くようだ。

 気持ち良くなり過ぎた僕の目には見慣れた風景も奇跡的なバランスに映る。

 これは写真におさめておこうとカメラ付き携帯電話を構え、写真を撮ろうとした瞬間、背後で笑い声が響いた。驚き振り返ると四人組の男女が僕の方を見ていた。

 物凄く驚いてしまったし、物凄く恥ずかしかった。

 カメラで写真撮る時、僕ちょっと膝を本格的に曲げてもうてたんとちゃうかな?

プロっぽい雰囲気無茶苦茶出したい奴みたいになってたんちゃうかな?

 写真もぶれていた。

帰り道を照らす街灯は、僕を辱めているようだった。


2007年1月13日 (土)

『ジッパー』

 電子辞書で『ジッパー』という言葉を調べたら『ファスナーのこと。』とあった。

 続いてカタカナ語辞典で『ファスナー』を調べると『チャック』とあった。

 続いてカタカナ語辞典で『チャック』を調べると『ファスナー、ジッパー、スライド・ファスナー』とあった。

スライド・ファスナーとは何だ?と思い再びカタカナ語辞典で『スライド・ファスナー』を調べると『チャック』とあった。

 以上の結果から、辞書を全面的に信じるならば、『ジッパー』は『ファスナー』であり『ファスナー』は『チャック』であり、『チャック』は『ファスナー』、『ジッパー』、『スライド・ファスナー』であるが、『スライド・ファスナー』は『チャック』ではあるが、『ジッパー』と『ファスナー』では無いという事が解った。

 そして、そんな事が解った所で何の得にもならんという事も解った。


2007年1月 8日 (月)

『圧倒的に白』

自分の部屋の中に限り、何故か白い物があると落ち着かない。

コンビニの買い物袋などは絶対的に視界から排除すべきものでスグにシュッと伸ばしてクルッと結び、横棒が足りない平仮名の『す』みたいにして、目の届かない場所に置く。

ティッシュ箱も茶色い木製のケースに入れて、白が見えなくしているのだが、神経が敏感になっている時は、その木製のケースから少し出ているティッシュそのものの白も気になって無理矢理押し込んだりする。

僕の部屋は知らぬ間に目が疲れにくい色で統一されている。

そのため白が外で見るよりも光を放ってしまうのだろう。

なんて事を考えていたのだが、そもそも部屋の壁が白だった。

2007年1月 6日 (土)

『泣き声』

今日未明、一人近所でラーメンとそぼろ御飯を食していると、外で何やら

赤子が泣き叫ぶような声がする。

ラーメン食って、そぼろ御飯少し残して外に出ると、僕の無茶苦茶かっこいい黒の自転車が客引のお兄さん達に囲まれていた。

とうとう泣いたか。前々から意思を持っているような走り方をするとは思っていたが、遂に声を出したようだ。

すみません親僕です。みたいな感じで自転車のハンドルを握ろうとすると、僕の自転車の前輪を挟み二匹の猫が全身毛を逆立て睨み合っていた。

泣いていたのは猫だったようだ。

客引のお兄さん達の『邪魔じゃボケ』的な視線に耐えながら自転車をひくと猫の喧嘩が始まった。

僕は自転車にまたがり少し進み、一度止まって座り位置を整えるためハンドルから手をはなすと勝手にハンドルがグルッと回って喧嘩している猫の方を振り返った。

やっぱり生きているようだ。

 猫が気になるのか、帰り道のペダルはいつもより少し重かった。

2007年1月 4日 (木)

『謹賀新年』

今年の初詣は近所に一人で行った、新年。

普段からよく散歩する神社ではあるが、新年。

やはり正月だけに他所行きの雰囲気あり、新年。

見慣れた鳥居にも何か有難いものが御座せられる気配あり、新年。

 たしか去年の初詣は同期のキシモトマイと一緒に参拝した、去年。

キシモトさんは、他の人達が『二礼二拍一礼』で参拝するのを見て、自分も同じようにしたくなったようで、去年。

僕が『お賽銭を入れて、二度礼をして、二回拍手して、最後にもう一度礼すんねんで』と説明するなり、一人で練習をはじめた、去年。

しかし、古今東西まれに見る天然呆けのキシモトさんは三度礼をしたり、一本締めで勝手に何かを締め括ってしまったりと相当てこずっていた、去年。

ようやく要領を得て得意気に神様の前に立ったキシモトさんだったが、後ろから見ていると『四礼二拍三礼』ぐらいになっていた、去年。

『やり方に気を取られ過ぎて、願いごと頼むの忘れちまったよ』と語るキシモトさん、去年。

 帰り道、駅の券売機で切符を買うキシモトさんは散々参拝の練習をしてしまったためだろう、券売機に小銭を入れたあと少し頭を下げてもうてた、去年。

たぶん券売機に神様はいてません、去年。

それに比べれば静かな今年の正月を、謹んで受け入れよう謹賀、新年。

2007年1月 3日 (水)

『ガッツ1〇〇』

五期生新年会と称し、ひかり荘にてラフコントロールと我々ピースで24時~4時まで配信させて頂きました。

その合間に、ラフコン重岡と共同製作のギャグが出来ました。

深夜のノリそのもの。悪ノリの権化。

明日起きたら完全に『何であんなことしたんやろ?』と後悔するパターンです。

その名も『ガッツ1〇〇』。ガッツ1〇〇師範の重岡による模範写真を見ながら、『ガッツ1〇〇!』と叫んでみて下さい。

どうしようもない気持ちになれると思います。


2007年1月 2日 (火)

『新年』

明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。


2006年12月26日 (火)

『詠む』

警察がサンタを襲うクリスマス 白い袋に白い粉雪

 複雑な聖夜でございます。警察とサンタが戦っていたら子供達はどちらを応援するか迷いながらも、クリスマスに限ってはサンタを応援するのではないでしょうか。

その時、警察官の恋人はケーキを用意して暖かいココアを飲みながら彼の帰りを待っているのです。

子供の眼にうつる白い袋に入った『粉雪』がクリスマスも休まず働く警察の眼には何に見えたのでしょうか?

このサンタのプレゼントを待つのが裏社会に生きる元子供ではなく、純粋な子供達である事を願います。

附記:以前、ある紙面で短歌を詠む仕事をいただいた折に詠んだ一応短歌の型式を踏んだものと、その解説文でございます。

短歌を詠むのは初めての経験だったので、大いにあわてふためいた挙句、何とか生みだしたのですが紙面には表現的に不適切と思われる箇所が含まれていたので、この句は採用せず、別のものを送りました。

しかし、この子が可哀想で可哀想で可哀想で。

復活させるならば今日が相応しく思い思い思い載せる事に致しました。

最後に『みなさま、メリークリスマス』ってお洒落に締めたら

『コイツきっつ~!』って馬鹿にする奴ばっかりやろ?

2006年12月24日 (日)

『年末』

 年末の残滓感が好き。

でも正月の静けさは、もっと好きです。

『キリンさんが好き。でもゾウさんは、もっと好きです。』みたいに言うてみた。

あのCMの少女が年老いて、こんな台詞を吐いたとしたら遣る瀬無い。

 例の如く暦によって強制的に年末感を感じさせられている。暦に従って毎年僕等は何かをやり残す。

考えようによっては新たな年から真っ白なカレンダーの上で何事かを始める事も、やり直す事も出来るといえる。

しかし新年から一念発起、張り切って色々頑張ろうと思うと新しく買ったノートの最初の方だけ物凄く丁寧に書き、ページを後ろにめくる度に字が乱れて行く、志が低い小学生の学習帳を思い出してしまう。あの憐れなノートと同じような一年になっては困るのだ。

と言うことで今回は、今年と来年、去年と新年という概念を放棄して、とりあえず12月29日辺りで新しい気持ちにリセットしたいと思う。

2006年12月20日 (水)

『優勝』

芸人によるフットサル大会『hype』が行われました。

そして、僕が所属している『鴉』がギリギリ優勝する事が出来ました。

最近の体調で薄々気付いてはいましたが、体が全然動きませんでした。

イメージとしては『寡黙なエースストライカー』を気取りたいのですが、完全に『一生懸命やるムードメーカー』になっていました。

『スグに調子戻りますよ』と僕を励ますチームメイトも半笑いでした。

帰り道、決勝で僕が決めたゴールシーンの話を永遠に繰り返していたら、みんなから、これ以上無いという程の『もうええって』感を出されました。

こんなに哀しい事があるでしょうか?

2006年12月11日 (月)

『ハローバイバイ関さんの本』

 普段から興味深い都市伝説を色々と聞かせてくれる関さんが『都市伝説』の本を出したので、迷わず買いました。

 僕も昔から、都市伝説的な奇譚が好きで、友達の家に泊まりに行ったら大概『宇宙人』か『タイムマシーン』か『幽霊』か『妖怪』の話でワクワクしていたのでこの本が出たのは嬉しいです。

 しかも少年の好奇心を満たすだけにとどまらず、社会的な不安を示唆する内容にも触れているので大人も面白く読めると思います。

本の表紙には『ハローバイバイ・関暁夫の 都市伝説 信じるか信じないかはあなた次第』とあり、どこからどこまでがタイトルか解らない程長い題なのですが、これも都市伝説に成りうるのかも知れません。

2006年12月10日 (日)

『12月19日フットサル』

12月19日、芸人によるフットサル大会『hYpe』が駒沢体育館にて行われます。

僕が所属する『鴉』も出場しますので、お時間ありましたら是非お越しください。

今回の鴉のメンバー

ロシアンモンキー、中須

ふくろとじ、けんちゃん

ミルククラウン、ジェントル

グレートホーン、尾形

セブンバイセブン、宮平

しずる、村上

ピース、又吉

監督は、ふくろとじのてっちゃん(かじきマグロ)でございます。

前回、助っ人で入っていただきましたライセンス井本さんの抜けた大き過ぎる穴を、帰って来た『しずる村上』が埋めます。

『告知』

『浪漫スペシャルズ』というユニットライブがあります。

メンバーは、パンクブーブー、ラフコントロール、平成ノブシコブシ、5ギャップ、若月、ピースです。

12月20日、新宿『安田生命ホール』にて18時開場、18時半開演でありますので、お時間ある方は是非お越しください。

2006年11月30日 (木)

『井の頭公園の池』

井之頭池のほとりに腰かけ考え事をしていた。

少し疲れたので考えるのを中断し、視界に入る景色に思考を任せた。

 池。頭が勝手に池の形を把握しようとした。

空中から見た池の形は三角形に近いが、どのように説明すればよいのだろう?

ナンだ。巨大なナンがあれば井之頭池にフタが出来る。

2006年11月24日 (金)

『筋、肉、痛』

昨日、久々にフットサルをやったので今日は朝から体の痛みに悩まされている。

今、僕が感じている小生意気な痛みをリアルに文字に起こしたとすれば、まるで、一言、喋る、度に、句読点を、打つ、かの、ように、痛みと、違和感が、意識の、表面、上に、出て、来て、思考、する、事も、ままならず、と言った具合に上のような事を述べるだけで打った句読点の数だけ自分が今筋肉痛である事を意識させられる。

 それにしても可哀想なのは体の方だ。『二度と激しい運動などしない』と宣言しているかのような不摂生を繰り返され体を衰弱させられ、緊張感を奪いとられた挙句、突然全力で走ったりボールを蹴ったりされるのだから。

イメージは十代の頃のままだから、僕は全力で走れるし全力で蹴れる。と思っている。どころか想い出は年を追う事に美化され、想い出の中の僕は年々過大評価をされ続けて行く。

このまま僕が八十歳になっても草サッカーをやっていたとするとイメージの世界で想い出の中の僕はスーパープレイヤーに成っていることだろう。

その時代にイメージを頭上に具現化出来るシステムが発明されていたとしたら……草サッカーに興じる老人達の超スローモーションな凡戦の頭上でワールド杯クラスの試合が繰り広げられるかもしれない。

 この筋肉痛は体から僕に対する苦情でもあるのだろう。

もうわかりましたよ、体さん。

2006年11月19日 (日)

『帰り道』

先日のライブ終り、同じライブに出演していたジューシーズの児玉と途中まで一緒に帰った。

児玉のバイクの後ろに乗せて貰ったのだが、この季節のバイクは冷える。

ようやく最寄りの駅に到着した頃には二人とも手足が冷えきっていた。

僕が『そこの店でホットココアを飲んで暖まってから帰ろか?』と提案すると、児玉は『それ無茶苦茶良い企画じゃないですか!最高ですよ!!寒い夜に暖かいココア!よしっ行きましょう!』と想像以上に食い付き、驚く程にテンションが上がっていた。

まさかそこまで受け入れられると思っていなかった僕は正直ちょっとひいてしまっていた。

でも、まぁ寒い日にココアを飲むというクソベタな行為に付き合って貰えるのはありがたいので嬉しくもあった。

しかし、この後僕は児玉によって理解不能の四次元世界に突き落とされる事になる。

二人して店に入り僕が当然のようにホットココアを注文すると、なんと児玉が後ろから『あと山ぶどうスカッシュ1つ』と注文したのだ。我が耳を疑った。

つい一分前まで無茶苦茶ココアに食い付いていた男が、寒い夜のココアを絶賛して男が、なぜ山ぶどうスカッシュなのだ。どのタイミングでココアは山ぶどうスカッシュに負けてしまったのだろう?

山ぶどうスカッシュって、それ、ただ単に喉が渇いていただけやん。

また一人、一筋縄では行かない男と出会ってしまった。

2006年11月12日 (日)

『ジャム』

デパートの地下で見つけた瓶に入ったジャム。

これが家にあれば、かなり精神的余裕が出せると思った。

一方で、かなり精神的余裕が無ければ瓶に入ったジャムは買えないとも思った。

キッチンもある程度広くなければジャムは浮いてしまうだろうし、ジャムを使うためにトースターもなければならない。

僕のジャムに対する偏ったイメージでしかないのかも知れないがジャムでパンを食した後はマウンテンバイクをこぎたい。クラシック音楽が何たるかをも知らなければならないし、英字新聞も読まなければならないだろう。

 こんなにもジャムは敷居が高かっただろうか?といささか疑問ではあるが今の僕にはまだ瓶ジャムは買えない。

夜、夜と同じ黒に髪を染めなおす。

更にジャムと距離が開いたような気がするが、今日の所は韓国のりをかじり布団に入る。

2006年11月11日 (土)

『かばん』

まだ終えていないけれど既に今日は散々だった。

 新宿で打ち合わせを終えた後、ルミネの出番まで時間があったので、以前質屋で見つけた鞄を買うためその質屋に向かった。

 しかし店に入ると、あろうことか丁度若い男性が、その鞄をレジに持って行く所であった。

どうせなら、もっと早くに売れて無くなっていれば良かったのに。完全な敗北を感じた。

考えてみれば僕が持つような鞄では無かったのだ、ヨーロッパ旅行する人が持つような高級鞄だったのだ。

武蔵野の散歩には似合わぬのだ。

こんな時は住宅街を散歩しよう。真っ直ぐ南に下って左折しよう。そして更に左斜めに下り、反転して今度は北を向き、右斜め上に歩こう。

それを何度も繰り返そう。

そしたら住宅街にLとVのモノグラム。

2006年11月 5日 (日)

『秋、渋谷にて』

先日、精神的余裕をかもし出したくて渋谷の街を歩いていた。

 すると前方から、平成ノブシコブシの徳井くんがタワーレコードの前をネズミのように歩いていた。

他の人ならいざ知らず、徳井くんなら無視するわけにはいかない。二回呼び掛けたが、渋谷の街がやかまし過ぎるのか、僕の声がか細すぎるのか?一向に気付く気配が無い。

徳井くんは気が大きいので、小さな事には気付かないのだ。

そこで最終手段、直接徳井くんの肩に手を触れると徳井くん目をひんむき『ビクッ』と、おもいっきり驚いていた。気が大きいのか小さいのか、どちらかはっきりして欲しい。

その時の徳井くん、家に帰って冷蔵庫開けたら死体が入ってた時くらいしか出来ないような表情だった。

せっかくなので二人で近くの喫茶店に入った。店内の二人席に荷物を置き『俺買って来るから座って待っといて』と、僕がレジに並んでいたら徳井くんが『外のテーブルも空いてるよ』と言う。

この言葉は意外だった。

僕は結構オープンテラスのようなハイカラかつ精神的余裕をかもし出せる席は好きなのだが、徳井くんはオープンテラスなど『しゃらくせぇ』と、いかにも言いそうな感じだったからだ。

僕は自分のオカマな一面を隠していたわけだが、徳井くん自ら外の席に誘って来たので勿論応じた。

そして徳井くんが待つ外の席にアイスロイヤルミルクティーとカフェモカを持って行った。

すると確にテーブルはあるが椅子が無い。徳井くんはと言うと地べたに座っている。

確にテーブルは空いてるけど、どういう事なのだろう?

徳井くんは当たり前の顔で『椅子は無いよ』などと言っている。

しょうがなく僕も腰を降ろしたが隣の席に座る若い女性に『大丈夫ですか?』とか『その方が居心地が良いんですか?』とか色々聞かれてしまった。

 最悪ではあったが、世界有数の忙しい街に本当の意味で腰をおろし、精神的余裕をかもし出す事にはある意味成功したようなので最高でもあった。

2006年10月31日 (火)

『商店街』

駅と駅の間、線と線の狭間。

全く電車の音も、踏み切りの音も聞こえない住宅街に突如得たいの知れない商店街を発見してテンションが上がる時があり、それが昨日。

地元の人しか立ち寄らない店や店。

精々50メートルの商店街にもかかわらずラーメン屋が三軒あった。環八でもあるまいし、知られざるラーメン戦争。

そうかと思うと定食屋の窓に貼られた御品書にもラーメン。

絶対いらんやろ、ギスギスしてるのだろうか。

そして商店街の終わりまで行くと銭湯。

看板に『4時~11時』とあり、まさかと思い丁度通りかかった近所の人に聞いてみると、なんと営業時間、朝の4時~朝の11時までらしい。

営業時間短すぎる。

それはちょっと怪しいので近々行ってみる。


2006年10月27日 (金)

『僕、思った。』

さっき散歩してたら、鉢植えを家の前に置いてる家があって、可愛いお花が咲いててんけど、その可愛いお花にね、まぁ正確には鉢植えにやねんけど『これはアナタの物ではありません、持っていかないで下さい。』っていうプラスチックのカードを挿してもうてて残念やった。

お花で家の前を明るくしたいのは解るけど、そんな怖い生活指導立ててもうたらプラスマイナスで結果マイナスになってまうやん。

ほんで細かい事言うたら『これはアナタのものではありません、持っていかないで下さい。』っていう文句も考えようです。

持って行く奴も『あっ、これ俺のんや』思って持っていくわけちゃいますからね。

花っていつかは散るんですよ、だから咲いてる時は一番素敵な形で咲かせてあげたい。

例え持っていかれたとしても散るまではどっかで咲いてんねんし、それに永遠に続くものほど退屈なものは無い。

2006年10月26日 (木)

『サイン会』

夕暮れ時、吉祥寺駅前の雑踏で僕は団塊世代達からの懐疑的な視線に全身を刺され唯一の自己防衛方法であり、最終手段でもある地蔵の如く無表情を決め込むという事態に陥っていた。

 普段の僕ならば、それだけで満身創痍であるのだが今日はそれどころでは無かった。

 何があったかと言うと、吉祥寺で作家ねじめ正一さんのサイン会があったのだ。

 事前にその情報を知っていた僕は仕事終りで会場に駆け付けた。

僕が到着した時には既に列が出来ていたので僕も慌てて本を買おうと思ったのだが、一つだけ誤算があった。

 新作エッセイ発売記念サイン会だったのだが、ねじめ先生の新作のタイトルが『老後は夫婦の壁のぼり』だったのである。

帯には「とかく夫婦はすれ違い。さらに老後は行き違う!?」とある。

なるほど、団塊世代の方々が多いはずだ。そして僕が浮き過ぎているのにも納得が行った。

 周囲の人からすれば僕の風体は『なんや知らへんけど、みんな並んでるなぁ、バイトまでまだ時間あるし丁度ええわ、俺も並んどこ』というような迷いこんでしまったフリーターに見えていたと思われる。

それでもせっかくなのでサインが欲しい。色々と神経は消耗するが覚悟を決め本を買い列に加わった。

 そしてようやく自分の番が回ってきた時、僕は持参した紙袋に手を入れた。周囲からすると僕が最も怪しげに見えた瞬間であっただろう。

 そして僕は紙袋からおもむろに刃物などではなく、ねじめ先生の直木賞受賞作『高円寺純情商店街』の初版本を取り出したのだ。

正直無茶苦茶緊張した。これほど緊張するものか?と自問自答してしまうほどに。

そして勇気を出して『先生、こちらの本にもサインいただけますか?』と言い、サインをいただいた。

ねじめ先生、サインの横に『高円寺純情』と書いて下さった。

感激した。

2006年10月25日 (水)

『しばくれ雨』

それにしても東京は雨。

 一体いつまで降り続くのだろう?

学生時代、教室などで『うわ~最悪や雨降ってる』などと言うと、必ず『でも雨が降らなければ人間は生きていかれへんからなぁ』と、問題のすり替えでしかない面倒な屁理屈をほざく奴がいた。

そんなことを都合八回思い出してしまう程、雨降り。

2006年10月23日 (月)

『身の丈足らず攻略出来ず、已むを得ず後略す』

雨降りの過ごし方を色々と思案したが、心を晴らすような解答に至らず時間を持て余している内に取り返しのつかぬ時刻になり慌てて家を出た。

 子供の頃、日曜日など家から一歩も出ず夕暮を向かえると後悔とも恐怖とも言えぬ『このまま一日を終えたくない』という感覚に襲われ、友達が誘いに来てくれないだろうか?などと他者の力で、このどうしようもない倦怠感から開放されようと甘い考えを巡らせていたが、とうとう日が暮れる寸前に色々な事を諦め、一人で何とか表に飛び出し自分が存在している事を何かに示し、瑣末な安堵を手に入れたりしていた。

 大人になった今も一緒である。時間は少々延長されたようだが、雨降りに家の中だけで過ごす事が出来ない。濡れてでも表に出てしまう。

 日常的に僕を散歩へと駆り立てるそぞろ神の正体は幼い頃から培ったこの感覚なのだなと思う。

 という事で、腹も満たせて尚且つ本も読める店を求め近所のバーガーショップに入った。

 二階席なら落ち着いて本が読める。

そんな事を考えながらバーガーとコーラーを注文したのだが、女性の店員が注いだコーラーがコップから溢れてしまっている。

そのコーラーをおぼんにのせ店員『お気をつけてお持ち下さい』と吐かした。

おぼんを持つ手に全神経を集中して階段を昇ったのだが『気をつけてお持ち下さい』とはこれはゲームか?

他人に注意を促す前に、そもそも店員がお気をつけ下さっていたならばこのようなモンスターは生まれなかったのだ。

 コーラーが少しこぼれてバーガーの袋を濡らした。ゲームは攻略出来なかった。

それにしても一日を生きて最も感情を動かされたのが、なみなみ注がれたコーラーだとは隠遁生活に埋没する老人もかくやといった寂漠。

一人感じ入ってもしょうがないので、まず手始めにコーラーを…。

(後略)

2006年10月19日 (木)

『ボート』

今日は夜からルミネの出番があるだけだったので、昼頃起き散歩してお茶して本読んで書く仕事して本読んで散歩してお茶してジェントルとボートに乗った。

『本日の営業時間5:20分まで』という看板が立っていて、日の入り迄という感覚が何か素敵だった。

スワンボートも捨てがたかったが結局景色が360度見渡せる定番のローボートに乗る事にした。

ジェントルが途中『はい優しい笑顔で笑って下さい』と言って僕の事を写メールで撮り出した。

若干気持ち悪くはあったが、せっかくなので思いきって優しく笑うと、あろう事かジェントルは『日曜日のオッサンじゃないですか』とゲラゲラ笑ってボートが揺れた。


2006年10月14日 (土)

『10年』

久しぶりにCDを買った。

10年前に発売されたサニーデイ・サービスの『東京』というアルバムの曲を、元サニーデイ・サービスであり現在一人で活動している曾我部恵一さんが10年を記念し今夏開いた弾き語りコンサートを収めたものだ。

サニーデイ・サービスは大好きなので今でも日常的に聴いているのだが、懐かしさと共に10年の時の流れを体感させてくれた。

それにしても、あれから10年か。


2006年10月 9日 (月)

『運命』

四年ほど前に高円寺の服屋でペイズリー柄のスリッポンを見つけスグに購入した。

凄く気に入って毎日のようにはいていたのだが、スニーカーは消耗品なので底が磨り減ったり穴があいたりして、はけなくなってしまった。

同じ物が欲しくて随分と探したのだが見つからない。それでも諦め切れず、どうしても欲しかったので作った人が経営する店まで行き在庫が無いか確認したが無く、再生産する予定も無いとの事だったので、とうとう諦めざるおえなかった。

 ところが昨日、仕事で訪れた世田谷の砧を歩いていると良い感じの古着屋を発見した。しかし次の仕事まであまり時間が無く、本来なら絶対店に入らないタイミングだったのだが何故だろう?何故か何かに引き寄せられるように店に入ってしまった。

そしたら店の奥にペイズリー柄のスリッポンがあった。サイズもぴったり。

最もこのスニーカーを欲しがる僕をそのスニーカー自身が呼んでくれたのだ。


2006年10月 6日 (金)

『測り知れず』

『廊下には絶対物を置かないように』と不動産屋に言われていたはずだ。

引っ越し先のアパートの話である。

しかし何という事であろう?僕以外の全ての部屋の前に当たり前のように物が置かれているではないか。

まぁそんな事は別にどうでもよいのだが、廊下を歩いていて驚いた。

何と、ある部屋の前に『三角測量の道具』らしきものが置かれていたのだ。

久しぶりに僕の意識の表面上に姿をあらわした三角測量。まさかこんな所で出会うとは三角測量。

部屋の前に靴箱とかを置きたいのはわかる。しかし三角測量の道具て。

自転車を廊下に置きたいのは更にわかる。しかし三角測量の道具て。

10月6日深夜1時。蛍光灯が地味に点滅を繰り返す廊下で三角測量の道具に出会った。外は秋雨。

2006年10月 2日 (月)

『哀しみ収集家』

秋は物哀しいと誰もが言う。

九月に入り、季節に敏感な友達から感傷的なメールがいくつか送られてきた。

道路に置かれた赤い三角コーンを見ると何故か哀しみを感じるらしい。

わかるような気がする。四六時中何らかの目印であったり、見張りをやらされている三角コーンには確かに哀愁が漂っている。三角コーンは僕達に立入禁止の場を示し危険から守ってくれている。決して無駄な物では無い。

しかし、僕達が布団に入っている間も三角コーンはポツンと同じ場所に立たされている事を考えると哀しい。そして少し笑ってしまう。優し過ぎて全然怒らない友達のようだ。

僕が個人的に哀しみを感じるのは、午後九時過ぎのゲームセンターにて、一人UFOキャッチャーに興じるスーツ姿のサラリーマン。

彼等は僕を無条件で哀しみの果てまで連れて行ってくれる。

本気で人形が欲しいわけではないだろうに何枚も硬貨を流し入れる。

お家に帰りたくないのだろうか?家に帰っても何一つ楽しい事が無いのだろうか?

その、そでをまくり上げた腕で本当に掴み取りたいものは一体何なのだろうか?

ぷっちょだ。

2006年9月28日 (木)

『ユニットバス』

師匠ことカレーコロッケの橋本さんの家でトイレをお借りした。

ユニットバスタイプなのだが、トイレの便座カバーとバスのカーテンを同じ緑色で統一していたのが少しだけ嫌だった。

 他の人ならば何て事は無いのだが、師匠が緑で行こうと思いたった瞬間や、便座カバーやカーテンを取り付けているところを想像すると少し笑えてしまうのだ。

なので『師匠、なに便座カバーとカーテンの色合せてるんですか』と言うと橋本さんは少し照れていらっしゃった。

そして下に敷いてある青いマットとシャンプーや歯ブラシその他洗面道具を同じ青で統一しているのも気になった。

緑と青の2色でまとめられたユニットバス。

しかし面積的に緑の方が多くてバランスが悪い。

トイレから出たらそれを指摘しようと水を流すと僕の眼前にブルーレットの見事な青が流れ落ちた。それは青と緑、5対5の奇跡的な配合で最高のバランスが生れた。

流石師匠と言う他に言葉は無い。

2006年9月26日 (火)

『渋谷道玄坂』

昨日、道玄坂を歩いていると、二人組の警察官に止められた。

この辺りは危ない物を持っている人が多いので荷物を見せて欲しいとの事だった。

別に良いですよ、と言って鞄から色々出して行った。

警察官が『いやぁ、お兄さん目が充血してたからね』と言った。

僕が黙っていると、もう一人が『最近はこの辺りも危ないからねぇ』と微笑みながら言った。

道玄坂の名の由来は、昔この界隈で頻繁に出没した盗賊だったか、山賊だったかの頭である『道玄』という男の名に由来するらしい。

昔は昔で怖かったようだ。

2006年9月24日 (日)

『九月事変』

要約すると「アパートを取り壊すので九月中に部屋を空けるように」といった内容の郵便を受け取ったのは今から何ヵ月前だったか?

七面倒臭いのでしばらくは考えないように過ごしていた。

というのも立ち退きと言われて、誰もがそう簡単に引っ越せるわけではない。まぁ、アパートの住居者全員が出て行くのは年末くらいになるだろうと高を括っていた。

ところが、隣人の面々は出て行くのが非常に早かった。九月中だという勧告であるのに、八月末には誰もいてなかった。

薄壁の古アパートであるにも拘らず、大音量で音楽を聴くというアパート界における最大の禁じ手を自らおかす日々に酔いながら快適に過ごしていたのだが、九月に入ると毎夜不安が押し寄せ、汚れてもいない便所を掃除しながら『嘘だろ』と一人ごちたりした。

一人だけ駄々をこねるみたいになるのは嫌だったので、この二週間慌てて不動産屋をまわった。何軒もまわった。

部屋が決まるまで、東京と自分の関係性が急速に希薄になって行くような不安に襲われた。

 そして今日新しい部屋が決まった。徒歩三分圏内に古本屋が三軒。

秋から遂に武蔵野散歩隊長だ。

2006年9月19日 (火)

『新宿南口』

今日ルミネ終わりに、新宿南口を歩いていたら、右肩にヒモが引っ掛かる感覚があった。

取り払おうと左手をのばすとチクッと針で刺されたように感じ、何事かと見たら肩にカマキリがとまっていた。

新宿でカマキリを見ることなどペットショップでもない限り、なかなか無い思うのだが自分の肩で見た。

2006年9月13日 (水)

『告知』

10月14日(土)~10月15日(日)の日程で、平成ノブシコブシと我々ピースで房総半島に行くツアーがあります。

まだ御予定が、お決まりでない方や、もうすでに決まっているが何とか行けそうな方、以前から房総半島に興味をお持ちの方、本当に半島なのか疑っている方、徳井君を24時間以上監視してみたい方、房総半島をはじめ、我々、そしてツアーにまったく興味がないどころが少しムカついてる方々も是非、御参加下さい。

2006年9月10日 (日)

『百年』

吉祥寺で『百年』という名前の古本屋を見つけた。

僕の好きな作家の本が沢山並んでいるので、家の本棚を巨大化させたような心地良さがある。

何より、この本屋は『百年』という文字だけを抽出すると全知全能の響きがある事を教えてくれた。

春夏秋冬全ての季節を含め過去、未来にも対応でき、時の流れが持つ哀しみと同時に、百年という明快さが持つ祭りのような雰囲気も合わせ持つ。

ちょっと言葉ソムリエみたいになってしまった。

ちなみに僕の最も好きな百年は夏目漱石の短編『夢十夜』の第一夜に出て来る『百年』だ。

2006年9月 7日 (木)

『立ち退き』

今、僕が住んでるアパートを老築化が進行しているという理由で、取り壊す事を誰かが勝手に決めたようだ。

僕は今のアパートに住む何年も前から、このアパートの存在を知っていて『誰がこんな所に住むねん』と思っていた。そして少し憧れていた。

東京に来て三度目の立ち退きだ。

このアパートの瓦礫の上にショベルカーが乗っている所を想像してみる。

古い建物好きの宿命か。

2006年9月 2日 (土)

『夏ハ…』

 仕事終わりに井の頭線に乗り、三鷹台で降りて吉祥寺まで歩いた。

今年はとうとう花火をしなかった。

井の頭公園の空気はもう秋だった。

この季節になると『秋ハ夏ノ焼ケ残リサ…』という言葉を思い出す。

表記が正しいか解らないが、それも太宰治の言葉だ。

2006年8月31日 (木)

『約8年振り』

ルミネの出番終わりに、エレベーターで7階から下に降りていたら5階で、台車を持った配達の人が僕の正面に乗って来たのだが、その配達の人は僕と目が合うなり『マッタン』とつぶやいた。

物凄く驚いたけど、よく見たら高校時代のサッカー部のチームメートだった。

 そいつとは高校入試の帰りの阪急電車でも向かいの席だった。

その時はお互い知らない者同士だったから喋らなかったけど。

そんな話をそいつにすると『そんな事覚えてるわけないやん。絶対てきとうやろ?』と言うので、『その時、お前はやたら体がデカい野球部みたいな奴と喋ってた』と僕は言った。

すると『確かに、同じ中学からあの高校、受験したんはムッチャでかい野球部の奴だけやったからそうかもな』と言っていた。

みんなが忘れてる事、結構覚えてたりする。

2006年8月28日 (月)

『阿波踊り』

高円寺、祭りで目茶苦茶盛り上がっている。

それは良いとして、何がどうなればそんな事になるのか20人くらいの男女が僕の住んでいるアパートの唯一の出入り口であるドアの前にゴザをひき、机を置いたりして楽しそうに酒盛りをしている。

部屋に帰るためにテーブルと人の間を『すみません』と言いながら通ったけれど冷静に考えるまでもなく謝る必要は無かった。

20人以上もいて周りを見えてる奴が一人もいてない。

こいつらサッカーやったら全然パスつながらんやろなぁ。

2006年8月21日 (月)

『博士の愛した』

 小川洋子さんの『博士の愛した数式』を再読しました。

以前お客さんからいただいて読んだのですが、文庫本が手に入ったので読んでみました。

2006年8月20日 (日)

伊豆

昨日からツアーで伊豆に行っていました。

夕方東京に帰って来ました。

どちらも無茶苦茶暑かった。

2006年8月17日 (木)

『ひかり荘』

突然ですが、本日のサッカー日本VSイエメン戦を、ひかり荘にて我々ピースが実況配信したいと思います。

時間は17時~22時となっております。よろしくお願いします。

2006年8月15日 (火)

『読後感』

 江國香織さんの『号泣する準備はできていた』読み終えました。

日常のふとした瞬間に色々な感情が混ざり合って言葉では表現しにくい複雑な感覚が自分に訪れる瞬間がありますが、それに近い読後感を得ました。

生活の一部を切り取り、文字だけで再生出来るのは小説家の特殊な能力だと思います。

2006年8月14日 (月)

『紛失』

 江國香織さんの本を半分くらい読んだところで紛失してしまった。

電車で切りの良い所まで読んだあと確かにカバンにしまったはずなのだが、どこのポケットにも入っていない。

号泣する準備が出来ていなかったのだろうか。

2006年8月13日 (日)

『とーん』

 姉から『お母さんの誕生日に何か本をプレゼントしようと思っている。』というような内容のメールが届いた。

『俺も何かプレゼントするわ。』と返信すると、『直樹は母の日もやってたしええんちゃう?』と返って来た。

母親に本を一冊送るとしたら何を選ぶか?楽しい想像だった。

姉から再びメールが届いた。『モコミチ君も同じ誕生日だよ!』。

お姉さん、その情報は何ですか?

モノクロームの思考回路にココナッツミルクを流し込まれたような、「時代劇」を見ていたら背景の隅の方に「スターバックス」が映っていたような、「夏目漱石」を読んでいたら165ページから突然「週刊少年ジャンプ」にかわってしまったかのような違和感を感じた。

2006年8月12日 (土)

『びたし』

 朝、本を一冊読み終えた。

 夜は銀座でライブがあった。

その次の仕事まで少し時間が空いたので何となく銀座から近い三田に来た。

古本屋があれば良いなぁくらいで、何の理由もないし、過去三田に来たことも恐らくない。

 結局、古本屋は見つからなかったけれど駅前の喧騒から、裏通りを経て住宅街の涼しげな路に入って行く感じがとても良かった。

仕事がなければ歩き続けたかった。

駅前の喫茶店で、トイレがなかなか空かなかった。

しばらく待ち、その間に『西日の町』という今日、二冊目の本を読み終えた。

男子便所からは五十過ぎの男性が出て来た。僕が便所に入ると、全く臭いが無かった。

何か逆に裏切られたような感覚だった。

ただし、何故か解らないが便所が床から鏡からドアノブに至るまでビッショビショの水浸しだった。

 おっさん便所で行水してたんやろか。

2006年8月11日 (金)

『恐竜』

今日は豊島園での仕事に行って来た。

よくデパートの屋上などにある、動物の形をしたハンドル式の乗り物があった。

明らかに子供用ではあるが200円を入れて乗ってみた。

誰も乗っていないパンダやライオンを無視し、わざわざ順番を待ち一番人気の恐竜に乗った。

子供用だけにスピードが恐ろしいほど、遅かった。

少し坂になっている所に至っては止まっているのか進んでいるのか解らなかった。

今更ながら恥ずかしくなって来た。ハンドルの横に赤いボタンがあり『バック』という文字が見えた。何となくバックボタンを押してみると物凄いスピードでバックした。

何故後ろに下がる方が速いのだろう?


2006年8月 7日 (月)

『原宿』

今日、原宿にあるグダグタの古着屋に用があって行ったのだが、相変わらず店内は弛緩しきっていて商品は全てシワシワで首もとは全てユルユルと言っても過言では無い程の堕落ぶりで、その店において唯一まともに機能しているのはエアコンくらいだった。

 そして最も残念だったのは若い女性店員が『いらっしゃいませ、御主人様~』と数度に渡り思いっ切りボケて来た事で、しかも間の悪い事に僕がその店員の暇潰しのターゲットに選ばれ御主人様にされてしまった事だ。

 他の店員は完全に愛想笑いなのだが、とうの本人は自分でゲラゲラと笑っていて、楽しそうだった。

 僕が帰る時に至っては『ありがとうございました~ごっ…プププ』と面白さのあまり思わず吹き出してしまっていた。

そんなに笑わんでもいいかな。

あの娘、戦場行ってもはしゃいでそうやわ。

2006年8月 4日 (金)

『暑さにやられて』

缶コーヒーのタブを開けた後、すぐに飲まず机の上に置いといた。

しばらくして、よし飲もうと缶コーヒーを手に取り、何故か再び缶コーヒーを思いっ切り振ってしまった。

コーヒーが、僕や床やイスや机に飛び散ってしまった。

見ようによっては何かに優勝したみたいになっていた。

ビールかけならぬ、一人コーヒーがけだった。

2006年8月 2日 (水)

『八月』

八月入ったのになんか涼しいですね。

人とあった時の『最近、暑いですね』という挨拶が使われへんから困りますわ。

2006年7月29日 (土)

『サマーセーター』

 お昼に異常な程大きな金魚を見た。

スイスイと気持ち良さそうに泳いでた。

 夕方にサマーセーターを買った。

その名前と用途に多少の疑問を感じながら。

 深夜に赤信号待ちをしている猫を見た。

青信号になった途端走り出した。

2006年7月24日 (月)

『最近』

雨ばっかり降っている。

太陽が似合わない僕みたいなもんでも、さすがに日光を浴びたい。

2006年7月16日 (日)

『ごめんねチューイングキャンディ』

喉が痛い。

昨晩食べたチューイングキャンディが喉にひっかかっている。

 最初はやや違和感がある程度だったが、時間がたつにつれチューイングキャンディは僕の喉奥で存在感を増し、朝になった今では僕を完全に支配している。

喉に痛みが響くため、唾を飲み込むタイミングさえもチューイングキャンディの機嫌を伺わなければならない。

 何故こうなったのか?原因を考えると恐らくチューイングキャンディの食べ方が悪かったのだと思う。

 昨晩、一つ目のチューイングキャンディは美味しく食べた。

 しかし二つ目のそれをどのように食べたか?

確かな記憶は無いが一つ目を食べ終えた惰性で口に放り込んだのではないか?

少なくとも一つ目のチューイングキャンディほどの愛情を持って口にしていないはずだ。

一つ目を食べ終えた余力で「一応食べとこか」といった具合で口にしてしまったはずだ。

そんな軽はずみな気持ちでチューイングキャンディを食べたため、あまり噛まなかったのだろう。

そのため喉にひっかかってしまったのだ。

チューイングキャンディは怒っているのだ。

チューイングキャンディ先にひっかからずだ。

2006年7月15日 (土)

『朝方の奇風景』

朝から電車に乗った。

途中でセラー服に水色のスカーフを巻いた女子中学生四人が乗り込んで来た。

その内の二人は僕の隣りに座り、残りの二人がその前に立った。

正直僕はその席を立ちたかった。

彼女達は朝から物凄く元気だった。

彼女達より自分が歳をとっている事に罪悪感を感じてしまったほど。

僕はヘッドホンを装着しポータブルCDを再生して目を閉じ自分の世界に入った。

『少年ナイフ』の曲が流れる。

しばらくすると、僕の鼻に何かがあたりこそばゆい。

何ごとかと思い目をあけると女子中学生が肩からかけるカバンに付いている小さな「クマのぬいぐるみ」だった。

自分の世界から引きずり出された僕は、引きずり出した張本人の顔を見上げて驚いた。

何故か?それは、その娘が白目をむいていたからだ。

完全におちょくられた。この時ばかりは無邪気より恐ろしいものなど無いと思った。

女子中学生の白目に対抗する術を持たない僕はただ目を閉じた。

鼓膜に『少年ナイフ』。鼻に『クマのぬいぐるみ』。

2006年7月13日 (木)

『七月と八月』

七月の二十日に駒沢体育館でフットサルイベント『hype』がありまして、我々ピースも違うチームですが出場します。

そして八月の九日に下北沢にて我々ピースの単独ライブ『ピカデリー』がありますので、お時間ある方は宜しくお願致します。

2006年7月10日 (月)

『W杯ファイナル』

本日深夜24時頃から、ひかり荘にて『じゃぴょん』さんとサッカー配信致します。

W杯今大会を皆さんと共に振り返りながら、朝方W杯決勝『イタリアVSフランス』を実況生配信致しますので、よろしくお願いします。

ポルトガルとの3位決定戦に前回大会はMVPで今大会はドイツをベンチから支えたGKのカーンが出場し、勝利に貢献しました。

四年前、幼馴染みから『マッタンのお父さんとカーン似ている』と指摘され確かにと思っていたのですが、今回はカーンが少し老けて更に似ていて、他人事とは思えない気持ちで見ていました。

 

配信はこちらで!!

【W杯決勝戦】イタリア代表VSフランス代表の試合を実況生配信!

同時に募集中!

日本代表、中田の後を継ぐ選手は?

2006年7月 7日 (金)

『疑問』

 『瓜二つ(ウリフタツ)』という言葉は先人から受け継がれた数々の言葉の中において、珍しく阿呆な言葉だと思っていた。

瓜二つ。何で瓜やねん。という話しである。

瓜に限らず、同じ者を二つ並べれば、大概『瓜二つ』的な状態を表現出来るはずだ。

何故、瓜なのか?果たして瓜である必要があるのか?瓜である必然性を見出だす事が出来ず悶々とした日々を過ごして来た。

何を二つ並べても良い中で何故瓜を選んだ?僕は『瓜二つ』を全身全霊で否定する人間では無い。

むしろ逆に、妙に言いたくなる『瓜二つ』という阿呆な言葉に憧れに近い感覚さえ抱いている。

そっくりな物が二つ揃った時の感動を伝えるならば、例えば『竜二つ』のように揃い難い物の方が、より揃った感があり相応しいように思う。

広辞苑を開くとあっさりと解決した。

『瓜を二つに割った形がそっくりなところから、兄弟などの容貌が甚だよく似ていることにいう。』とあった。

なるほど、割った状態が似ているから瓜なのか。

でも、桃でも良いやん。

何で瓜やねん。

何か物語があるのだろうか?

2006年7月 5日 (水)

『昨日のこと…』

 昼間は暑かったが夕暮時には涼しくなり始めていた。

これは散歩日和だと思い、新宿から吉祥寺まで電車に乗り、そこからひたすら歩いた。

井の頭公園を抜けて三鷹市牟礼を越えて更に歩き続けた。

目的地に向かって歩くわけでは無く、面白そうな路を自分で選び歩くのだが、一つを選ぶという事は一つを捨てるという事なので時々来た路を戻ったりしながら歩いている内に宵の口。完全な気候、空気、臭いになった。

気持ち良くなって歩き続けていたら住所が府中だか、調布だかになっていた。

そこから来た路とは別の住宅街を歩いて三鷹駅を目指した。

が、方向を誤り荷物が大きい事もあって、途中で力尽きた。

どこであるかも解らない場所の公園でしばらく休んでいた。

時間を見ると吉祥寺を出発してから四時間が経過していた。

もう大人やし頑張って帰ろうと思い、途中手荷物全部捨てたろかな?という衝動を何とか抑えつつ、やっと辿り着いたのは武蔵境の駅だった。

帰りの電車の中で男の集団が『中田英寿引退だって』という話をしていた。

『嘘つくな』と思った。

2006年7月 3日 (月)

『朝のカッフェ』

喫茶店やカフェなどで流れているBGMは、人の会話を消すための意味もあると聞いた事があります。

しかし、早朝お客さんが少ない時のBGMは物凄く耳障りで気になります。

自己主張の強過ぎるBGMは最早BGMではありません。

昼以降、混雑時の音量が8だとしたら朝は3くらいまで絞って上げて欲しいです。

早朝誰も喋っていませんから、BGMが可哀想です。

リハーサルから全力出し過ぎです。

哀しき孤軍奮闘です。

声の大きいお客さんが来た時に音量を上げればよろしいのです。

そしたら、『私声でかいんだ』と気付かす事も出来て一石二鳥です。

BGMに対抗心を燃し更に声を張り上げる人間がいたとしたらBGMも更に音量を上げればよいのです。

最早バックグラウンド・ミュージックでは無いBGMと声デカお喋りさんの夢のセッションです。

そしたら僕もあきらめて読みかけの本を閉じます。

2006年7月 2日 (日)

『まさかの』

ブラジルが敗れた。

ブラジルの爆発するとこ見たかった。

ロナウジーニョは怪我かな?

一方、フランスのジダンはどんどん調子を上げている。

ボールタッチの一つ一つが感動的だ。

ジダンがボールをさばく度にスタンドがわいていた。

サッカー選手にとって、それ程素晴らしい事は無い。

『ブラジル対フランス戦』

W杯準々決勝『ブラジルVSフランス』の一戦が間もなく始まります。

スタンドで黄色のユニホームを着て、ダミーのワールドカップを胸に抱えた初老のブラジル人サポーターが、試合前の国家斉唱で泣いていました。

やっぱりW杯って良いですよね。

2006年6月30日 (金)

『六月も…』

気温が夏らしくなってきました。

これに臭いがひっついて来たら、もう夏ですね。

2006年6月23日 (金)

『ブラジル戦』

明日、朝四時頃からのW杯『日本VSブラジル』を、ひかり荘にて実況配信します。

僕達は別の仕事で試合開始前に到着予定ですが今日の24時頃からミルククラウンが配信致しますのでよろしくお願いします。

2006年6月20日 (火)

『カッフェ』

先程、落ち着きたいなぁと思いカフェに入った。

しかし、その店の机、非常にバランスが悪い。

ガタガタと、あまりにも揺れ動くものだから、物凄く緊張している奴みたいになってしまった。

そしたら、何となく身体の動きに合せて少し緊張して来た。

2006年6月19日 (月)

『本日』

ひかり荘にてサッカーW杯『日本対クロアチア』の試合を、Bコースさんと我々ピースで実況配信致します。

みなさん一緒に応援しましょう。

 

生配信はこちらで!

【W杯】日本代表VSクロアチア代表の試合を実況生配信!

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【サッカー】オススメのスポーツバーを教えて!

2006年6月17日 (土)

『今日』

今日はタッチの、かっちゃんとたっちゃんと、僕の姉の誕生日だ。

2006年6月12日 (月)

『オーストラリア戦』

今晩、遂に『日本VSオーストラリア』戦があります。

22時から、ひかり荘にてザ・パンチさんと試合を観戦しながら配信致します。

試合後はゲームを振り返ったり、W杯に関する話をしつつ朝の4時頃まで配信します。

あくまで希望ですが、8対0くらいで勝って欲しいです。

 

ピースと一緒に日本代表を応援しよう!!

【W杯】日本代表VSオーストラリア代表の試合を実況生配信!

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【W杯】優勝する国はどこだと思う!?

2006年6月10日 (土)

『W杯』

とうとうW杯開幕戦が始まる。

ちょっとワクワクしてしまっている。

昔の大会もビデオで見れるものは一通り見て来たが、直接の僕とW杯の付き合いは、現ドイツ代表監督のクリンスマンが現役で活躍し優勝した1990年イタリア大会からだ。

やっぱり子供の頃、僕等のヒーローだったクリンスマンの哀しい顔は見たく無いので、コスタリカの事はよく知らないがドイツに勝って欲しい。

余談だが1990年大会の西ドイツ代表の主将が『マテウス』という選手で、当時アルゼンチンの英雄マラドーナを止められるのは『マテウス』だけだと言われる程、凄い選手だったのだが、その『マテウス』と『マタヨシ』が響き的に似ていると言う事で、僕は時々友達から『マテウス』と呼ばれて『うん?』と気持ち良く返事をしたりしていた。

本当にどうでも良いが。

W杯と言えば、それぞれの大会に付随した記憶が沢山あって、やはり僕にとっては物凄く重要なお祭りだ。

2006年6月 9日 (金)

『雨の日』

梅雨が近付いております。

梅雨という語感は凄く洗練された優しい響きがありますが、その優しい『梅雨』という言葉も『前線』という言葉と結び付いた途端に『梅雨前線』(ばいうぜんせん)というパワフルで恐ろしい響きの言葉になってしまいます。

 あの優しかった梅雨が『ばいう』。全てを破壊する凶悪な獣のような名前です。

 体質的なものでしょうか?六月生まれというのが関係しているのでしょうか?雨の日は何故か眠たくなります。

 そして雨の日になると必ず教室に、このような奴がいた事を思い出します。

窓の外を見て『うわぁ最悪や、雨降ってる』と言うと『でも雨が降らへんかったら人間は生きて行かれへんからなぁ』と長老みたいな言葉をつぶやく奴。

 あの頃の若長老は、梅雨によって生活を限定されながらも、やはり自然の恵みに感謝しているのでしょうか?

2006年6月 4日 (日)

『代表戦』

 明日、6月4日ひかり荘にて21時頃から『日本VSマルタ』の試合を観戦配信します。

一緒に配信するのは、じゃぴょんさん、犬の心さんです。

よろしくお願いします。

 

サッカー配信はこちらで!

【W杯直前】日本代表VSマルタ代表を実況生配信!

同時に募集中!!

【W杯】優勝する国はどこだと思う!?

2006年6月 3日 (土)

『誕生日』

 26歳になった。18時頃、後輩であるロシアンモンキー中須から電話があった。

てっきり誕生日の祝いの電話かと思ったら普通に仕事に関する電話だった。

中須が電話を切ろうとしたので『中須すまんな、誕生日にわざわざ電話くれて、ありがとうな』と僕が言うと、中須が『ちょっと自分から言わないで下さいよ、最後に言おうと思ってたんですから~』と言っていたが絶対に嘘だと思う。

尋常じゃないほどの要領の良さだと思った。

数分後、普段一緒にフットサルをやってる後輩達から一斉に誕生日を祝うメールが送られて来た。

中須がみんなに『ヤバイ今日又吉さん誕生日や』的なメールを送ったのが、ありありと眼に浮かんで面白かった。

メールが受信される喜びと比例して、気を使われる切なさを感じた。

でもみんな優しいなと思って嬉しかった。

2006年6月 1日 (木)

『ドイツ戦』

先日行われたドイツ戦。

テレビで観戦する事は出来ませんでしたが、ニュースでゴールシーンを見ました。

一点目最高ですね。完全に崩してましたね。

二点目も高原無茶苦茶良いシュートでした。

本戦が楽しみです。

2006年5月24日 (水)

『深夜散歩』

深夜散歩の途中に立ち寄ったコンビニの店員の愛想が尋常では無いほど悪かった。

『いらっしゃいませ』などという声は勿論なく、全てに絶望しているかのようなやる気の無さには、こちらが不安にさせられた。

僕は何年間か深夜のコンビニでアルバイトをしていたため、大体時間帯によって行う仕事や、どういう心理状態にあるかが解る。

それにしても、この接客は怠慢としか言いようが無い。『ひどいなぁ』と思いつつ、なんとなく店員の胸元に付けられた名札に目をやると、名札についている写真の彼が物凄く笑っていた。

どっちやねん、と思った。

『味噌汁』

二十歳過ぎた辺りから味噌汁が大好きになった。

最近は『なめこ汁』にはまっている。

最初に『なめこ』を食べようと考えた人凄い。

『なめこ』という名前を付けた人も凄い。


2006年5月23日 (火)

『イモ2』

 僕は地味に色々な所で機会をいただき、コラムともエッセイともおぼつかぬ駄文を書き連ねている。

以前、お笑い雑誌でコラムの話をいただき後輩の話を書いた。雑誌の出来上がりを見ると誤字脱字変換ミスだらけで絶望した。僕が送った原稿を読み返しても誤字脱字の誤りは見つからなかった。

文書が好きで、今まで小説や雑誌など様々な本を読んできたが、売られている本の中でよりによって自分が書いたとされる文書が最も悲惨であるなどという、残酷な事があっていいのだろうか。

哀し過ぎて笑ってしまった。イモの絵の悪夢再びである。

後輩には僕が申し訳無いと散々謝ったが、ピース又吉とアホみたいな顔まで載せられてその誤り全てを被った僕には誰が謝ってくれるのだろう。

志の高い素晴らしいライターさんも数多くいるが、クソみたいなライターが数多くいるのも事実だ。

先日、『800字でコラムを書いて下さい』という話があった。

そこで、どのような雑誌か?書くのは自分だけか?と聞いた。後日連絡があり、書くのは僕だけで、とにかく800字のコラム的なものであれば何でも良いとのことだった。

ところが後から聞くと、それぞれ800字の小説を書くという企画で他事務所の複数の芸人と勝手に戦わされていたらしい。

たまらんなぁ。だいぶ話ちがうで。みんな頑張って小説書いてる中、自分だけ随筆的なもん書いてるとなったら正にイモの衝撃再びである。というか何故そんなことになってしまったのだろう。

今も僕の背中には巨大なイモがのしかかっている。イモは僕の背中で激しく泣いている。

その恥ずかしくて可哀想な巨大なイモを隠す術を僕は持たない。

2006年5月22日 (月)

『イモ』

自分で言うのも恥ずかしいが、小学校低学年の頃まで絵を書くと必ず学校の掲示板に張出されていた。何度か賞を貰った事もあった。

そんな小学校三年生の頃。遠足でイモ掘りに行き、後日それぞれ自分で掘ったイモを図工の時間に描くことになった。

そして、やはり僕の作品は学校で優秀作品に選ばれ街のデパートに他の学校の優秀作と並び展示されることとなった。

幼かった僕は得意気になり、家族と買い物に行ったついでに自分の作品が展示されているコーナーを見に行った。

その会場に辿り着くまで何故僕は気付かなかったのだろう?

他校の優秀作品はほとんど高学年の生徒が描いた絵で、どれも風景画や人物画ばかりで、とても子供が描いた絵とは思えなかった。

その中でイモのような異形な物体を描いていたのは僕だけで、あまりにも僕のイモの絵は浮いていた。

何でよりによってイモやねん。と思った。イモの絵だけが並べられた教室では、僕の描いたイモの絵は誰のイモの絵よりもイモであったが、鮮やかな絵の中に混じった僕のイモは汚物以外の何にも見えなかった。

はずして持って帰りたかった。

誰も悪くはないのだが、その時僕は何か巨大なものに裏切られてしまったような感覚を強烈に受けた。

それ以来、僕は真面目に絵を描かなくなり、いつの間にか描けなくなった。

2006年5月20日 (土)

『居酒屋にて』

ライブ終わりに、カレーコロッケの橋本さんと、あともう一人今日のライブに一緒に出演し、普段からお世話になっていて前々から一度ゆっくりとお話を伺いたいと思っていた先輩と、からあげを食べに来ました。

この店のからあげは想像してた4倍程でかかったので驚きました。

品書きを『ビックからあげ』とか特別な名前にせず、普通に『からあげ』としてる所に、逆に料理名を決める会議時に一盛り上がりあった事を感じさせられました。


2006年5月17日 (水)

『日本代表』

サッカーW杯日本代表メンバーが発表された。

まさか久保がメンバーからはずれるとは思わなかった。

松井も選ばれなかったがW杯で松井のドリブルが見たかった。

柳沢がメンバーに選ばれたのは個人的には嬉しい。コンディションさえ良ければ選ばれて当然の選手なので期待している。

巻が選ばれたのも嬉しい。前線から体を張ってプレーする選手は見ていて気持ちが良いから頑張って欲しい。

2006年5月13日 (土)

『5月12日』

駒沢でフットサル大会がありました。

2試合やって初戦は負けてしまいましたが、2試合目は勝つことが出来ました。

僕も点を取る事が出来て気持ち良かったです。

今大会からフットサルの時だけ、僕の名前が『又吉夕暮れ一人ぼっち』になりました。

個人的には気にいってますが、周囲からは切ないとの声が大半です。

2006年5月 6日 (土)

『今朝』

前々から、『髪の毛伸びてきたなぁ』とは思っていたが、今朝起きて鏡を見たら若い頃の母親と同じ髪型になっていた。

無意識の内に、ここまで髪を放置してしまっていたのは、ある種ホームシックの形だろうか?

2006年5月 2日 (火)

『バターコーンカレー』

先程、よく行くカレー屋で『バターコーンカレー』を食べていた。

しばらくして、男女2人組が店に入るなり、カウンターにいたアルバイトの女の子が『キャハー』と遠い昔、休み時間に聞いた覚えのある女子の声を出した。

どうやらその2人組と友達らしい。

その2人組はアルバイトの女の子に『何かオススメないの?』と声をかけた。

アルバイトの女の子は『えーオススメ?』と考えている様子。

僕だけではなく、お客さんは皆同じように耳を傾けていただろう。

女の子は案外あっさりと答えた。

『男の子はジャーマンで、女の子はバターコーンかな』

僕は慌ててコーンだけをスプーンにすくい食べた。

バターコーンカレーがカレーになり、僕は男の子になった。

2006年4月30日 (日)

『サングラスの少年達』

仕事で大阪に来たのだが、偶然にも新大阪駅のホームで思春期を発見した。

 まだ幼さが残る中学生くらいの男の子2人組が物凄くでかいサングラスをかけ、腰に手を添えカッコ良く立っていた。

 思春期で色気づきはじめた頃は、よく解らないままサングラスなどに手を出し大惨事を巻き起こしてしまうのだ。

2人の会話が少し聞えたのだが、背伸びをしている事を互いに悟られぬよう虚勢をはっている様がありありと見えた。

『この電車は大阪止まらへんから次のやつやな』

『せやな』

2人が見送った電車に乗り僕は大阪駅に着いた。

2006年4月25日 (火)

『キング カズ』

今日、本屋に行くと、サッカー選手である三浦和良さんの本が並んでいた。

 タイトルは『蹴音‐伝説の言葉‐』とある。

興味をそそられページを開くと『金のためにボールを蹴るのがプロ。夢のためにすべてを捨てるのもプロ。』という言葉が載っていた。

 その他にもサッカーを通し栄光も挫折も全て味わった男だからこそ言えるのであろう説得力の高い言葉が沢山載っていて、内容の充実した素晴らしい名言集だと思った。

 その横には別の三浦和良さんのエッセイ本が並んでいた。

しかし、その本の衝撃的なタイトルを見て僕は我が目を疑った。

 そのタイトルとは『おはぎ』だった。

久しぶりに僕は『なんでやねん』と思わず、つぶやいてしまった。

なぜ『おはぎ』なのだ?

表紙の写真はダブルのスーツにハットを被り紳士的にキメた、物凄くカッコ良いカズが「おはぎ」と書かれた旗を持ち立っているという非現実的なものだった。

 なぜだ?おはぎという言葉に一体どのようなメッセージが込められているのだろう?

僕はこれ以上無いという程、興味をそそられ目次を開いた。

すると中程に『カズおはぎ職人に会いにいく』という項目を発見してしまった。

別にサッカーと何も関係なかった。

ストレートに「おはぎ」だった。

 しかし、これは面白い企画である。

あのカズが「おはぎ職人」に会いに行く。

 僕はこの本を『すべてを捨ててでも絶対に読む』と心に誓った。

2006年4月24日 (月)

『心猿踊り狂いて』

昨日、ルミネのエレベーターの中で普段からお世話になっているカメラマンの方と偶然会った。

そこでカメラマンの方から『この前のフットサル大会の時、激しく動いてたねぇ、カメラで撮るの難しかったよ』という非常に嬉しい誉め言葉を頂戴した。

小刻みにふるえていたため撮りにくかったという可能性も完全には捨て切れないが、これは恐らく「動きが速かったため」と受け取って良いと思う。

中学の同級生は僕の最近のフットサルを見て「昔と比べたら3倍は遅くなってる」と言っていたが、それにしても普段25歳で、老人扱いされている僕からすれば喜ばしいことである。

カメラマンの方は続けて『後ろで見てたお客さんも「猿みたい」って言ってたよ』と教えてくれた。

誉め言葉だ。

猿は人間と比較にならないほど動きが速い。

しかし、冷静になってよくよく考えてみると僕は止まっている状況でも「温泉につかる日本猿みたい」と言われる事が頻繁にある。

止まっていても猿。動いていても猿。これはもう、ただの猿ではないか。

申年に生まれ、動物で何が一番好きかと問われればやはり猿で、番組などで猿の赤ちゃんが映ると無条件で感動してしまう。

しかも僕は生れたての頃、全身が金の産毛で覆われていたため看護婦さん達から『孫悟空』と呼ばれていたらしい。

そして僕の携帯メール送信履歴第1位で一番のメル友。世間一般ではブログと呼ばれ僕が溜息と舌打ち混じりの独り言を綴っているこれも「猿」だ。

なるほど僕の周りには驚くほど猿が満ちあふれている。

しかし僕は靴も履くし、本も読むし、得意とはいえないがビデオをタイマー録画することも出来る。

だから僕は猿では無い。

となると、なぜ僕の周りには猿が集まるのだろう?

考えられるのは一つしかない。どうやら僕が心の中で飼っているアノ猿がボス猿なのだ。

2006年4月21日 (金)

『散歩隊長』

自らを散歩隊長と称し、早七年。

その呼び名、驚くほど周囲に浸透せず、ただの散歩好きから一向に脱皮出来る気配が無い。

『石の上にも三年』などという言葉があるが、僕はすでにアスファルトの上を七年以上歩いている。

哀しいか?哀しくない。

僕は薄々気づき始めている。

隊が存在しない所に隊長も存在しないことを。

何故一人ぼっちだった18歳の僕は隊長などと名乗ってしまったのだろう?

何はともあれ履き潰した数足のスニーカーを弔うためにも近々、漠然とした散歩観を自分なりに捉えたいと思っている。

そこに極上の新たな一歩があるのだ。

『VANSスリッポン』『adidasウォーターモカシン』『NIKE AIR MAX92』『ニードルス スリッポン』『ALL STAR』『NB』、『ニードルスのスリッポン』

そうだよね?

2006年4月13日 (木)

『奇蹟種』

 先日、久しぶりに同期のキシモトマイこと岸本さんと遊びました。

マイちゃんことキシモトマイこと岸本さんが言葉を聞き間違えたり、言い間違えたりするのは日常茶飯事なので友達になった当初こそ鬼の首を取ったかのように間違いを指摘し調子に乗っていた僕でしたが、いつの間にかその間違いを楽しみにしてしまっている自分に気付きました。

 今回もキシモッサンことマイちゃんことキシモトマイこと岸本さん、色々と間違えてくださいました。

『エクセルシオールカフェ』のことを『エクソシストコーヒー』とホラー映画みたいに間違えてくださいました。

『わら人形』のことを『麦わら人形』と呪いがかかりにくそうに可愛らしく間違えてくださいました。

妖怪『一反木綿(いったんもめん)』のことを『イスタンモーメン』と西洋の妖怪のように間違えてくださいました。

飯を食う段になり、吉祥寺のカレー屋に行きたいと僕が言うとキッシーことキシモッさんことマイちゃんことキシモトマイこと岸本さんは『あそこ潰れたよ、あっでも一応行ってみよう。もしかしたら再発してるかもしれないし』とカレー屋を癌のように言いました。

カレー屋に行くと案の定シャッターが閉まっていて、そのシャッターの前でシャチホコ黒帯びことキッシーことキシモッさんことマイちゃんことキシモトマイこと岸本さんは『やっぱり開いてない、どっかに転移したのかな?』とやはり癌みたいに言いました。

何故そんな奇蹟的な間違いを次々と起こせるのでしょうか?もしかしたら全てわざと間違えて心の奥底で僕の事をあざ笑っているのでしょうか?

帰り際、ウイロー2段ことシャチホコ黒帯びこと(中略)キシモトマイこと岸本さんが土砂降りの雨の中、右手にとじた傘を握ったままズブ濡れで帰って行くのを見て計算のはずは無いと確信しました。

2006年4月12日 (水)

『感謝』

今日も本を読むことが出来た。

お父さん、お母さん、ありがとう。

今日は、保坂和志さんの『プレーンソング』、鈴木いづみさんの『鈴木いづみセカンド・コレクション1短編小説集ペリカンホテル』の2冊を読んだ。

どちらも、僕が中2だったとしたら明日学校を休んでいたのでは?と思える程面白かった。

いや、中2の時の僕だったら鈴木いづみさんの過激な世界に置いてけ堀をくうていただろうし、保坂さんの不思議な小説はどのように楽しんで良いのかもわからなかっただろう。

このタイミングで、この本に出会えた幸運を誰に感謝すればよいのか解らなかったので取り敢えず両親に感謝してみた。


2006年4月11日 (火)

『最近読んだ本』

相変わらず日々、本を読める喜びを感じています。

『陽気なギャングが地球を回す』伊坂 幸太郎さん

『イン・ザ・プール』奥田 英郎さん

どちらも読みやすくて素敵でした。


2006年4月10日 (月)

『大人二人一夜干されて』

三月某日。

僕が勝手に師と仰ぐカレーコロッケの橋本さんと居酒屋に行った。

一軒目の店が午前3時に終わってしまい、真夜中に放り出された僕と師は一刻も早く暖い店で落ち着き「イカの一夜干し」などを食らいたかったので、まだ灯が残る近くの店に入った。

すると店員がスグに寄って来て『すみません予約が入ってまして…』と入店を断られた。

半分以上座席が空いていただけに、この時間から大所帯が来るのだろうか?と若干名残惜しい気持ちを感じながら店を出ようと扉を押した瞬間、店員が僕達の背中に『すみませんね…仲間内の予約なんです』という言葉をかけてきた。

その宣告は果たして必要だったのだろうか?

予約が入っているならばしょうがないし諦める。

しかし、なぜ『仲間内の』と言ってしまったのだろう?

仲間内やったらしゃあないなぁ。とはならない。それは店員側でのみ通用する価値観であり、客側からすれば完全に逆効果だ。

時間も深くなり疲労もたまり、もうすぐ仲間が飲みに来る。そんな楽しみを、上がりきった厨房でのテンションを、ノリを、完全にフロアに持ち込んでしまっている。

初めて行く土地で『今日お祭りあるんでこの道、通行止めです』と言われた時と同じような「知らんがな」に僕の心は襲われた。

それと同時に、絶対的に信頼している24時間営業のコンビニへ買い物に行くと『清掃のためしばらくお待ちください』という看板が立っていた時以上の喪失感を感じていた。

そして僕と師は再び真夜中に放り出された。

冷え込む路傍で、どんな残酷な言葉を持って先程の店員の失言を責めてやろうかと考えていると師匠が『仲間内やったらしゃあないなぁ』とつぶやいた。

ギリギリ裏返りそうな声を押さえて『はい』と返事をした。

師匠は、なぜ店員側の立場で考えてしまったのだろう?心なしか横顔も少し楽しそうだった。

危うく破門になる所だった。それにしても師匠は心が広過ぎます。

2006年4月 7日 (金)

『ミノの秘密』

先日、久しぶりに焼肉屋にいった。

隣りの席に座る二人組の中年男性が『すいませーん!ミノ2つ!』と注文しているのを聞き、それも良いなぁと思った。

しかし、しばらくすると隣りの席に座る中年男性の内の一人が物凄くネガティブな事に気付き驚いた。

『もうさぁ、何年も生きて行けねぇんだよ』

見た感じ40前後だから、場合によってはまだまだ生きられる。

『家帰っても一人ぼっちだしよ』

未婚のようだ。

『50歳でコンビニのアルバイトやってる可能性もあるんだよ』

その可能性は僕にもある。

『すみません、ミノを…お前も食べる?じゃあ2つ』

再びミノを注文した。

『俺みたいにフリーで文章書いてる人間はよぉ、年とったら仕事貰え無くて先細りなんだよ』

職業はフリーライターのようだ。

『40までに直木賞とろうと思ってたのによ』

本当は小説が書きたいらしい。

『でもさぁ、仕事が忙しくて作品書く暇が無いんだよ』

昨日は何時間寝たのだろう?

『駄目だ、俺みたいに面白くない奴は。』

果たして、そうだろうか?

『すいません、生2つと…ミノ』

又ミノだ。どれだけミノを食べれば気がすむのか?ミノだけをこれほど食べる人は見た事が無い。それだけで十分面白い。もっと自信を持ってミノを食べて欲しい。

上京して間もない頃、お腹がすいても食べる金が無く、100円玉が落ちていないか下を見ながら歩いていた時の僕からすれば、焼肉屋はある種の到達地点だった。そんな桃源郷で何をぼやいているのか。

ミノには前向きに生きて行こうとする人間の精神を吸収する作用があるのだ。

ふと中年男性の前で燃える網を見たら、確かにミノが少し笑っていた。

2006年4月 4日 (火)

『赤面』

 木村カエラさんの『リルラ リルハ』という曲が耳に残る。

まだラジオなどで2~3回しか聴いた事が無かった時から頭の中で何となくメロディを繰り返していた。

しかし、何となくというのは恐ろしいもので、唄いだしの正しくは『私のお守り お花 マーガレット』という歌詞の所を、僕はなぜか『私のお守り 煙草 シーガレット』と誤った覚え方をしていた。

このような間違いは非常に恥ずかしい。

最近アルバムを購入して聴いていたのだが一向にカエラさんが『煙草 シーガレット』と唄ってくれないので、不思議に思い歌詞カードを確認すると、そんな歌詞はどこにも存在しなかった。

今回は自分で気がついたので良かったが、この手の間違いを人から指摘されると更に恥ずかしい。

僕は高校時代、プリクラは『プリティクラブ』の略だと思っていたし、ニコラス・ケイジは『ニコラス刑事』だと思っていた。

そのどちらも友達に指摘され赤面した。

2006年4月 2日 (日)

『1番線電車・2番線ホーム』

駅のホーム。

時刻表や、出口・のりかえ案内が記されている看板がある。少し間隔を空けて、どこの駅にでもありそうな普通のベンチ。

何故か、その看板とベンチの間には人が通れないようにロープがひかれ乱暴に貼り付けられた紙には『関係者以外立入り禁止』と書いてあった。

これは難解な警告だ。『立入り禁止』と入われても立入るスペースが見当たらない。そして何よりも『関係者以外立入り禁止』ということは、このスペースに関係者が存在するということだ。

そして関係者だけが、時刻表の看板と、ベンチの間を自由に行き来出来るのだが果たして、その必要があるのだろうか?仮にあったとして、それを貼紙で伝える必要があるのか?

『俺は関係者じゃないから立入り禁止って事だな』と一つ余計なことを考えてしまう。

『立入り禁止』又は『通り抜け禁止』という言葉だけで事足りるはずだ。

いやロープだけでも事足りる。

いや別に通っても良いんちゃう?


『前夜』

四月一日。

春ですよ。

何かを始めたくなる季節でございます。

2006年3月28日 (火)

『テレビ』

日本がWBCで優勝して以来、連日ニュースや番組でその様子が取り上げられている。

内容も映像も大体一緒なのだが何故か思わず見てしまう。

先日もテレビを何気なく見ていると優勝した日本代表に対して色々な人がお祝いの言葉を送っていた。

まずヤクルトの古田。そして清原。小泉総理。

しかし、その後に何故か『横浜銀蠅』が出て来て思わず笑ってしまった。

2006年3月26日 (日)

『平成サカグチアンゴ徳井』

 『テメェ今度テキトウにブログ書きやがったらブチ殺すぞ!』。

本日。昼。渋谷。

劇場に到着し楽屋を目指して薄暗い廊下を歩行中、暗闇から突如眼前に現れた「平成ノブシコブシ」徳井が吐いた第一声である。

坂口安吾かと見紛うた。

数日前、ブログに春の到来を告げる「桃の花」を載せたのがお気に召さなかったようだ。

僕に期待してくれているのは喜ばしい事だが、それにしても、それだけの理由で『ブチ殺すぞ!』とは坂口安吾もかくや、といった無頼っぷりである。

起きて間もない、脳も身体も弛緩した状態で徳井君の鋭い眼光で睨まれた僕は徳井君の言葉通りにブチ殺された。

ブチ殺された僕は古い寺に保管されている幽霊画のごとく胸の前から両手首を垂らし少し空中に浮いた。

夜は浅草でライブがあったのだが、僕の手は地面に向かって垂直にたれていたため券売機で切符を買うのに随分と苦労した。

しかし体が少し浮いているおかげで電車とホームの間にある、あの隙間に怯えずに済んだ。

浅草の劇場前で再び徳井君と偶然合ったので、僕は徳井君に取り憑き吉野家について行った。

あろうことか徳井君は丼や定食を頼まず、味噌汁とサラダだけを注文した。メインを頼まず、サイドメニューとサイドメニューで済ますとは底の知れないアウトロー精神の持ち主だ。まさしく無頼派である。

幽霊でも食事を消化出来るか否か不安だったが、それは問題無かったようだ。

それにしても「桃の花」に季節を感じただけでブチ殺されるとは納得が行かない。

ライブ終り、浅草寺の開きはじめた桜を眺めていると渇いた肉体に春の生命力が流れ込み僕は、ようやく甦る事が出来た。

「やはり徳井君、季節に敏感でいる事は凄く素晴らしい事なんだよ。」と言ってやりたいが、下手な事を言うと再び『うるせぇ!』とブチ殺されるのが落ちだから黙るに越した事は無い。

桜の森とは言い難く満開とも言い難い。

桜が地味に咲く下で。

2006年3月22日 (水)

『カットソー』

暖くなって来て嬉しい。

人見知りの僕は、出会いの季節である春を毎年無駄に過ごし、一学期で友達を作る事は完全に諦めていたのだが、この年になると人見知りも少し薄れ、そんなに新しい人とも出会わないので素直に暖さに喜んでいる。

しかし、カットソーが買えない。

春における不安材料は消滅したと思いきや、新しい問題が浮上。

僕は良い感じのカットソーが買えない。

今日こそは春物のカットソーを買おうと決め店に出向いても、やはりパンツやジャケットやTシャツや帽子が気になり、カットソーが買えない。

カットソーをナメてるわけではない。春にカットソーは絶対的に役立つし必要である。

それが解っているのに買えない。

僕のカットソーハンティング能力は0に等しい。

オシャレはカットソーからなのにカットソーが買えない。

僕はカットソーに金を出すのを潜在的に渋ってしまっているのか?

僕の手首からヒジにかけての腕がワイルドな奴で服を着る事を拒絶しているのか。

春はオシャレシーズンオフなのだろうか?

一人、電車の窓から見える明治神宮に拝む。僕にカットソーを下さい。

2006年3月20日 (月)

『春』

部屋に花を飾ると癒されますね。

桃ですね。


2006年3月12日 (日)

『地点』

朝、近所が物凄くやかましくて目が覚めた。

何事かと思い、起きたままのだらしない格好でアパートの玄関を開けると、地域の子供達が一列に並び、おばちゃん達にスタンプを押して貰いはしゃいでいた。

おばちゃん達は、だらしない格好の僕を睥睨しながら『そんな格好で子供達の前に現れるな』とでも言いたそうだった。

しかし僕からすれば、何を人の家の前をスタンプラリーのポイント地点にしてくれてんねんという話である。

そもそも、ここ何地点やねん?

2006年3月 7日 (火)

3月23日

3月23日のフットサル大会『ヒート』に予選だけ参加する事になりました。

また予選で難波横山のチームと出来るみたいなんで頑張ります。

2006年3月 3日 (金)

『アイスロイヤルミルクティー』

最近連日通ってんねんけど、何でドトールの店員さん、俺が『アイスロイヤルミルクティー』注文したらいっつも、ちょっと笑うねやろ?

悩むなぁ。俺コーヒー顔なんかな。

「絶対こいつコーヒーや」と思われてるにもかかわらず、アイスロイヤルミルクティー頼んでまうからかな。

それとも、自分でも気付かんうちにロイヤルミルクティー頼んでる自分に気持ち良くなってもうて、調子乗ってる感じ出てもうてんのかな。

ロイヤル感、出し過ぎなんかな。

店員の間で『ロイヤル』って呼ばれてんのかな?

早朝に行くからかな?何で朝早いねん、と思ってんのかな。

アイスロイヤルミルクティー頼むんやめよかな。

でも昨日今日始まったアイスロイヤルミルクティー好きちゃうからなぁ。

ホット頼んだろかな『ホットで来た!』ってびびらしたろかな。

ちょっと話題なっても嫌やしなぁ。

一緒にベーグル的なもん頼んで更にロイヤル感を増したろかな。

結果向こうの思うツボやしなぁ。

2006年3月 1日 (水)

『告知』

3月18日

「ルミネtheよしもと」にて19時~カリカさんのイベント『レインボーアタック』があります。

出演者はカリカさん、Bコース渡辺さん、ポテト少年団菊池さん、オコチャさん、堀部雅人、しずるです。

僕も出ます。

お時間ございましたら是非見に来て下さい。

2006年2月26日 (日)

『嘘臭い現実の彼』

待ち合わせでしょうね、日に焼けた健康的な大学生が手を上げて微笑んでいたので、その手を上げた方向を見たら、やはり健康的な若者が物凄い笑顔で歩いて来たのは良いのですが、その彼がリンゴを丸かじりしているのを見て非常に嘘臭いなぁと思いました。

多分、彼の部屋は2階にあり、窓を開けたら隣りに住んでいる幼馴染みの女の子の部屋があるのでしょう。

2006年2月23日 (木)

『わからん』

目的の駅に着き、電車から降りて改札機に切符を入れる。

その後、出て来るはずもない切符を2秒程待ってしまうという失敗は過去に何度も繰り返して来た。

そんな事は、気を抜いていれば全然起り得ると今まで自分を甘やかして来た。

しかし、先程電車に乗るため切符を買い、自らの手で改札機に切符を入れたにもかかわらず、いつも通り至極当然の結果として改札機から出て来た切符に『おっ!』と驚いてしまった。

別に白い切符入れて、赤い切符が出て来たわけではない。

ただ何故か驚いてしまった。

何で出てこうへんと思ったんやろ?

2006年2月21日 (火)

『絶対にかかったらアカン雨』

 少々の雨では傘をささない。小雨に打たれる事など気にしない。

しかし絶対にかかったらアカン雨というのがある。

それは例えば電線にひっかかった雨が一番垂れ下がっているカ所に集中し地面にボタ、ボタ、ボタと一定のリズムを刻み太く垂れるあれである。

一回どこかを経由している雨はもう雨では無くなっているような気がするのだ。

僕は雨の時は絶対にかかったらアカン雨を避ける事だけに神経を集中している。一定のリズムを的確に捕らえ縄跳びを跳ぶ感覚で絶対にかかったらアカン雨を避ける。

しかし油断すると突然『ボダ、ボタ、ボタ、ボタッタッボ』と変則的に垂れる事があるので要注意だ。

だからと言って悲観的になってはならない。

僕の経験上、『ボタッタッボ』の後はしばらくボタ、ボタ、のリズムが続く事が多いので『ボタッタッボ』は逆にピンチの後の大チャンスでもあると言える。

とはいえ中には複雑な『ボタッタッボ、ボタッタッボ、ボタボタボッタ』と複雑なリズムの絶対にかかったらあかん雨もある。

だが、いかに複雑なリズムであろうが必ず法則はある。スーパーマリオブラザーズのクッパのお城の面と同じだ。

だから諦めてはいけない。

僕はこのような覚悟で雨の日と向き合っているが、実に中年のおばさんは無防備で店から出て傘を開くのが遅い、にもかかわらず歩きながら傘を開くものだから、傘を開ききる前に絶対にかかったらアカン雨を頭に直接食らってしまっている。

そんな事になるんやったら、いっそ傘なんかささんかったら良いのに。

2006年2月18日 (土)

『遺伝子』

昨日梅田の出番終わりで、実家に帰った。

九時過ぎに家に着くと部屋の中なのに親父が作業着の上からジャンパーを着ていた。

今帰って来たん?と聞くと『いや、寝坊して今日仕事行かれへんかった』とそろばん塾さぼったったくらいのノリで答えた。

前もそんなことを言っていたような気がする。

明日寝坊しても直ぐに現場に向かえるように作業着のまま眠るつもりらしい。

発想は幼稚だが考え方がまったく僕と同じで遺伝子の恐ろしさを痛感した。

2006年2月17日 (金)

『スタバ』

ショートココア注文したら、受けた店員さんが、作る店員さんに『ショートココ~』と略して通していたが、果たして略せているのだろいか?

2006年2月11日 (土)

『小学校』

昨日、仕事で小学校に行った。

どこの小学校にも共通する景色が必ずあり、初めて行く学校であっても多少自分の記憶に触れる所があって懐かしい。

周囲を見渡し自分の左脳に呼応するものを探していた。

卒業制作の壁画。これも僕の思い出に訴えかける何かがあった。

しかし、その壁画に描かれた少年の足下に目を移すと明らかにNIKEの「フットスケープ」と思われるスニーカーを履いていて冷めた。

近代的なハイテクスニーカーのフォルムが僕の感傷を蹴散らし、2006年という現実を突き付けた。

壁画には「アシックス」というのは僕の固定観念だろうか。

少なくとも、この世に「リーボック」のスニーカーが描かれた壁画が存在せん事を願いたい。


2006年2月 9日 (木)

『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』

ジョナサン・サフラン・フォアという作家の『エブリシング・イズ・イルミネイテッド』という小説を読んだ。

基本的に僕は国内の本しか読んだ事が無い。

30歳から海外の文学も読もうと楽しみにしている。

なぜ自分の中のルールを破りジョナサンの作品を読む事になったかと言うと、普段本をまったく読まない友達が『何か本買って読んでみる』と言い出し買って来たのが、この本だったのだ。

そして半分程読み全然解らないと投げ出した。

その投げ出した本を拾って読んでみたら設定も構成も恐ろしい程面白かった。

文章も遊び倒してるし訳す人大変やろうなぁと思った。

そんな事より、今なぜか僕の左の鼻の穴から血が流れている。服が汚れるので止める事にする。

2006年2月 6日 (月)

『2月10日』

 23:00~

下北沢CLUB Queにて

『ダイノジ ジャパン ナイト』がありDJカラスとして僕も参加します。

カラスのメンバーはサッカーと一緒で、ロシアンモンキー中須、ミルククラウンジェントル、ともぐい、グレートホーン尾形、セブンbyセブン狂直、などが今の所参加予定です。

2006年2月 4日 (土)

『東京行き中央特快』

 高円寺駅ホームで電車を待っていた。

『中央特快』が高円寺に停車せず通過しようとしていた。

ホーム上の駅員が『中央特快が物凄く速いスピードで通過致します』と叫んでいた。

『物凄く速いスピードで…』という説明は果たして必要だろうか?

そこに違和感を感じたのは僕だけでは無いはずだ。

そもそも電車は速い。何より『中央特快』という言葉は「特別快速」という本来の意味を越えた、響きの世界で更にスピード感を増している。

誰がどう考えてもイメージ的に速いに違いないのだ。

よって『物凄く速いスピードで…』という駅員の説明は不要と言える。

しかし駅員を責める事は出来ない。

なぜなら駅員こそ『中央特快』というあまりにも速い言葉を自ら発し、そのスピードを誰よりも体感してしまっているのだから。

2006年2月 1日 (水)

『電気代』

僕が借りている部屋は、古い建物のためか、電気代はアパート全体で請求される。そのため不動産屋がメーターを見てそれぞれの部屋事に料金を割り出し、それを毎月、僕達は家賃と一緒に払うのだ。

しかし僕の電気代は、ここ一年100円を越えた事が無い。過去クーラーを使いまくった夏でも200円行かなかったと思う。

毎月60円、30円という金額が出る度に不動産屋の爺さんは『うそ~おかしいよね?でもメーター回って無いからしょうがないよね』みたいな事を言っていた。

いくら僕の部屋に冷蔵庫が無いとはいえ0円も2回程あった。安過ぎる。

両隣りは2千円だったり、3千円だったりする。

しかし、今日家賃を払いに行くと不動産屋が嬉しそうに『電気代600円だよ』と言った。

高くないですか?と言うと不動産屋は、声を押し殺し『そうなんだよ、アンタの隣りが引っ越したんだよ』と言った。

その不動産屋の立ち振る舞いが示唆するものは、僕の電気代が何等かの形でお隣りさんに含まれていたということだろう。

僕が電気を使うと隣りのメーターが回るとか。もっと単純な計算間違いとか。

果たしてそんな事が起り得るだろうか?雨漏りで、びしょびしょになった廊下。油がこびりついた電気メーター。何と何を繋いでいるのか皆目見当がつかない複数のコード。

このアパートでは何が起きても不思議では無いような気がする。

隣りに新しく誰か越して来るまで節電しよう。

越して来たら逆に菓子折り持って挨拶に行こう。

2006年1月31日 (火)

『カラス』

 今日フットサル大会がありましたが予選で敗れてしまいました。

フットサル日本代表の人とか元日本代表とかセミプロの人とかサッカー、フットサルで飯を食ってる人が今日はいっぱい来てて見てて面白かったです。

ちょっと芸人だけでは戦えないレベルに成って来ましたが、カラスは芸人だけのチームにこだわって戦いたいと思います。

次回の大会、僕は出れませんが、

2月10日ダイノジさんのオールナイトのDJイベントに『カラス』として参戦する事が決まりました。

好きな曲をかけたいと思います。

詳細はわかり次第連絡致します。

2006年1月28日 (土)

『しずる村上』

 30日の決戦に向け、我がフットサルチーム『牙鳥』に、東京NSC9期である「しずる」の村上が加入した。

今日は試合も近いので久しぶりに集まり練習を行う事になったのだが、僕は今朝もカラスの慣習になりつつある集団遅刻の被害に合い、ひとりぼっちかと思いきや村上が時間通りに来てくれた。

まだ、お互いの事を詳しくは知らないのでボールを蹴りながら色々と話した。

『へ~又吉さんって昔14番付けてたんですか?僕もっすよ』といきなり共通点を発見した。

「やっぱりオランダのクライフの14番渋いよな?」と聞いた僕に村上は『クライフもそうですけど僕はキャプテン翼に出て来る三杉ジュンですね』と答えた。

三杉と言えば心臓病のハンディキャップさえなければ間違なく翼を越えていたと思われる天才児で僕も大好きだった。

これは話が合うと思った。

続けて「本とか読む?」と質問すると『最近は読んで無いんですけど一時期村上春樹は物凄い読んでましたね』と答えた。

僕は嬉しくなり、それから30分近く村上春樹の話で盛り上がった。

しかし、そこで僕は気付いてしまった。

この男も村上である事に。そして僕は考えてはいけない事を考えてしまった。名前が一緒やから好きなのでは?と。しかし村上ならば龍もいる。そんなハズは無い。試しに僕は聞いてみた『村上、お前下の名前は?』

『はい、ジュンです』

やっぱり名前やん。三杉ジュンと同じジュンだ。自分と名前が同じやから好きになったとしか思えない。

『村上ジュン』か、僕は最後の質問に希望を託した。

「もしかして、村上ってUA好き?」何も知らない村上は笑顔で答えた。

『大好きです』。

2006年1月27日 (金)

『輪廻転生』

高校時代の友人と久々に再開した。

時の流れを恐ろしく感じさせられる程、彼は老け込んでいた。

僕の皮膚細胞はそれを遥かに越える猛スピード老けているのだが。

しかし、学生当時からクラスメイトに物真似されていた彼の『話す時に自分の眉間を中指でこする癖』は昔のままだった。

彼と僕は特別に仲が良かったわけでは無いが共通して宇宙人、タイムマシーン、つちのこ、お化けなど不思議な話が大好きでよく語り合った。

今回も彼は僕を見るなり『輪廻転生どう思う?』と目を輝かせながら話出した。

彼は三島由紀夫からサイババまで持ち出して輪廻転生は有り得ると主張した。

僕は何となく『ほな、お前の眉間に中指あてる癖は、お前が前世にメガネをかけていたからやな』と言うと彼は目を剥き『絶対そうや!何で今までそれに俺は気付かんかったんや!』と目茶苦茶テンションが上がってしまい、正直ひいた。

万が一、彼が前世にメガネをかけていたとして、どんなけズレやすいメガネかけてたんやと言う話だ。

その事を言うか言わないか迷ったあげく結局伝えると彼は『なるほど、じゃあ大体、国と時代は限定されるってわけだな』と意味不明な言葉を呟いた。

眉間を中指でこすりながら。

2006年1月23日 (月)

『ブラックライト』

カラオケとか、小洒落た店なんかに行くと、ブラックライトちゅうのがありますわねぇ。

やたらと白いもんが光るやつね。あれ嫌やね。

自分に、こんなにも糸クズ付いてたんや思ったらショックですわ。

あと、ここも白かったんやっていう、まったくもって、いらん発見とかしてまいますね、タグとかね。

まだ自分にも、こんなけ白い部分残ってたんやとか思いますね。

十代の頃、調子乗ってブラックライトの店行って、当時ちょっと好きやった娘に『又吉くん何で歯光ってんの?』って聞かれて答えに窮した思い出あるけど、「差歯やからに決まってるやん」と思ったね。しかも安いプラスチックの安いやつやから必要以上に光ってたやろな。

無邪気な娘の残酷さ。悪って無くても痛みはごく自然に発生するんやね。

ブラックライトと無邪気って似てるかもね。

似てない。

2006年1月21日 (土)

『天狗どん』

 今夜は冷えますね。

マフラー首に巻いたら体感温度で4度近く上るらしいですね。

天狗どんを見たら実際に体温が1度上るらしいです。

友達は天狗に道聞かれて熱出たらしいです。


2006年1月18日 (水)

『村長の奥さんが上の棚から梅干しの瓶詰めを取ろうとして尻もちをついたのだろうか?』

 新幹線の窓から外の景色を眺めていた。

田園風景が一面に広がる懐かしい雰囲気の場所があった。

のどかだなぁと思っていたら、畑と畑の間の細道をパトカーがパトランプも回さず、ゆっくりと走っていた。

絶対事件無いやろなぁ、と思った。

2006年1月17日 (火)

『梅田センタービル』

昨日、梅田界隈をウロウロしながらなんとなく入った喫茶店で本を読んでいた。

トイレに行こうと思い、店員に尋ねると『すいません、向かいのビルの中になるんです』と言われた。

しょうがないので一度店から出て、円形の広場を抜けビルに入った。

中に入りトイレの場所を示す張り紙を見たら階段を指している。

面倒に思いながらも張り紙が示す方向に進んで行くと地下2階まで着いてしまった。

遠過ぎる。どんなけ歩かすねんと思った。地下2階は駐車場になっていて階段から20m程進んだ所にやっとトイレはあった。

イライラしながらトイレに入ると幼稚園生と小学校低学年くらいの兄弟が並んでズボンとパンツを足下までズリ下げ、尻丸出しの状態で用をたしていた。

イライラしていたが思わず笑ってしまった。

2006年1月15日 (日)

『前衛喫茶』

高円寺にミックスジュースを出す『前衛喫茶』がある。

ここでの『前衛』とは恐らく芸術などで先進的な方法を試みている集団などを指しているのだろう。

店内にいる詩人、絵描き、ミュージシャンとおぼしき病的なほどアーティスティックな雰囲気を醸し出したくて堪らないといった風体の客達は殆どが、その店のマスターと知り合いで客同士もほぼ知り合いのようだった。

その店に一人で入ると客一同が僕を見た。

前衛かどうか審査しているのだ。

僕が肩身の狭い思いをしながらもその店に通うのは、ただミックスジュースが大好きだからだ。

懐かしいミックスジュースを飲みながら感傷に浸りたいだけの僕が前衛のはずがない。

店内には打ち込み系のレコードが流れていた。

しばらくするとレコードの針が、飛び、同じ、部分が、繰り、返し、繰り、返し、流れていた。

マスターがレコードを換えようとするとリーダー格の男が『待って!』とマスターを止め天井を見上げ瞳を閉じ『なんか…良い』と呟いた。

その瞬間、僕は全身鳥肌が立ち『気持ち悪っ』とか『もうええって』と残酷な気持ちに支配された。

他の客達は『うん、良い』と口々に飛ぶレコードを褒めていた。

わかるけど、それ言うてまうんやと思った。

散々使い古された表現方法やし、今更発見したみたいに言われても。

こいつら偽者やなと思った。

どうせなら繰り返されるレコードに合わせ、パスタを食べてる人はフォークを上げ下げ上げ下げ、本を読んでいる人はページをめくり戻しめくり戻し、マスターはミックスジュース出して下げて出して下げてと機械のように動いてくれたら僕も『前衛すげぇ感嘆符』と素直に感動出来ただろう。

やはり『前衛』も『喫茶』も60、70年代の亡霊だ。

俺誰やねん。

2006年1月13日 (金)

『15歳』

 年が明けて本を何冊か読んだ。

本棚に新しく並べられた本の背表紙を目で追いながら思った。

流行からかけ離れた本ばかり読んでしまっている。

このままでは、状況は違えど1994年大阪のアメリカ村にて若者の間で爆発的に流行った『ケンケンの黄色いTシャツ』をこの2006年も同じようにイケてると強く信じ、勢い着込んで原宿GAP前にて周囲に存在感をアピールするような哀れな男になってしまう。

そんな事に成らないために、と言っても前から興味があったので、今話題の現中学3年生である三並夏さんが書いた『平成マシンガンズ』を読んでみた。

主人公はやはり学生だったが、若くして初めから『老人』を書いた芥川龍之介がぶっとんでいるだけだ。

文章は帯に色んな作家さんが褒めているように素敵で、中学生で何故このような表現方法を獲得しているのだろうと不思議でならなかった。

僕が中学3年生の時といえば友人の前でこそ大人ぶっていたが、まだ完全に鬼太郎の存在を否定出来ていなかった。

と言う事は、どこかで目玉の親父の存在も信じていたということだ。

この作家が大人になったらどんな小説を書くのだろうか?

僕は大人になってようやく水木しげる先生が生み出した半妖怪、鬼太郎は確実に存在していると信じれるようになった。

2006年1月11日 (水)

 今朝フッ

 今朝フットサルをした。最近フットサルに依存している後輩のジェントルは昨日から仕事で長崎に泊りのため不参加の予定だった。

しかし集合時間にジェンから「今空港着いたんで向います」と連絡があり、そんなやりたいん?と少しひいてしまった。

一時間後、到着したジェンは準備運動もせぬまま、無尽蔵の如く休まず動きまわり孤軍奮闘。その運動量は元ヴェルディ川崎の英雄、北澤豪選手の全盛期を彷彿させた。

その動きを見た誰もが口々に「凄い動くねぇ!」「よっ!持久力!」と大絶賛。

受けてジェントル「僕、疲れないんです」とサッカー雑誌のインタビューだったら確実に太字となり大きく飾られていたであろう発言まで飛び出した。

そんなジェンのTシャツを見ると胸に潔く『never dies』という文字。そりゃバテへんわと納得した。


2006年1月10日 (火)

『24時間営業』

きょう新宿を歩いていたら五年程まえに同じコンビニで深夜アルバイトをしていた中村さんとバッタリ合った。

中村さんと僕は同時期にコンビニのバイトを辞めている。

それでも、そのコンビニのシフトには今夜も誰かが入り24時間営業で開いているのだな、と思うと物凄く神経が疲労した。

家で自分が眠っている間も自分の店は開いているなんて神経がまいってしまう、僕はコンビニのオーナーだけには成れ無いなぁと思った。

2006年1月 8日 (日)

『なぞなぞ』

昨日、10年くらい前に人から貰ったタケオキクチのニット帽を久しぶりに被りルミネに行った。

しかし、同じく出番だったミルククラウンのジェントルが同じ帽子の色違いをかぶっていて恥ずかしかった。

二つの意味でかぶっていた。

僕等は、かぶっている帽子をかぶっていた。

又は帽子をかぶってみたら、すでにかぶっていた。

そんな事はすっかり忘れジェントルとライブ終わり劇場を一緒に出た。かぶっている帽子をかぶりながら。

駅前を歩いているとジェントルが『あっ!帽子見て笑われてる!』と叫び、はたからみれば自分達がゲイのペアルックである事に気付いた。

慌ててジェントルはかぶっていた帽子を脱いだが、やはりジェントルの手にある帽子はかぶっていた。

『脱いでも、脱いでも、かぶっているものなぁんだ?』だった。

2006年1月 6日 (金)

『10も円も玉も丸い』

財布の中に小銭を入れ過ぎ膨らんでいる状態が嫌いだ。座った時、尻に違和感を感じてしまうのも理由の一つだ。余談だか僕は今、違和感という漢字はこんな漢字だっただろうか?と違和感を感じている。本当に余談である。

580円の天丼を食った。

会計の時、1000円札と30円を出した。

450円お釣を貰おうと思った。

10円玉がかさばるのを避けるためだ。

しかし店員は物凄く申し訳無さそうに『すみません今50円玉切らしてまして』と謝りながら400円と10円玉を5枚渡して来た。

減るどころか10円玉ふえてもうた。

重い。10円玉2枚分の重さとは思えない程重い。質量云々では無く精神的に重い。

その重さは10円玉に描かれている宇治の平等院鳳凰堂の中央に坐している阿弥陀如来の存在感と等しい。

どうせなら鳳凰堂の阿弥陀様にお賽銭として捧げられたら全て丸く収まるのに。

2006年1月 5日 (木)

『親友交錯』

1月30日に『よしもとフットサルリーグheat』という大会があり、今回もカラスというチームで出場する。

大阪から新しく参戦する『白仁田ドメスティックバイオレンス』というチームがあり、そのメンバーにベース芸人の『難波横山』がいる。

ベストマイフレンド難波と散髪屋の息子横山は僕の中学校の同級生でありクラスメイトであり、ベストマイフレンドだった。

ベストマイフレンド難波は小学生時代から僕等の街で一番サッカーが上手いと言われていた。

僕とベストマイフレンド難波は中学校で同じチームになり背番号10番を取り合った。ジャンケンで。一度負けた僕がダダをこね、ベストマイフレンド難波の許しを得て二回戦に突入したが、二度目も敗れ、あまりの僕の落ち込みように『じゃあ次、最後な』とベストマイフレンド難波は優しくチャンスをくれたが、三回戦もアイコになることすら無く僕はあっさりと敗れた。ペレは最初からベストマイフレンド難波を選んでいたのだ。結局僕は14番になった。

だから30日の大会でベストマイフレンド難波と対戦する時だけは中学時代の背番号14番を背負い出場したいから貸してくれ、とカラスで14番をつけているベスト岸本麻衣フレンドに頼んだら『イヤダ』と断られた。ロマンチシズムに浸りかけた僕をギリギリの所で現実に引き戻してくれた。さすがベスト岸本麻衣フレンドだ。

とにかく30日はベストマイフレンド難波にジャンケンだけは勝ちたい。

2006年1月 3日 (火)

『店員姉さん無愛想』

 いつもカバンに入れて愛用しているLEGOのCDケースが紛失している事に気付いた。

ケースの中には常時お気にいりの何枚かを入れているのだ。

どこで無くしたのか考えてみると数時間前CDウォークマンを聴きながらツタヤで借りていたCDを返しに行った事を思い出した。

その道中、途中で今聴いているのがツタヤで借りたCDであることに気付き、ここから少し複雑なのだが、カバンに入れてある自分のCDケースから1枚CDを選びウォークマンにセットした後、聴いていたツタヤのCDをツタヤの青い袋に詰めた。

まさか?と思いツタヤに電話し、さっき返却した袋にCDケース入ってませんでしたか?と問い合わせたところ、『ございます』との事だった。

何かの手違いで自分のCDケースもツタヤの青い袋に入れ、そのままツタヤに返してしまっていたのだ。

ツタヤでCDを借りる人は万人といるだろうがツタヤにCDを貸した人は、そうそういないだろう。

2006年1月 2日 (月)

『正月言葉知らず』

 元日の日の出前、TVで龍源寺の松原和尚が般若心経に着いて説いておられた。

般若心経は、般若経を簡潔に説いたもので色々な訳があるのだが、その中で最も有名なのが、かの三蔵法師が訳したものらしい。

しかし、その般若心経において終盤の『ギャアテェ、ギャアテェ、ハーラーギャアテェ』という音の部分は訳されず音のまま残されているらしい。

和尚曰く、この部分は悟りの境地だから言葉という媒介体を用いて具現化することが出来ないのか、するべきでは無いのか、とにかくその様な事であるらしい。

いわばロックシンガーがサビを絶叫し歌い上げても全ての感情を爆発させる事が出来ず、行き場を失った残りの魂を言葉にならないかすれた裏声に乗せ発し、聴く者の心を否応無く揺さぶる、あの部分にあたるのだろうか?

などと考え込んでいたらお日様が、そこそこの高さまで昇っていて、俺は一年の始まりから何を考えているのだ?と空しくなった。

布団に入り眠る直前、『ギャアテェ…』の部分は赤子の泣き声ではないか?と思った。それなら万国共通訳す必要も無い。

2006年1月 1日 (日)

今年も終わ

今年も終わりやな。

2005年12月27日 (火)

『古本屋で…』

三好達治さんの詩集を買いました。

無茶苦茶渋いです。

2005年12月24日 (土)

『今日』

今日は阿部和重さんの『グランド・フィナーレ』を読んだ。

2005年12月21日 (水)

『二階禁煙席』

喫茶店でミックスジュース吸いながら花村さんの『ゲルマニウムの夜』を読み終えようとしていた。

隣りで電子辞書を開きイヤホンで音楽を聴きながら勉強する女学生がいたのだが集中し過ぎたのだろう、そこそこ大きな声でマライヤキャリーを歌ってしまっていた。

普通ならば読書の妨げになるので鬱陶しく思うのだが、その女学生の声が素晴らし過ぎたためページをめくる手を休めしばらく聴いた。

もう少しで目を閉じ腕を組み本気で楽しんでしまう所だった。天使かと思った。

しかし数分後、恐らく自宅に電話をかけた女学生は母親らしき相手に『ビデオ撮っといてってメール送ったじゃん、今からじゃ遅せえよ!マジふざけんなよ!もうテレビ見ねえ!』と怒り出した。

全然天使じゃなかった。テレビは見たら良いのにと思った。

今日は膝の痛みが少し和らいだような気がした。ミルク風呂が効いたのだろうか。

2005年12月20日 (火)

『銭湯』

銭湯の湯船からあがりロッカーから荷物を取り出して、携帯電話を見たら一部分が点滅していて『あっ』と思った。

点滅していたと言っても摩訶不思議な超常現象などでは無く、構造的に点滅するべき所が正しく点滅していただけである。

つまり着信があるというしるしなのだ。普段鳴ることが少ない携帯だけに珍しく思い少し驚いて見ただけである。開らいてみると着信が3件、メールが5件も入っていた。

びっくりした。僕の携帯史上類を見ないお祭り騒ぎだ。一瞬誰か死んだんかな?と思った。

内容はどれも生活に密接した平凡なものだったので安心した。

相変わらず膝は痛む。ミルク風呂の効果に期待。

2005年12月19日 (月)

『弁当屋』

腹が減ったので24時間営業の弁当屋に買いに来た。

深夜なので明日分の材料がトラックで運ばれて来たのだが、その運んでいるオジサンが衝撃的にみのもんたにそっくりだった。

恐らく親類、友人、職場の同僚はおろか通りすがりの子供にさえも『みのもんたに似てる』と言われて来たはずだ。

逆に言われ無い日は『あれ今日調子悪いんかな?』と気になってしまう事だろう。

ただ、むっちゃ小さかった。

膝はまだ痛い。

2005年12月17日 (土)

『年末膝問題』

ヒザが痛い。左ヒザが痛いから筋トレをしたい。だけど左ヒザの鍛え方が解らない。

2005年12月15日 (木)

『こんばんは』

今日から、しばらく揚げ物を食さないことに決めた。

腹がポッコリと出て来たからだ。

2005年12月11日 (日)

『携帯』

 最近恐ろしい程の速さで携帯の充電が無くなる。これとかコラムとか全部メールでやってるからだろうか。おかげでメール打つ速度たるや女子高生以上だ。でも充電は満タンからスグに赤表示だ。

2005年12月 6日 (火)

『大阪23時間その四』

徒歩40分の道程を歩いて実家に帰った。実家の近くに入ると近所からドンチャン騒ぎのドンチャンという音が漏れていた。

22時、家に着いた。ドンチャンの出所は我が家だった。父親は友達と昨晩から酒を飲み、二人して仕事を休み夕方頃に起きて再び騒いでいるとの事だった。精神的に中2なのだ。

中2的要素を有している大人は時々いるが、そのような人でも社会に出て周囲を大人に固められると自我を開放できずに多少のストレスを感じながらも、いつの間にか大人へと矯正されて行くのだが、僕の父親の場合、同じく精神的に中2の友達がいるためにクラス替えの無い正に永遠の中2なのだ。

普通の大人に『明日仕事休もか?』と言ったなら「君は何を言ってるんだ」となるのだが相手も精神的中2だと『インフルエンザにしとこか』となるのだろう。

湯船につかっていると父親と友達の笑い声が響いて来たので小窓を開けると父親が『うわっ、カサブタはがれた』と言っていた。

中2だ。

2005年12月 5日 (月)

『大阪23時間その三』

実家の押し入れを物色していると『サッカー部日誌』と書かれた大量のノートを発見した。そういえば高校時代、毎日日誌を書き監督に提出していたのだ。

ノートの内容はその日の食事メニュー。練習メニュー。一日の反省が書かれてあった。

僕は昔から食生活がルーズなのだが日誌にカップラーメンなどと正直に書けば監督に怒られるので、そこはほぼ創作になる。その作品が酷かった。4日に1度は夕飯に「焼きそば」と書かれていたのだ。食に関するレパートリーの少なさが露骨に出ている。

その辺りに目をつぶれば体に悪そうな物は何も食べていないのだが、この日誌を完全に信用した場合三年間一度もマクドナルドを食べていない事になる。

そこまで自己管理が行き届いている高校生がいるだろうか?完全を求めるあまり信憑性に欠ける日誌だった。

その辺りを高校時代の自分も考慮したのだろう。一日だけ朝食に「カロリーメイト」と書いてあった。OLかと思った。テストでカンニングする際に全問正解は信憑性に欠けるので1問だけわざと間違えるのに似ている。

それにしてもカロリーメイトで食だけでは無く日誌のバランスまで取るとは本当にバランス栄養食品だ。

2005年12月 4日 (日)

『大阪23時間その二』

…なんと『綾部サッカースポーツ少年団』と書いてあった。

家に10年以上も前から何故かただ一つだけあった余所のチームのフラッグに『茨木』と『綾部』という文字が入っていたとは多少の無理やり感は否めないが、何か予言めいている。


『大阪23時間』

実家に帰った。一応僕の勉強机とされていた机がまだ残っていた。実際に勉強で使用した事は皆無に等しかったが今だに僕のサッカー用品などが並べられていた。

小学生の頃、所属していたサッカーチームは優勝したトロフィーや記念品などをその大会におけるチームへの貢献度に全く関係無くジャンケンで勝った者が持ち帰れるという非常にゆるいシステムだった。

そして記憶には無いが恐らく僕がジャンケンに勝ち家に持ち帰ったのだろうポツンと一つだけ、どこのチームのものかフラッグが飾ってあった。

そのフラッグをよく見ると『茨木サッカーフェスティバル』と書いてある。

茨木と言えば大阪にある地名で字こそ違えど内の相方の綾部の出身地である茨城県の茨城とごっちゃになってややこしい。そんな事を考えながら、ふとフラッグの下の方を見ると…


2005年11月30日 (水)

246

今夜は冷えるしオマワリさんも大変やと思う。時間も時間で暇を持て余してたんやろう。もしかしたら一緒に立ってた相棒と物凄く仲が悪いんかもしらん。見たいテレビを録画し忘れたんかもしらん。気を効かして買って帰ったタイ焼きに家族一同まったく手をつけなかったのかもしらん。可愛がってた娘が最近渇いた声で呪文のように『お父さん違うから』と繰り返すのかもしらん。

僕が歩いてただけで職務質問された原因はなんぼでも思いつく。この時間阿呆面下げて歩いているのは犯罪者か極度の散歩好きか妖怪くらいのもんや。うさん臭い奴歩いてたら職務質問くらいするやろう。

しかしね、僕に対する職務質問中そこを無灯火のチャリンコで通り掛った女性に対して僕の顔を睥睨しながら『お姉さん、ひったくりがまだ捕まってませんから気をつけて下さい!』誰がひったくりやねん。これはアカンやろ。

誰か246ごとひったくって東京湾に捨てといて下さい。

246

今夜は冷えるしオマワリさんも大変やと思う。時間も時間で暇を持て余してたんやろう。もしかしたら一緒に立ってた相棒と物凄く仲が悪いんかもしらん。見たいテレビを録画し忘れたんかもしらん。気を効かして買って帰ったタイ焼きに家族一同まったく手をつけなかったのかもしらん。可愛がってた娘が最近渇いた声で呪文のように『お父さん違うから』と繰り返すのかもしらん。

僕が歩いてただけで職務質問された原因はなんぼでも思いつく。この時間阿呆面下げて歩いているのは犯罪者か極度の散歩好きか妖怪くらいのもんや。うさん臭い奴歩いてたら職務質問くらいするやろう。

しかしね、僕に対する職務質問中そこを無灯火のチャリンコで通り掛った女性に対して僕の顔を睥睨しながら『お姉さん、ひったくりがまだ捕まってませんから気をつけて下さい!』誰がひったくりやねん。これはアカンやろ。

誰か246ごとひったくって東京湾に捨てといて下さい。

2005年11月27日 (日)

『一度で良いから言ってみたいセリフ』

『まだ成長過程ではあるが、ようやくサイコキネシスが使える兆候が見え始めた。ふぅ、これで第一段階はクリアだな』

2005年11月25日 (金)

『EDIE』

昨日、久しぶりに中学の頃から通ってた地元の古着屋に行った。

中学一年の頃まで僕等の地元には『EDIE』、『ジョンソン』、『スパイラルトリップ』と古着屋が3店あった。

全部服の傾向が似ていたので店員に『エディとジョンソンってバイヤー一緒なんですか?』と聞くと『イディですよ』と言われ少し恥ずかしい思いをしたのだがその時と同じ店員だった。

あの人は雰囲気(ふんいき)のことも「ふいんき」では無く正確に『ふんいき』と発音しそうな気がする。


2005年11月22日 (火)

『そういえば』

二坂は中学時代和歌山選抜やったって言うてたから和歌山県出身やな。

という事は和歌山の止まらないもの代表が『みかん』で逆に止るもの代表が『二坂』やったんやな。そう考えるとやっぱり世界は二つの方向に引っ張り合う事によって何とかバランスを保ってるんやな。

あの『もう誰も俺を止められねぇ』という二坂の言葉は自己暗示的な意味合いよりも自分の宿命にあらがう祈りに近い言葉やったんやな。

『毎年思うけど』

みかん食べ過ぎやな。毎年手が黄色くなってしまうな。『みかん』と『ハッピーターン』と『あたりめ』だけは止まらへんな。

高校一年の時サッカー部の部室で二坂っていう奴に突然『もう誰も俺を止められねぇ』って言われて困ったなぁ。精神的な例えやったんやろうけど俺は二坂が走り出してた事すら知らんかったからなぁ。部員150人くらいおったから二坂の事もあんまり知らんかったからなぁ。あれ何やったんかな。もしかして今後サッカーで誰にも止められへんっていう事やったんかな?

やとしたらスグ止まったなぁ。二坂二年の春にはサッカー部辞めたからなぁ。

サッカー人生を止められてたからなぁ。

止るもんと止まらんもんがあるなぁ。俺の家は放任主義やったからいつでも友達の家とか泊れたな。ようわからんな。

2005年11月20日 (日)

『昼頃起きて』

今日は少し時間が空いたので吉祥寺を散歩した。

僕がよく行く井の頭通りにある古本屋が潰れていた。

去年も井の頭通りの古本屋が一件潰れた。切なくなった。糸糸山秋子さんの『ニート』という本を買って読んだ。

2005年11月17日 (木)

『ジャンパー』

 朝起きて微妙な肌寒さを感じ悟った。これは明日から冬やなと。

そこで薄過ぎず厚過ぎない一年に2回程しか着ない二千円の安いジャンパーを着た。そこで一つの疑問が出た。ジャンパーなのか?それともジャンバーか?

広辞苑で調べたらジャンパーだった。ちなみに隣りの言葉はジャンヌ‐ダルクで、その文を読むと奇遇にも出身地がフランス北東部『シャンバー』ニュ州だった。

ちょっと遠いか。

2005年11月16日 (水)

『券売機』

今日の昼。駅の券売機前で液晶と全く違うただの壁の部分を力強く何度も押しているお爺さんがいた。どこまで行かれますか?と尋ね目的地までのボタンを代りに押した。

そして夜。券売機の前で切符を買おうとしていると昼間とは全くの別人だが、やはりお爺さんがよろよろと僕に近寄り『びゃちょ…』と言葉に成らない声を発した。

全く意味は解らなかったが朝の体験があるだけに恐らく切符の買い方が解らないのだろうと思い『はい?』と優しく聞き返すと、お爺さん今度は明確な言葉で確かに『百円ちょうだい』と言った。

嫌だと思った。

朝の一件で潜在的に得意気になっていた僕を打ちのめすために何者かがあのジジィを差し向けたのだろうか?

ジジィの『百円ちょうだい』はあまりにも重い。

2005年11月13日 (日)

『歌舞伎町』

トークライブに行くため新宿歌舞伎町を歩いていると男の人が寄って来て『仕事お探しですか?』と聞かれた。

どんな風に見えたのだろう?

2005年11月11日 (金)

『優勝』

今日は駒沢体育館にてフットサル芸人最強チームを決定する乙女カップがあり我々のチーム『カラス』が優勝しました。

みんな、やる前は『楽しくやろなぁ』みたいな事を言っていたのですが始った途端、楽しい雰囲気など微塵も感じさせずW杯最終予選と見まがう程の張り詰めた緊張感の中で誰もが鬼のような形相でボールを追っていました。学生時代マラソン大会のスタート前に『一緒にゴールしよな』と言いつつスタートの銃声と同時に全力疾走をかましあっていたのを思い出しました。

かくいう僕はウォーミングアップから余裕など一切無く既に本気でした。

高校の時コーチから『お前のプレースタイルは見ただけで貧乏なのが解る』と言われましたが、女子供が相手でも手が抜けずがむしゃらにやってしまう所など確かにそうだと思いました。

しかし今日は何と言ってもカラスでエースナンバーの10番を付けながらキーパーとして出場したロシアンモンキー中須が、神がかり的な動きでゴールを死守し活躍してくれたのが嬉しかったです。

2005年11月10日 (木)

『依存』

最近中毒症状が出るほど読書に依存している。夏の単独ライブ前に一月近く意識的に読書を断っていたのだが、その行為が読書欲を肥大化させてしまった。

これまでも本を読んでいる夢は時々見た事があったが、つい先日とうとう活字だけの夢を見た。本かどうかも解らない、ただ巨大な活字が目の前にあって電光掲示板のようにザッザッと文字が変化して行く。最早どう読めば良いのかも解らなかった。目が覚めてから、あれは井上靖の『孔子』だったのでは?と想像するが定かでは無い。

そして昨日、誘われてカラオケに行った。あんまり歌いたくは無いけど一応場を繕うために50音順の太い検索本を捲り本当は探して無いけど探している雰囲気を出していた時に事件が起った。無意識の内に僕は『た』の辺りを開き『太宰治』という名前を探してしまっていたのだ。いや無くて良かった。人間失格歌っても絶対に盛り上がらない。

2005年11月 7日 (月)

『ネズミが出る』

どうやら部屋にネズミが出るらしい。以前、ちゃぶ台の上にハンバーガーを二つ並べ置いていたはずなのに一つが綺麗に無くなっていた。どこやと探すと畳にピクルスだけがべったりと張り付いている『ネズミピクルス抜いてるやん』と思った。ひいた。

そして最近、毎朝キッチンの壁を削るゴリゴリゴリという音に起こされる。ネズミが部屋に侵入するための経路を作っているのだ。畜生から穴をあけるんだという絶対的な意思や信念を感じる事程おぞましい事は無い。

あの音を聞いていると絶望的な気分になる。

毎日学生時代遅くまで居残り練習をしている後輩を見ると『その内抜かれるんやろなぁ』という不安に駆られたが、それに近い。

ネズミも近いうち必ず穴をあけるだろう。

2005年11月 4日 (金)

『朝練カラス』

カラスというサッカーチームに所属しているのだが、昨晩ロシアンモンキー中須から連絡があり『明日9時から朝練ありますけど来れます?』と聞かれ行けたら行くわ、と答えた。行けたらと言うのは前の日朝まで打ち合わせだし、今日は昼間から仕事だし夜も打ち合わせだから寝といた方がいいかなと思った上での発言だった。僕みたいなもんでもカラスの中では一番先輩なのだ。

とは言うものの僕は真面目だから指定された公園に来てしまった。10分くらい遅れていたので小走りで。

しかし公園来たら誰もいてへん。裏切り方が気持ち良い。ボールも無いし。

九時半に中須が来た。もちろん手ぶらだ。俺の気持ちも知らずにムッチャ機嫌いい。


2005年11月 1日 (火)

『動物園』

動物園の前で開園を待つ幼稚園児達がなぜか『モノレール!モノレール!』とモノレールコールを叫んでいた。疲れた表情の保母さんが普通に『モノレール動物ちゃうよ』と言っていた。

せっかく連れて来てんから『キリンさんコール』とか『ゾウさんコール』聞きたかったんやろうな。

2005年10月29日 (土)

『神保町にて』

仕事の帰り道、神保町の古本屋をまわったら古井由吉(ふるいよしきち)さんの廃盤になった珍しい本を見つけたので買った。存命でありながら既に伝説の天才作家。入手困難な初期作品を再版して欲しい。


2005年10月25日 (火)

『昼』

でっかいメキシコ人が寝てましたわ。


2005年10月24日 (月)

『晴れ』

 歩いてたらバババババババババババババとやかましい音聞えたから空見たらヘリコプターだった。バババババリッと何かが破けるような音がしたと思ったら古くなったシーツが裂けるように空が実際に破けていて、その切れめから少し空がめくれあがっていた。空の裏は黄色い布地でミッフィーがプリントされていた。実家にある布団と同じやと思った。


2005年10月23日 (日)

『天丼』

エビでかすぎるやろ。そして姿勢良すぎるやろ。


2005年10月22日 (土)

『新幹線から』

 今日は梅田花月の出番が入っていたので東京から新大阪まで新幹線で移動した。睡眠不足だったのでよく眠れた。

名古屋で弓道かなにかの道具と思われる長細い棒を黒い袋に包んだおじさんが横に座った所で一度起きたがすぐにまた眠った。

毎度の事だが『まもなく新大阪…』と車内アナウンスが流れ出すころ左手に僕が通っていた高校が見える。

校舎のすぐ横を新幹線が走るのだ。僕は授業中ほぼ寝ていたが隣りの席の岸君は退屈をしのぐため、新幹線の乗客の顔を追い動体視力を鍛えていた。新大阪に近付くと新幹線は速度を落とすので集中して首を振れば何とか人の顔を捉える事が出来た。

ある午後の授業、いつものように眠っていると『鈴木蘭々や!』という岸君の叫び声で僕は目覚めた。岸君は新幹線に乗っている鈴木蘭々を見たという。クラスメイトは絶対ウソやと言って馬鹿にした。しかし岸君は以来、新幹線ウォッチングの虜となった。月日が流れたある日、とうとう岸君は新幹線に乗る『死神』を見たと言い出した。

鎌を持ちこちらに微笑んでいたらしい。勿論誰も相手にせず『死神騒動』は忘れさられた。

『まもなく新大阪…』とアナウンスがなったので網棚からカバンをおろそうと立ち上がったが僕の荷物の上に、おじさんの黒い棒が乗っかっていて取れないのでとりあえず棒をおろし左手に持った。おじさんが後ろから『すみませんね』と謝ったので僕は愛想笑いを浮かべた。窓の外に母校が見えた。授業中の教室からこちらを見ている生徒がいた。岸君だった。その横に鬱陶しそうに眠る坊主頭がいた。

2005年10月21日 (金)

『ハチ公前』

渋谷で時間を持て余していた。目の前でUKロックスターのような出で立ちの外人が日本の若い女性をナンパしていた。

そのやり口が、いきなり座っている女性の眼前に立つと、おもむろにコインを出し手品を見せるというものだった。

古い、と思った。

ナンパにおける時代の流れとか僕は一切知らんけど、外人のおどけた仕草は久方振りに見た。

何故かDEENのアルバムを思い出した。

2005年10月20日 (木)

『電話』

久しぶりに母親と電話で話した。

『あんた最近、寝屋川市帰って来てないやろ?寝屋川も変ったで、地形』と母親は言い『そうなんや』と僕は聞いていたが、駅前周辺の景観が短期間で著しく変化する事はあっても三年やそこらで、大阪府にある一つの街の地形が変化する事は無いやろと思った。

実際に帰りこの目で確認するまで断定は出来ないが。

2005年10月16日 (日)

『夕暮宵待ち新聞15日号』

 11月10日にフットサルの大会オトメカップが駒沢オリンピック公園総合運動場体育館にて開催されます。今回はお客さんを入れてやるらしいです。

会場十八時

開演十八時半。

チケット800円

当日1000円だそうです。

僕が所属している牙鳥(カラス)も参戦します。

2005年10月15日 (土)

『大阪』

 仕事で大阪に来ました。友達のなんちゃんとよっこんに会いました。


2005年10月13日 (木)

『あき』

不動産屋の前で物件広告睨んでたら、いつの間にか数匹の虫にたかられてた。

肌寒い。秋って結構寒い。


『こんばんは』

今日はシアターDでライブです。ともぐいのけんじる君も出ます。


2005年10月11日 (火)

『シャーボ』

シャーボは凄い。

シャーペンとボールペンが使えるだけにとどまらず赤ボールペンまで使えて更に小さい消しゴムまで付いている。

百円のシャーペン、ボールペンはすぐ迷子になるがシャーボは五百円するから愛着がわくため、なかなか無くならず長い事使えるので結局安い。


2005年10月 9日 (日)

『定義終了』

久々に再開して『今日は飲もう』とか言うてみんな盛り上がってんのにすぐ寝る人。

僕です。地元の友達によく怒られます。修学旅行ですぐ寝るようなもんですからね。

2005年10月 7日 (金)

『定義6』

『失敗は経験という名の成功』とかたまに言い出すポジティブ過ぎる人。

何かこんな前向きな事言われたら逆に不安になります。

2005年10月 5日 (水)

『定義5』

黄色のTシャツに黄色のTシャツを重ね着してる人。

今日渋谷で見ました。狂気的なにおいがしました。

2005年10月 3日 (月)

『定義4』

『昨晩見た夢を事細かく毎回教えてくれる人』。

僕フロイトじゃありませんから疲れます。

2005年10月 2日 (日)

『定義3』

カラオケで一曲目からブルーハーツの『終わらない歌』を熱唱する人。

これはただの嫉妬です。こんな盛り上がる名曲最初に歌われてしまったら吉田拓郎しか歌えない僕は盛り下げる事を覚悟の上で歌わなあかんから弱風特攻隊になってしまうのです。

しりとりで最初から『ビール』『ソウル』『切る』と『る』攻めで来る人も一見ペース配分せえへん荒くれ具合が似ているように思えますが、それは逆に燃えるから好きです。そう来るんやったらこう行くという感じで『ルール』と返します。

2005年10月 1日 (土)

『定義2』

自分に全く危害を与える恐れも無く、良い人だけれも何故か僕が苦手に感じてしまう人々の定義を探します。

男の美容師で自分から『オレ音楽はテクノしか聞かないんだよね~』と言い出す人。

別にいいんですけど苦手ですね。こういう人結構多いですね。大概ロングカーティガン来てます。美容師さんも感性売る仕事やし前衛的なものに惹かれる気持ちは解りますけどテクノ好きを伝えたくてしょうがないのが露骨で嫌です。気を使って話合そうとケミカルブラザーズとか名前出したら終わりです。『あっオレはそっちじゃなくて…』言うて聞いた事の無い外人の名前永遠にあげられますからね。テクノはかっこいいんですけどね。

『オレ松山千春しか聴かないんだよ』っていう美容師さんおったら何か嬉しいですね。黙って頭そって貰います。

2005年9月30日 (金)

『定義』

常識があり物凄く優しくて自分に全く危害を加えたりしないのだけれど、どうしても苦手に感じてしまう種類の人間がいます。

そういう人達を今まで僕は漠然としか捉えることが出来ていなかったので、ここで何日間かかけ定義づけしてみる事にします。物凄く個人的な感覚ではありますが。

まず一発目は、日常会話で無意識に『なかなかどうして…』というセリフを言える人。

『なかなか、どうして…』の言葉が持つ意味を僕はニュアンスでしか解りませんが何か苦手です。

高校の時サッカー部の練習でゴール決めた時、腕組みしたコーチに『なかなか、どうして…』と言われ体から力抜けて物凄く居心地の悪さを感じました。

明日も定義探します。

2005年9月29日 (木)

『申し訳ございません。』

少し考える事があり、しばらくブログを更新していませんでしたが本日から勝手ではありますが再開させて頂きます。

長らく更新しなかったために一部で騒ぎになっていると聞いて僕びびってます。

何回も見に来てくれてた方々、すみませんでした。

今後、やめる時などがあれば事前に書くように気をつけます。

2005年7月29日 (金)

『感動』

僕Suicaデビューしましたよ。

ついこの間ですよ。まだ一週間も経ってませんよ。

今日は思い切って五千円チャージしましたよ。

改札通る時まだちょっと緊張しますよ。

最初の三日は財布から出してSuica使ってましたけど、でも今は財布に入れたまま目線も改札など見ず前を見て余裕な感じを演出しますよ。

みんなからしたら数年前の感動ですよ。

2005年7月21日 (木)

『みんな帰った後』

イスの上に大量の座布団。笑点やったらハワイ。


2005年7月16日 (土)

『ベルカ、吠えないのか?』

古川日出男さんの『ベルカ、吠えないのか?』という本を読みはじめました。

無茶苦茶かっこいいです。


2005年7月12日 (火)

『ケープ』

 きのう仕事で髪の毛を立たさなあかんくて生まれて初めて『ケープ』言うのん使ってんけど、その少し後から頭がズキズキしだした。

たぶん風邪的なズキズキなんやろうけど、なれて無いから何かケープを頭にふりかけ過ぎたズキズキなんかな?と自分がとんでもない事をしでかしてもうたんちゃうかと少し悩んだ。少し。すぐ治った。

2005年7月 6日 (水)

今日

取材があった。嘘ばかりついた。取材で本当のこと言ったためしない。

2005年7月 4日 (月)

『夏の庭』

 誕生日に頂いた『夏の庭』という文庫本を読んだ。

 夏やなと思った。


2005年5月25日 (水)

『散歩』

 お昼にリハーサルがあった。夜に舞台がある。その間の三時間。新宿から吉祥寺まで移動した。

雨が降って来た、雨宿りした、やんだ、良かった。

商店街歩いていたら漫画家のウメズカズオさんと擦れ違った。

普段からボーダーシャツを着ていらっしゃる。

井の頭公園でパックジュースの『ピクニック』フルーツ味を飲んだ。朝からコーヒーばっかり飲み過ぎていたから。

今新宿に戻っている所。

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